伊藤銀次とウルフルズ ⑧ 2ヶ月おきのマキシシングル第1弾は「トコトンで行こう!」
連載【90年代の伊藤銀次】vol.14
予想よりもはるかに素晴らしい仕上がりとなった「すっとばす」
僕とメンバーの忍耐力の産物、ウルフルズのセカンドアルバム『すっとばす』は、とにかく妥協することなくがんばって取り組んだおかげで、当初の予想よりもはるかに素晴らしい仕上がりとなったが、気がついたら8曲レコーディングを終えた段階で、なんと締切日がきてしまったのだ。
やばい!フルアルバムで8曲ではまずい!! そこで東芝EMIの担当ディレクターの子安次郎さんに相談してみると、トータルタイムが40分を超えているのと、中身の充実ぶりを喜んでくださって、ありがたいことにOKをいただくことができた。しかもなんと社内での反響や評判もとてもよいとのこと。まさに苦労や疲労がいっぺんに吹き飛ぶうれしい反応だったのである。そしてさらにまた子安さんからうれしい提案が!!
通常、それまでのポップス / ロック系のアーティストは1年にアルバム1枚、そしてその先行シングル1枚をリリースするのがお定まりだったけれど、それだとせっかくのこのいいノリが途絶えてしまうので、あいだをおかず2ヶ月おきにマキシシングルをリリースしていこうという予想もしてなかった前向きな作戦に!!
このマキシシングルというのは、1960年代、まだアナログレコードの時代によくリリースされていた “コンパクト盤” に近いもので、“ミニアルバム” よりも曲数が少ない3曲~4曲入り。彼らのライブのレベルアップを図っていきながら、間髪をおかぬリリースで常に話題を絶やさずに進めていこうという、過酷だがナイスな作戦だったのだ。
このマキシシングルという言葉は、僕の知る限りでは、それまでに耳にしたことがなかった言葉。大滝詠一さんの「びんぼう」のカバーなど、冴に冴えたアイデアマン、子安さん発のこの作戦がその後、徐々にじわじわ効いてきて、のちの「ガッツだぜ」のヒットにつながっていったことは言うまでもない。
「すっとばす」の勢いのままにレコーディングされた「トコトンで行こう!」
そして「すっとばす」に続くこのマキシングルのレコーディングは、彼らのファーストアルバムの『爆発オンパレード』を録音していたメジャーなスタジオ、天王洲アイルにあった東芝EMI系列のstudio TERRAでふたたびレコーディングされることになったこともうれしい出来事だった。
「おお、戻ってきたぜい!!」
studio TERRAでの初日のこのトータスの一言には実に実感がこもっていたね。逆境を自らの力で跳ねのけて、実力で “テラ” に戻ってきたという、深い想いに溢れていたよ。
そして『すっとばす』の勢いのままにレコーディングされたのが、1995年3月15日にリリースされた、タイトル曲の「トコトンで行こう!」「安産ママ」「それがドーシタ」の3曲が収録された『トコトンで行こう!』。
ジャケットに “Mission UNBELIEVABLE Vol.1” という副題がついているのは、2ヶ月おきのリリースがいかに過酷なミッションだったかを表しているのだが、徐々に開花を見せてきてた天才的ソングライター、トータス松本と、その引き出し役の僕とで組むことになったコンポージングチームにはそれほど過酷なことでもなかった。
次々と素晴らしいメロディーと言葉を紡ぎ出すトータス松本
僕が働きかけると、トータスは次々と素晴らしいメロディーと言葉を紡ぎ出してくれた。とはいえ僕が彼に掲げたハードルはかなり高いものだったので、トータスはかなり大変だったと思う。でもそれはトータスならば絶対に飛び越えられる、そして飛び越えてほしいと思って掲げたハードルだったので、けっして策のまったくないただの “いじめ” ではなかったつもりだ。
実は彼らの初のマキシシングル『トコトンで行こう!』は、当初この3曲に「大阪ストラット」を加えた4曲入りでリリースされるはずだったのだが、歌入れとミックスで出かけたロンドンでのある出来事のおかげで、急遽このマキシシングルからはずさなければならなくなったのだ。そのことについては、このマキシシングルのお話を済ませてからまた後述するとして、まずはタイトル曲の「トコトンで行こう!」の制作エピソードについて話すことにしよう。次回に乞うご期待!!