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太陽の塔は信楽でつくられた!?岡本太郎が愛した焼き物の聖地

しがトコ

【岡本太郎と信楽】

大阪万博のシンボル「太陽の塔」を手掛けた芸術家、岡本太郎。
じつはその太陽の塔の一部が、
滋賀県の信楽で作られていました。
大の信楽好きで、なんと旧信楽町の名誉町民にもなっている岡本太郎。
その当時を知る、信楽在住の佐藤信夫さんに
お話を聞いてきました!

「太陽の塔」誕生秘話!

ーー佐藤さんは、どんなきっかけで岡本太郎さんと出会われたんですか?

佐藤:信楽に近江化学陶器(株)という会社がありまして、
そこに勤めていた時に、先生が作品づくりに来られました。

ーーそれって、太陽の塔ですか?

佐藤:塔の裏側にある「黒い太陽」、あの部分が信楽で作られました。

ーーすごい!「過去の顔」と言われている、黒い太陽ですね。

佐藤:そう。これは完成して、近江化学陶器のグラウンドで
記者会見をした時の写真です。

まずダンプに30台ほどの土を運んで、
顔のカーブに合わせた土台を作って、
その上にタイルを並べて完成した黒い太陽を仮組みしました。

『ー生誕100年・信楽町名誉町民40周年ー岡本太郎と信楽』より引用

ーー普通のタイルって、カーブしてないですよね?

佐藤:そう、だからカーブしたタイルを作るんです。
まず部分的に顔を作って、それをまた細かくタイル状に切っていって。

ーー大変な作業ですね!

『ー生誕100年・信楽町名誉町民40周年ー岡本太郎と信楽』より引用

佐藤:これは奥田博土(ひろむ)君の写真で、
ちょうど鼻の部分を作っているところ。
先生が来て「このカーブはダメだ!」と言って
ギャーっとえぐってしまったのをまたやり直してね。
そうやって作ってました。

佐藤:完成記者会見で岡本太郎さんがね、
「ビール持ってこい!」って言われたんですよ。

ーー突然ですか!?

佐藤:そう、突然。
先生が来られた時はいつもサントリーの角瓶を置いといて、
それを飲みながら制作指示とかをされてたんですけど。

ーーお酒がお好きだったんですね。

佐藤:そりゃもう、大好きですよ!
だから周りは「先生が飲むんかな」と思っていたら、
太陽の顔の上に乗ってね、「乾杯!」って言って
太陽の口にビールをダーっと流したんです。
カメラマンとか報道陣に「この写真を撮れ!」って言いながら。
さすが、パフォーマンスが上手い人だと感心しましたね。

ーーすごいエピソードですね!
太郎さんって豪快なイメージがありますが、実際はどうだったんですか?

佐藤:そりゃもう!
これは秘書の岡本敏子さんに聞いた話ですが、
「完成してからは太陽の塔、太陽の塔ともてはやされているけど、
最初に太郎が提案した時は、みんなからそっぽ向かれたんですよ。
会場の設計やお祭り広場の天井まで全部完成してるのに、
それを突き破る大きな塔を建てるって言うじゃない?
ものすごく大幅な設計変更もしなきゃいけなかったのよ」って。

ーー確かに、天井を突き抜けてますね。

佐藤:広場を設計した丹下健三さんが、
「テーマプロデューサーの岡本さんの作品だから、何とかしろ!」
と言って、何とか実現したそうです。
それがいざ完成したら、万博協会会長の石坂泰三さんに
「これがあったら大阪万博は成功だ!」と言われて、
あっという間に万博のシンボルになりました。

きっかけは、“赤”へのこだわり

ーー岡本太郎さんと信楽の出会いは?

佐藤:太陽の塔よりもう少し前、
先生が東京都庁に飾る陶板のレリーフを制作される時に、
他社ではどうしても思うような赤い色が出なかったんです。

ーー焼き物で、赤い色を出すということですか?

佐藤:そうです。そこに当時、近江化学陶器の東京駐在員だった
奥田七郎という勢いのいい人が「うちなら出せます!」と申し出て。
それで岡本太郎さんを信楽に引っ張ってきたのが最初です。

ーー実際にその技術はあったんですか?

佐藤:まぁ、あったということにしておきましょう(笑)

ーー太郎さんはやっぱり塗り物じゃなく、
焼き物で赤を出したかったんですか?

佐藤:そう。だから近江化学陶器の焼き物技術は
太郎さんの作品にピッタリだったんですね。
1964年に東京の高島屋で大々的な展覧会をされた時、
目玉になる作品として「坐ることを拒否する椅子」
というのを発表されたんです。

ーーこれも、焼き物で?

佐藤:そうです。
他にもこれだけデザインがあるんですよ。
全部釉薬で色をつけています。

ーーこんなに!

佐藤:顔の表情が変わってますよね。
鼻が飛び出してたりして、座るとお尻が痛いんです。私達が先生に
「こんなに尖っていたりして、座りにくい椅子は通用しませんよ」って言うと
「だから坐ることを“拒否”する椅子なんだよ」と。
先生らしいですよね(笑)

伝説の「オリンピック呼び出し事件」

ーー太郎さんは東京にお住まいだったんですよね?
大きい作品を作る時に信楽に来られていたんですか?

佐藤:まず「こんな作品が作りたい」というのがあって、
それをプラスチックにするか、他の材料にするか、絵にするか。
それで焼き物にするとなった時は、信楽に滞在されていました。

ーー信楽を知ってからは、焼き物の時はずっと信楽に?

