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レーシングドライバーの脇阪寿一さん2周目!ミスターSuperGTと呼ばれるキッカケとは?

TBSラジオ

カーマニアの安東弘樹が、これまた車が大好きな方をお迎えしてお送りする番組。
先週に引き続き今週もレーシングドライバーの脇阪寿一さん登場!
「ミスターSUPER GT」の称号を得るキッカケとなったのは、あのレジェンドドライバーだったそうです。

脇阪寿一さん

19歳でカートデビューをキッカケにステップアップを図り1995年、22歳の時に全日本F3選手権でデビュー。
その後も日本最高峰のフォーミュラーニッポンやSUPER GTで輝かしい戦績を残し「ミスターSUPER GT」の称号を得ます。
2016年、SUPER GTドライバーからの引退。
その後もチーム監督に就任、ご自身のレーシングチームの立ち上げ、さらにレース活動以外でもイベントプロデュースなどにも携わり、モータースポーツの魅力を発信されています。

SuperGT参戦のキッカケ

カートの世界から22歳、全日本F3選手権を経てレーシングドライバーの道を歩み始めた脇坂さん。
その後も順調にステップを重ね、1996年にはF1のテストドライバーにも抜擢されるようになります。
しかし当時のF1の政治的な一面を受け入れることができず、“走ること自体”すら辞めようかと悩んでいた時期もあったそうです。

そんな脇阪さんに声をかけたのが全日本GT選手権(現SuperGT)に参戦の童夢の代表、林みのるさん。
「98年のシーズン、残り2戦に出場して1勝を挙げてほしい」と言われスポット参戦した脇阪さんは、なんと最終戦のSUGOで優勝!・・・した後、なんと車検で失格というオチ。
しかし林代表に実力を認めてもらった脇阪さんは翌年から童夢でSuperGTにフル参戦します。
その時の林代表からの口説き文句が「お前のためにマシンもチームも用意する」

ミスターSUPER GTと呼ばれたキッカケ

SuperGTフル参戦となった1999年シーズンから圧倒的な速さで活躍した脇阪さん。
本人曰く「ライバルのマシンよりも速い車だっただけ。僕が速いわけじゃない」とご謙遜。
少しでも速く走るために徹底的に準備をしてレースに臨んでいたと語ります。

そんな脇阪さんですが、あるレースで前を走るドリキン・土屋圭市さんをあっさにぶち抜いたことが。
そのレースの後、なんと土屋さんからあるメッセージが送られてきたそうです。
そこに書かれていたのは「簡単に抜くんじゃない。見せどころで勝負しろ」。

当時は「何を負け惜しみを・・・」と思った脇阪さんですが、後日、再び土屋さんとバトル!
そこで語り継がれる名バトルを演じたところ、再び土屋さんから連絡が。
「あの時の観客を見たか!総立ちだっただろ!」
つまり観客を魅了するバトルの大切さを教えてもらったと共に、命をかけたバトルを繰り返しながら土屋さんは観客まで見ていたことに愕然。
「この人にはまだまだ追いつけない」と若かりし頃の脇阪さんは思ったそうです。

そんな経験を経て、ファンを増やすためにはどうすればいいか。
そんなことを考えながらSuperGTでステアリングを握り続けた脇阪さんは、いつしか「ミスターSUPER GT」と呼ばれるようになったそうです。

(TBSラジオ『GARAGE HERO’s~愛車のこだわり~』より抜粋)

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