横浜と水の記憶をたずねて急坂を上り下り。大岡川~野毛山~水道道【「水と歩く」を歩く】
連載の前回では、馬車道から吉田町、大通り公園から横浜市営地下鉄の伊勢佐木長者町駅までを歩き、河川跡や防火帯建築など、戦後横浜の景観の変化を感じられる場所を訪れた。今回はその続きで、大岡川の震災復興橋梁や野毛の配水池など、前回とはまた異なる「横浜と水」の風景を歩いてみることにした。
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末吉町・若葉町に存在した飛行場とは?
伊勢佐木長者町駅を出て県道21号横浜鎌倉線(通称鎌倉街道)を渡り、伊勢佐木町通りを横切る。平日の午後ということもあって人通りもそれほど多くない。伊勢佐木町~福富町周辺がにぎやかになるはのはもっと遅い時間なのだろう。前回歩いた馬車道から吉田橋を渡った先に位置するのが伊勢佐木町で、明治期から日本屈指の繁華街として発展した。隣接する福富町、若葉町を含め伊勢佐木町一帯にはタイ料理やベトナム料理、“ガチ中華”のお店も多く、道を歩いているといろいろな言語が聞こえる。東東京住民の私にとっては錦糸町と浅草六区を足したような、どこか親しみを感じる雰囲気だ。
伊勢佐木町通りと大岡川に挟まれた末吉町、若葉町一帯にはかつて飛行場があった。戦後横浜の市街地が米軍に接収され、末吉町・若葉町周辺は小型飛行機が発着する飛行場として整備された。当時の痕跡は全く残っていないが、南西へ延びる道を見ていると、どことなく滑走路のように見えてくる。
末吉町の道にかつての滑走路を見た後、再び大岡川へ向かう。途中、壁に大きな絵の描かれたビルを見つけた。これも現存する「防火帯建築」のひとつ「小此木第二ビル」だ。現在は1階にカフェなどの飲食店やコインランドリーなどが入っている。
大岡川に架かる震災復興橋梁を渡り、かつての川の交差点へ
横浜市は大正12年(1923)の関東大震災で大きな被害を受け、その後の復興事業で大岡川、中村川、堀川、堀割川などに架かる橋梁が帝都復興院と市によって建造された。それらの橋は「震災復興橋梁」と呼ばれ、市内には37の橋が現存する。
南区、西区、中区を流れる大岡川沿いには山王橋、一本橋、道慶橋、太田橋、黄金橋、旭橋、長者橋、宮川橋、都橋の9つが残っている。この日は大岡川の両岸を行き来しながら旭橋から都橋まで4つの橋を歩くことにした。
先ほど歩いてきたルートからいちばん近いのは旭橋で、並行して旭橋人道橋が架かっており歩行者はそちらを通るようになっている。
末吉町から旭橋を渡ると日ノ出町で、京急本線日ノ出町駅も近い。河口に向かって川沿いに歩くと次に見えてくるのが長者橋だ。御影石張りのコンクリートアーチ橋で、美しい曲線も相まってシンボリックな印象を受ける。建造は旭橋と同じく昭和3年(1928)で、2022年には横浜市認定歴史的建造物となった。
長者橋のたもとには橋詰広場と呼ばれるちょっとした空間が整備されており、左岸上流川側には日ノ出町出身の作家長谷川伸(しん)の碑がある。
戯曲『沓掛(くつかけ)時次郎』や小説『瞼(まぶた)の母』などの作品で知られる大衆文芸作家だ。祖父の兄が横浜開港時に土木請負業を興し財を成すも、家業を継いだ父の代で没落、小学校を中退して横浜ドックで働き20歳で新聞記者となった後、小説家・劇作家に転じた。解説版の文章は評論家・平岡正明によるもので、平岡自身も横浜に住みミニコミ誌「ハマ野毛」の主筆を務め「野毛大道芝居」に参加するなど野毛にゆかりが深い。
長者橋からさらに河口の方へと歩いていくと宮川橋があり、橋の下流側には野毛都橋商店街ビルが見える。戦後野毛の路上で営業していた露店商を集めるために建てられたビルで、大岡川の曲線に沿って川に突き出しているのが特徴的だ。2016年には横浜市の登録歴史的建造物となった。
さらに下流へ歩くと都橋が見えてくる。安政6年(1859)に横浜港と東海道を結ぶ横浜道の一部として架けられ、当時は「野毛橋」と呼ばれる木造橋だった。明治15年(1882)に鉄製のボーストリングトラス橋に架け替えられるも関東大震災で崩落、昭和3年(1928)に震災復興橋梁として建設され、1983年に改築され現在の姿となった。
