世界一のファンに囲まれてプレーのできる沖縄は僕の第2の“ホーム”#45 ジャック・クーリー<下>
沖縄で長く過ごしてきたこともあるし、そもそも僕は体が大きいから、街に出ると気付かれることも多くなった。一度、オリオンビールのフェスティバルに行こうと思ったことがあったが、あまりに人が多いだろうからと断念したことがある。これがキシ(岸本隆一)だったら帽子とか被っていればバレないのかもしれないけど、僕がそれをやったとしても「あの大きな人は誰だろう。ジャック・クーリーじゃないか」となってしまう。 2022-23シーズンにBリーグ優勝を果たした時には、ショッピングモールやビーチに行くとすぐに人々に囲まれてしまうため、出掛けられないほどだった。ファンのみなさんには常に応援してもらっていて、その気持ちがとても嬉しい。 2024-25シーズンが始まる。前編冒頭でも記した通り、僕にとって6年目のシーズンだ。最近のBリーグでは選手の移籍が激しくなってきたし、プロスポーツにおける宿命だからそれは仕方のないことだけど、このオフのキングスでは人の出入りがかなりあった。 田代直希や牧隼利、今村佳太といった長くキングスにいた選手たちも、移籍してしまった。僕にとってキングスのすべての選手といい関係性を持ってきたけど、その中でもキングスへ加入した年が2019-20と、僕と一緒だった牧は最高の仲間の1人だ。厳密には、彼はその年の途中から特別指定選手として来たわけだけど、以来、彼とは本当に親しくしてきた。そんな彼も大阪エヴェッサへ移籍してしまった。これもビジネスの一部だとはわかっているが、それでも寂しい気持ちを抑えきれるわけではない。 しかし、バスケットボールはチーム競技で、当然のことながらチームにとって最良な選択こそが肝要となる。そして、チームにとって最良なものが、いつも選手個々にとっての最良なものとなるとは限らない。僕は彼らが正しい選択をしたと信じている。彼らの幸運を祈っているし、キングスが相手の試合以外で頑張ってもらいたいと思っている(笑)。 もちろん僕は僕で、キングスで活躍をしなければならない。ここに来てから多くのことを学んできたけど、何を一番に学んだかと問われれば「我慢」だと答える。キングス以前は欧米でプレーをしていて日本とはまた違うリーグだったし、日本という国の文化もまた同様だった。だからバスケットボールにしてもそれ以外のことにしても、最初は戸惑うことも多かった。今でも覚えているのが、キングスに来て最初の2試合ほどの僕のプレーは本当にひどいものだった。なぜかといえばチームのシステムを理解しきれていなかったから。でも、最初にうまくいかなかったからといって、僕はそこでさじを投げなかった。
我慢強く、キングスのバスケットボールを理解しようとしたし、それは日本の文化に慣れるという点でも一緒だった。沖縄の人たちが暖かく僕を受け入れてくれたことについてはすでに書いたが、それは本当に大きなことで、だからこそ僕も沖縄に馴染もうと頑張ることができた。オンコートでもオフコートでも我慢強くいるようにしてきたことで、今の僕があると思っている。 コーチ・ダイ(桶谷大ヘッドコーチ)の存在も、僕にとって特別だ。彼の下でのプレーは今シーズンで4年目になる。自分のキャリアの中でこれほど長く一緒にやるのは、大学のコーチと彼だけだ。コーチ・ダイは選手たちのことをまず慮ってくれる人で、でももちろん勝つことや、それを達成するために何をすべきかを本当によく考えている指導者だ。だから彼の下でプレーできることを誇りに感じているし、コーチ・ダイのためであれば身を粉にしてでもやってやるという気持ちにさせてくれるし、彼の仕事を楽にしてあげたいとも思う。だからまた、彼を優勝させてあげたい。
僕は今、33歳と紛れもなくベテランと呼ばれる年齢で、選手生活が終わった後のことについてよく聞かれる。バスケットボールが大好きな僕にとって、選手としてファンの前でプレーができなくなることを考えるのは悪夢だ。でも、まだ数年はやれると思っているし、これまで同様、激しく、ハイレベルなプレーを見せられると思っている。 そして、いつか引退という日が来た時、琉球ゴールデンキングスの選手としてユニフォームを脱ぎたい。もちろん先に何が起こるかなど誰にもわからない。だけど、キングス以外のチームでプレーをしないでおけるのなら、それはまさしく最良のことだ。 コート上で勇ましく戦っている僕だけど、毎回、キングスから契約を更新してもらうたびに跳び上がるほど喜んでいる。最初にキングスから契約継続の連絡をもらった時、僕はオフで大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンにいた。その朗報のおかげで最高の余暇となった。 言うまでもなく、今シーズンも優勝を目指す。僕たちはBリーグと天皇杯をあわせて5度連続で決勝に進出して、でもそのうち1度しか優勝を遂げられていないから、今シーズンは頂点に立ちたい。 先に記したように、Bリーグ制覇を果たした2シーズン前の経験は、信じられないほどにすばらしいものだった。僕たちは準々決勝で名古屋ダイヤモンドドルフィンズを、準決勝で河村勇輝選手が所属していた横浜ビー・コルセアーズを、そしてファイナルではB1史上最高の勝率をあげた富樫勇樹選手率いる千葉ジェッツを、いずれも負けなしで破っての戴冠だった。
優勝後にはシャンパンファイトがあるのを知らず、僕は良い靴を履いてそこに臨んだのだけど、完全にビチャビチャになってしまった。だけどそんな小さいことは気にならないくらい、優勝の喜びを爆発させたあの夜は特別なものだったし、もっと言えばその夜だけでなく、次のシーズンが始まるまで僕らは王者としての甘美な時間を送ることができた。それをまた味わえるのであれば、何百回だって靴がだめになったっていい。
優勝の喜びを沖縄の人たちと分かち合えることこそが最高だと思っている。僕はアメリカ人だけど、気持ちは小さな沖縄という島を代表しているつもりだ。沖縄出身でないにせよ、キングスのユニフォームをつけている限りはこのチームだけでなく、沖縄を背負ってプレーをしていると思っているし、いつだってベストを尽くさねばならないと考えている。
レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)がクリーブランド・キャバリアーズ時代にNBAで優勝を果たした時に「クリーブランド!これはあなたたちのものだ!」と叫んだのは有名だ。僕もキングスが優勝した時には同じような気持ちだったし、実際、ファイナル最終戦直後のコート上でのインタビューでは「沖縄は小さな島だけど、そんな小さな島のチームでも優勝ができましたよ」というようなことを話したと思う。
優勝をするためには努力をし続けなければならない一方で、幸運も味方につけなければいけない。それがわかっているからこそ、そうしてインタビューに応えた時の僕はとても感情的だった。 あの感動を再び、沖縄のファンの皆さんと分かち合いたい。
(取材・構成 永塚和志)
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