子供の時にもらったお年玉1万円で「何を買うべきだった?」 ライトゲーム愛好家が回顧
馬齢を重ねて36歳になった。今では正月になると私が姪と甥にお年玉をあげる立場だ(実際は、まだそんな年齢でもないけれど)。このようなトシになると、しきりに悔いる。とりわけ「あの金で何が買えたか?」とセコいことを悔いがちな、ゲンキンなばかである。いつまでも学ぶことのない私というアラフォーが、もし少年時代に戻れるなら、「あのお年玉の1万円を何に使うか」を考えてみたい。
大人が思う「お年玉の真の活用術」
自分自身がどのような用途にお年玉を使ったか、今では定かではない。十年ほど前、まだ生きていた祖母が無造作に机に3万円を放り投げて、にっと微笑んで「やる」と言った。すでにライトソルトに顔を突っ込みかけていた時期だが、それも釣り具に使ったというような記憶はないから、だらだら使ったのだろう。
しかしそうしていろんなお金を背後にしてくると、「あの金で何が買えただろう」と思うことも度重なってくる。私など本当に記憶をよみがえらせながら、指折り、無駄遣いした金を思い返すほどだ。少年時代なんて無償でお年玉をもらえていたのだから、苦労を知らないぶん、目先の娯楽に飛びついて使ったのに違いない。だが、大人になると「真の活用術」が見えてくる。やはり、長続きしそうな趣味ややりがいのあることに使ったほうがいいのだ。
当時に戻って1万円使うなら
もし今私が2000年代初頭の少年時分に戻るなら、お年玉はどう使うだろうか?行く末このような釣り人になるのだから、その下積みをより強固なものにしたほうがいいに違いない。当時は、振り出し竿でバスフィッシングをやっていた。ドラグの使い方も知らなかった。しかし釣りはかなり好きだった。
当時の私のお年玉の合計は25000円前後だったと記憶している(どうしても兄と差別化するため、いくらか下げられた。家督制度め)。平成初中期なんてまだ物価も上がっていない。父に買いに行かされる煙草は220円とかだったかな。ルアーも1000円くらいだった。ラパラが棚落ちしていたこともあった。
13、14の私は、わくわくしながら、釣具点に入っていく――(確かフィッシング・エイト玉津店が最寄りの店だった)。野池のバスを、ラパラで釣ることにしよう。PEラインも生意気に先取りしてやるか。お店のスタッフさんに、ドラグの使い方を聞く。そして廉価で一番いいバスロッドを教えてもらう……。
16ならば、もうバイクの免許もある。明石が近いので、それこそライトゲームだ。しかし、せいぜい2004年くらいに、ライトゲームタックルはあったのだろうか?ちょうど産声を上げた頃かもしれない。出始めの道具を揃えて、当時の最細号数のPEラインでメバリングなんて始めたら、父もひっくり返るだろう。
今1万円のお年玉がもらえたら!?
とあるF‐1レーサーの言葉をよく覚えている。「俺はレースで成功して何もかもを手に入れたが、貧しかった少年時代、市場で唾を呑んで見つめたピザだけは今になっても絶対に手に入らない。永遠にその味を知ることができない。そのときにしか手に入らないものがあるんだ」と。つまり<今>こそ一番の財産だ。
ということで、過ぎた金を悔やんでも仕方ないので、もう少し私もポジティブに考えてみるとする。今もし、寸志でも出て一万円もらえたらどうするだろう?
こんな話をしているとルアーやワームを爆買いしたくなってくるが、ここは一度、それこそ冷静になる。少年よ、我に返れ。おまえは今でもあり余るほどルアーやワームを持っているはずだ。使わないアジングロッドを整理して、3万円追い金して、7万円の理想のロッドを買ったほうがいいんじゃないか?
確かにそうするべきだ。高価な物を買い時間をかけるほど、その道には退路がなくなる。素晴らしい。
ゲームをするなら釣りがおすすめ
今お年玉をうまうま3万円入手する少年たちは、何に使うのだろうか?ゲームかな。まあ別にそれでよろしい。しかし、同じゲームをするなら、釣りというゲームをしてみてはどうだろう?
お年玉で買ったそのゲームに、君はすぐに飽きることになる。しかし、釣りは人生を通して続けられるゲームなのだ。
<井上海生/TSURINEWSライター>