佐藤:そうですね。小さい物は分かりませんが、
そこそこ大きさのある作品の時は、ほとんど来られていたと思います。

佐藤:例えば、東京オリンピックの時の、代々木競技場のレリーフ。
これの作品は、近江化学陶器の中に制作対策本部を設置して、
信楽が一丸となって作りました。

ーーすごい!どんな人が関わったんですか?

佐藤:当時の近江化学陶器の社長が、若手の陶芸家を集めてね。
先生は「こういうものを作りたいんだ」ということを、
身振り手振りをしながら熱弁されるわけです。

佐藤:現場にいた人達は「今日から君達は岡本組の組員だ!」って
発破をかけられたと言っていました。

ーー芸術家って一人で黙々と作品に向かうイメージですが…

佐藤:先生はいつもみんなの先頭に立ってね。
人を動かすのがものすごく上手い人でした。
普通は1年ぐらいかけて作るような作品なんですけど、
制作を始めたのがオリンピックの年ですから。

ーーえっ、直前ですか?

佐藤:そう、直前。小学校の講堂を貸し切って作ったんですよ。
それをしようと思うと、学校が休みの間でないとダメでしょう?
だから夏休みに作って、オリンピックが10月。
そんなスケジュールで作ってたんですよ。

ーー太郎さんとしては、予定通りだったんでしょうか?

佐藤:いやー、どうでしょう。
これを進めていたのも、さっ言った奥田七郎っていう営業の人でね。

ーー赤が出せるって言った人。

佐藤:そうです。作り方なんて頓着なく、もう行け行けドンドンですよ。
当時その人と、製造を担当していた工場長での2人が
オリンピック組織委員会に呼び出されて、
「近江化学さん!ちゃんと間に合うんでしょうね!?」って問い詰められて。

佐藤:「はいっ、間に合わせます!」って七郎さんは言うけれど、
工場長の方は「間に合うかいなぁ…」と言ってるような状態です。

ーー大変!

佐藤:夏休みだから信楽高校の生徒達が応援に来たり、
近江化学陶器の従業員達だとか、いろんな人を集めて制作されてました。
仕上がってくると大急ぎで近江化学陶器の工場に持って行って
乾燥させて、焼いて。
9月の中頃には貼り付け工事を始めないといけないですから。

ーー芸術家の方って感情の起伏が激しいイメージがありますが、
太郎さんはどうだったんですか?

佐藤:それはありますよね。
先生が現場に入って来てね、今まで作ってきたものを見て
「こんなのダメだ!」ってギャーっと「こうするんだ!」って大鉈を振って、
現場のみんなが「せっかく作ったのに…」って言うなんて場面もありました。

佐藤:当時高校生だった方で「私は岡本太郎先生の汗拭きの担当でした」
って人と話したこともあります。
制作は夏の最中でしょう?
上から俯瞰して全体を見るために、屋根に上がってメガホンを持ちながら
「ここは違う!」とかって指示を出されていました。

ーーオリンピックには間に合ったんですか?

佐藤:はい、きっちり間に合いました。
展示された作品を見るために、
従業員のみんなで積み立てをしてオリンピック会場に行きました。
次の東京オリンピックの準備もすったもんだしてますが、
当時は何もかもが勢いで、今の雰囲気とは全然違いましたね。

岡本太郎さんにとっての信楽とは?

佐藤:昔、先生が縄文に凝っていた時に近くにいた社員から聞いた話で
「先生の作品なんていい加減なもんだよ。
『ここに土をダーっと敷け!』と言われて、何するのかなと思って見てたら
自分の体にムシロを巻きつけて土の上をゴロゴロ転がって、
『良い出来だ』って言ってるんだから」というのがありました。

ーーそれは、作品になったんですか?

佐藤:なりました。記者会見で先生はもっともらしく話をされるけど、
周りで見てる者は「転がっただけだよ」「それは言うな!」って言い合って。
本当に、誰も思いつかないようなことをされる方でしたね。

ーー周りの人は大変だったでしょうね!

佐藤:他にも、先生はピアノがものすごく上手でね。
クラブなんかで生演奏用のピアノが置いてあると
「わしが弾く!」って言って弾いたりされてました。
もともと好奇心旺盛だから、何でも追求したくなるんでしょうね。

ーー岡本太郎さんが信楽に残された影響ってありますか?

佐藤:それはもう、大きいですよ。
オリンピックや太陽の塔の制作が済んだ後、
信楽の名誉町民になっていただきたいと申し出て、快く受けていただきました。
今も、先生の影響を受けて信楽で活躍している陶芸家がたくさんいます。

ーー岡本太郎さんにとって、信楽はどんな場所だったんでしょう?

佐藤:先生は、こんな言葉を残されています。

信楽の静かに空けた空間には

古代からの香り高い生活の響きが生きている

ここの焼きものも その素朴な感情

そして堅牢な味わいに 歴史の深みを感じさせる

私は紫香楽の宮の跡で

日をあびて寝ころびながら

よく感動にたえぬ思いにとらわれる

時代はどんどん進展して行く

この古びた窯の町も

現代的生産に脱皮して行かなければならないだろう

伝統のあるところこそ難しい

町の人も勿論だが 信楽を愛する外部の人間が

一緒に力をあわせて

この町の魅力を生かして行きたいものだ

(岡本太郎『SHIGARAKI土の秘境信楽』信楽町(1968))

佐藤:先生にとって信楽は愛すべき土地であり、
特に気心の知れた、阿吽の呼吸で通じるような人々の暮らす
場所だったのでしょう。

ーー長年培われた、素晴らしい関係があったのですね。
本日は貴重なお話をありがとうございました。

協力:滋賀県立陶芸の森 学芸員 鈎真一さん
(写真:若林美智子/文:林由佳里/企画編集:亀口美穂)

(記事公開日:2020年2月20日/最終更新日:2025年5月20日)

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