都橋を過ぎると見えてくるのは2本の桜川橋だ。ここはもともと桜川と派大岡川が大岡川と交わる川の交差点だったが、桜川は1954年に、派大岡川は1977年に埋め立てられた。現在桜川跡は新横浜通りとなり地下を横浜市営地下鉄が走る。
桜川橋の下流には大江橋があり、前回の冒頭で言及した『横浜都市発展記念館』の企画展「運河で生きる ~都市を支えた横浜の“河川運河”~」(2025年1月18日~4月13日)では大江橋付近の水上ホテルの写真が展示されていた。展示図録によると「昭和24年(1949)年11月に設立された浮浪者対策の社会事業施設で、横浜市社会事業協会所属の4隻と個人経営の3隻計7隻が大岡川沿いに係留されていた」(p44)という。現在、大岡川の大江橋付近には水上ホテルではなく真新しいビジネスホテルが立っている。
桜木町駅から野毛坂への道で出会った水道管
桜川橋を渡り、新横浜通りを桜木町駅方面に進み、動物園通りを抜けて野毛坂に出る。途中、動物園通りの脇の公園の一角に奇妙なオブジェのようなものを見つけた。近づいてみると古い水道管を利用した「日本近代水道最古の水道管」の記念碑のようだ。水道管の中央のレリーフは「近代水道の父」と呼ばれたヘンリー・スペンサー・パーマーの肖像だ。
野毛坂を上っていると街灯に「成田山」と書かれた幟(のぼり)が掲げられている。横浜で成田山?と不思議に思ったが、近くにある「成田山横浜別院延命寺」の幟のようだ。開港した横浜には成田不動尊を信仰する東京や千葉からの移住者が多く、成田山新勝寺への請願を受けて明治3年(1870)に遥拝所が設けられたのが始まりで、現在の敷地は高島嘉右衛門(高島易断の祖として知られ、明治はじめの横浜のまちづくりに重要な役割を果たした実業家)からの寄進を受けたものだという。
野毛坂を上り横浜駅根岸道路との交差点まで来るとその向こうに立派な石垣が現れる。明治23年(1890)から明治26年(1893)の築造とされる横浜市認定歴史的建造物「旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁(ようへき)」だ。
亀甲擁壁に圧倒されながらさらに野毛坂を上ると野毛山公園が見えてくる。公園内いちばん手前が散策地区となっていて、その奥が野毛山動物園、野毛山通りを挟んだ左手が旧野毛山配水池や展望台のある展望地区となっている。
野毛山公園に残る旧野毛山配水池
坂を上り切ったところで野毛山公園展望地区のつり橋が見えてくる。インダストリアルデザイナーの柳宗理によるデザインで、公園内の案内板などのデザインも柳が手がけている。柳はその他にも横浜市営地下鉄の設備一式をデザインしており、横浜との関わりも深い。
つり橋の脇のスロープを上ると柵の中が小高い丘のようになっていて、ドーム屋根の奇妙な構造物が芝生から顔を出している。この小高い丘が「旧野毛山配水池」だ。明治20年(1887)、イギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーの指導によって日本最初の近代水道が敷設され、野毛山の地に浄水場として造成された。関東大震災により崩壊したのち昭和2年(1927)に野毛山配水池として再建され、1995年に耐震性の不足などを原因に廃止された。現在は隣接地に建設された新たな配水池がその役割を担っている。
野毛坂を上る時に見た水道管の記念碑にもヘンリー・スペンサー・パーマーのレリーフがあったが、旧野毛山配水池の隣にも彼の像が設置されている。
配水池の脇には“水道みち「トロッコ」の歴史”と書かれた解説板があり、以下のような文章が記されていた。
「この水道みちは、津久井郡三井村(現:相模原市緑区三井)から横浜村の野毛山浄水場(横浜市西区)まで約44kmを、1887年(明治20年)わが国最初の近代水道として創設されました。運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷き、トロッコを使用し水道管を敷設しました。横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です」
