13回目の「結婚記念日」と「義父の七回忌」に思うこと
潜在意識インタビュアーkahoのコラム【良い人生は後から】 「良い花は後から」ということわざがあります。先に咲いた花よりも、後に咲いた花の方が美しいという意味を持つこの言葉。人生も同じだと思いませんか? 酸いも甘いも経験した40代頃からのほうが人生の豊かさを感じられるようになります。そんなことを意識しながら生きているkahoが日々思うことをお届けします。
私たち家族にとっての11月11日
11月11日は、私たち夫婦の13回目の結婚記念日であり、お義父さんの6回目の命日だ。
このコラムが更新される日に七回忌の法要を行う。毎年この日は、「夫婦として、また1年成長したね」と感じる日であり、この姿を近くで見ていてほしかったな……と、お義父さんを思う日でもある。
2011年8月、夫のご両親へ結婚の報告をするため義実家の近くのお店で食事をした。
「俺たち、結婚することにしたから」
食事がはじまってもなかなか本題を切り出さない夫。「これは何の会なんだ?」という空気が流れだし、お義父さんが4杯目の生ビールを飲み干した頃、突然の報告。それを聞いたお義父さんが、
「僕に娘ができるの? ほんとに? ほんとに? バンザーイ! バンザーイ!」
と、店中に響き渡るほどの大きな声でバンザイをした。夫は男3兄弟の長男。
「私は父がいないので、お父さんができてとっても嬉しいです」と言ったら、義両親は、「こちらこそ」と笑ってくれたけど、目には涙が溢れていた。義両親と私が泣く中、夫だけはマイペースにビールを飲み続けていた。
その年の11月11日。4人で区役所に行って入籍をした。だから、その日が私たちの結婚記念日。
「一緒に行きましょう!」と誘ったのは私で、お義父さんとお義母さんは、雨の中、喜んで最寄り駅まで来てくれた。
お義父さんの携帯に残っていたのは……
入籍から7年経った2018年11月11日。お義父さんは天国へと旅立った。
体調が悪いと連絡がきたのが10月末。慌てて仕事を調整し、病院に連れて行ったらそのまま入院となり、その日からたった17日目のことだった。
「嫁らしいこと、なんにもできなかった」
そう言った私にお義母さんが、「kahoちゃんがお嫁に来てくれて、娘ができて、お父さんの人生の後半がどんなに潤ったかわからないわ」と言ってくれた。
お義父さんは、受信メールや送信メールを都度削除する人だった。送ったり受け取ったものが携帯の中に溜まっていくのが好ましくないようだった。
訃報を知らせるため、お義父さんの携帯の電話帳を確認していた夫が、「kahoからのメールだけ残ってる! 親父がメールを残してるなんて信じられない」と言いながら携帯を見せてくれた。
受診フォルダに数通残っていたのは、結婚後、私が毎年お義父さんの誕生日に送っていたお祝いメールだった。
「なんでもすぐ削除しちゃうお父さんも、かわいい娘からのメールだけはどうしても消せなかったのね」
と、お義母さんが言うを聞いて涙が止まらなかった。
お義父さんが遺した言葉
お通夜、告別式には多くの人がお義父さんとのお別れにきてくれた。
結納の日に撮影した、とびきり笑顔の写真を遺影にした。参列してくれた私の友人がその遺影を見ながら、 「お葬式って、その人がどれだけステキな人生を送っていたかがわかるね」と言った。
1年、365日。たくさんある日の中から、私たちが家族になった日を選んで逝ったお義父さん。ほんとにお茶目で最高に愛おしい人だ。
「僕のこと、忘れないでね」と笑っている顔が目に浮かぶ。
告別式の夜、お義母さんがお義父さんから託されたという言葉を教えてくれた。
「入院中、お父さんが目の前にいるのにメールを送ってきたの。『この言葉を子どもたちに伝えほしい。小学校2年生の時に聞いてからずっと大好きな言葉だから』って」
そう言って見せてくれた携帯の画面にあった言葉。
「今日という日をほがらかに 明日という日をにこやかに」
私たち家族は、この言葉をとても大事にしている。この言葉の通りに日々を過ごせるように、家族みんながお義父さんを思いながら生きている。
お義父さん。私たち、今年もまた夫婦として成長しましたよ~!
潜在意識インタビュアーkaho/ライター