案内板にある地図を見ると、現在私のいる旧野毛山配水池(現・横浜市西区老松町)から三井用水取入所(現・相模原市緑区三井)までを結ぶ道のりに赤い線が引かれており、どうやらそのルートを水道道(みち)と呼んでいるようだ。公園の脇の階段を下りて道路を渡った先にその水道道が続いているようなので、歩いてみることにした。
相模原と横浜を結ぶ「水道道」を上り下り
野毛山動物園の横を通りすぎたあたりから急な下り坂となっていて、道路脇の解説板には「水道道と尻こすり坂」と題して以下のような説明があった。
「西区を通る水道道の藤棚から野毛山までの区間は、上り下りを繰り返すらくだのこぶのようでもあることから、「らくだ坂」とも呼ばれていました。野毛山に近いこのあたりの坂は、あまりの急な勾配に荷車を引く人達がお尻で車を押さえながら下っていたことからいつしか「尻こすり坂」と呼ばれるようになったそうです。尻こすり坂の階段を併設している区間の最大斜度は13°あまりです」
荷物を尻で押さえるから「尻こすり坂」と呼ばれたらしい。イメージ的には「尻をこすりながら滑り落ちてしまうほど急坂」を由来とする方がしっくりくるが、こうした言い伝えにはおそらく諸説あるのだろう。なんとなく尻を守るように押さえながら下りてしまう。
坂を下りる途中からうっすらと視界に入っていたので嫌な予感はしていたのだが、急坂を下り切った先にあるのは、下りてきた坂と同じくらい急な角度の上り坂だ。写真でどの程度伝わるかわからないが、ちょっとした壁のように感じるくらいの迫力がある。
坂を上り切ったその先はまた下り坂になっていて、水道道はこのまま相模原の方まで続いていく。数分歩く間にこれだけ急な坂を上り下り(下り上り)するのは、真っ平な東京低地で育った私にとっては新鮮な体験だ。高台からの眺望をうらやましく思うが、この坂を毎日行き来するのは大変だろうなとも思う。
水道道を逸れて西戸部町の高台を下り、桜木町方面を目指すことにする。民家の合間の細く急な階段を下りると、斜面の途中には草が生い茂ったままの土地や、それなりに古そうな立派な石垣を見かけた。
西戸部町の高台を下りると丘陵に挟まれた谷戸のような道に出る。地形アプリ「スーパー地形」によると、先ほどの水道道の坂を上り切ったところが標高40mくらい、坂を下りたこの辺りは15~16mほどだ。ランドマークタワーが見えるので桜木町駅の方向があちらだとわかる。しばらく歩くと横浜駅根岸道路にぶつかり、道沿いに東へ進むと戸部道路と合流する交差点に出る。戸部・野毛の丘と呼ばれるこのあたりには開港まもない頃から行政事務所や奉行所が置かれ、官庁街が形成された。現在は紅葉坂に沿って神奈川県立図書館や県立青少年センター、県立音楽堂などの文化施設が並ぶ。
紅葉坂を下りるとようやく桜木町駅だ。今回の取材では前編で馬車道〜大通り公園を、後編で大岡川沿いから野毛山を歩いた。戦後埋め立てられたいくつかの河川運河を訪ねたが、大岡川と中村川、JR根岸線に囲まれた土地がそもそもは入海を干拓した土地(吉田新田)であることを思うと、人の手で土地を開き川を造り、それをまた埋めるというとてつもない営みの上に現在の横浜の風景があるのだと気づく。
取材・文=かつしかけいた 撮影=かつしかけいた、さんたつ編集部
【参考文献・URLなど】
・伊勢佐木町
伊勢佐木町150周年特設サイト[ISEZAKI 150th 2024] 「150年の歩み」
https://150th.isezaki.jp/history.html
・防火帯建築
藤岡泰寛 『横浜の防火帯建築と戦後復興』「小此木第一・第ニビル」
http://bokatai.blogspot.com/2014/01/blog-post.html
・震災復興橋梁
横浜市公式ウェブサイト「震災復興橋梁」
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/doro/kensetsu/kyoryo/shinsaifukkokyoryo.html
横浜市記者発表資料(2022年3月24日)「『長者橋』を歴史的建造物として認定しました!」(横浜市公式ウェブサイト)
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/ikasu/rekishi/chyoujyahashi.files/0008_20220325.pdf
横浜市道路局橋梁課「はしのはなし」 第十四稿 長者橋物語(横浜市公式ウェブサイト)
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/doro/kensetsu/kyoryo/hashinohanashi.files/0017_20221005.pdf
はまれぽ.com「横浜市内に古くからある「橋」の歴史を教えて!」
http://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=2190
歌舞伎用語案内 作者人名録 長谷川伸
https://enmokudb.kabuki.ne.jp/phraseology/3569/
・野毛都橋商店街ビル
文化庁HP 近代の文化遺産の保存と活用「野毛都橋商店街ビル」
https://www.bunka.go.jp/kindai/kenzoubutsu/research/kanagawa/015/index.html
横浜市都市整備局都市デザイン室『歴史を生かしたまちづくり横濱新聞』第33号(2017年11月30日発行)「都橋商店街ビル」(横浜市公式ウェブサイト)
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/ikasu/np.files/0007_20221228.pdf
・桜川、派大岡川
横浜市道路局河川企画課「川のはなし」 第八稿 大岡川(桜川と派大岡川の歴史)(横浜市公式ウェブサイト)
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kasen-gesuido/kasen/kouhou/kawa-hanashi/kawanohanashi.files/0019_20210323.pdf
・高島嘉右衛門
横浜都市発展記念館『ハマ発Newsletter』第18号(2012年12月)「維新の起業家・高島嘉右衛門」(『横浜都市発展記念館』公式HP)
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/hamaN/hamaN18.html
・旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁及び煉瓦塀
横浜市公式ウェブサイト「旧平沼専蔵別邸亀甲積擁壁及び煉瓦塀」
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/design/ikasu/rekishi/nogeyama-kikkou.html
・横浜市西区
横浜市公式ウェブサイト 横浜市西区「知ってる?西区のむかし」
https://www.city.yokohama.lg.jp/nishi/shokai/80kinenjigyo/nishikunomukasi.html
・野毛山公園
野毛山動物園公式サイト「野毛山公園」
https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/nogeyama/nogeyamapark.php
・柳宗理
柳工業デザイン研究会 作品紹介「横浜野毛山公園の歩道橋と案内板」
https://yanagi-design.or.jp/works_groups/1515/
柳工業デザイン研究会 作品紹介「横浜市営地下鉄の設備群」
https://yanagi-design.or.jp/works/547/
・神奈川県立青少年センター
文化庁HP 近代の文化遺産の保存と活用「神奈川県立青少年センター」
https://www.bunka.go.jp/kindai/kenzoubutsu/research/kanagawa/012/index.html
かつしかけいた
漫画家・イラストレーター
葛飾区出身・在住の漫画家・イラストレーター。2010年代より同人誌などに漫画を発表。イラストレーターとしても雑誌や書籍の装画などを制作する。2021年よりWebコミックメ ディア「路草」にて『東東京区区』を連載中。