「世の中そんなに簡単に解決することばかりではない」という基本認識は本当に重要
こんにちは、しんざきです。
この記事で書きたいことは、以下のようなことです。
・「悩める社会人のための精神分析からの処方箋」という本を読みました
・筆者さんの社会人時代の具体的なエピソードを下敷きに、精神分析の色んな概念について解説する、読みやすくわかりやすい本でした
・「悩みを解決する」というよりは、「悩みと関連する概念を知っておくことで、悩みの解像度を上げやすくする」ための本という印象でした
・ネガティブ・ケイパビリティについての章が、本書の性質ともあいまって特に面白いと感じました
・ネガティブ・ケイパビリティとは、「すぐに答えが出ない状態に耐え、留まり続ける能力」のことです
・「分からない」状態ですぐ結論に飛びつくのではなく、じっと耐え続ける能力は、仕事でも趣味でも、あらゆる場面で重要なことだと思います
・面白かったので皆さん読んでみてください
以上です。よろしくお願いします。
さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、あとはざっくばらんにいきましょう。
妻にお勧めされて、精神分析についての本を読んだ話
自分が知らない専門分野について、詳しい人から話を聞くのが昔から好きです。
「なにそれ知らない」と感じることの楽しさ、「そんな概念があるのか」と感じることの面白さといいますか、深く理解できなくても、取り敢えず脳の書棚に「こういう知識もあるらしい」というインデックスが追加されるだけでも楽しいし、嬉しいんですよね。
しんざきの妻は学生の頃から心理学をやっていて、臨床心理士の資格を持っています。
一方私の専攻は日本語日本文学で、奈良時代の文献については多少知っているんですが、心理学についてはほとんど何も分かりません。
昔、「ダライアス外伝」というゲームのサントラに何故かひたすらユング心理学の話が書いてあって、元型とかセルフとかグレートマザーとか、ゲームとはほぼ関係がないように思える難解な話を、頭の中が「????」となりながら読んでいたんですが、それが私と心理学とのほぼ唯一の接点でした。
そんな私に、妻は折々フロイトの話やアンドレ・グリーンの話をしてくれまして、時々レポートの添削を手伝ったりしていたんですが、今回本を一冊勧めてくれました。それが、「悩める社会人のための精神分析からの処方箋」という本です。
ざっくり紹介すると、心理療法士になる前は医療機器メーカーに勤めていた筆者さんの経験を背景に、社会人が突き当たりそうな悩みについて、関連する精神分析の概念を起点に掘り下げを試みる、という内容です。
全章の構成が、「メーカー勤務時代の筆者さんのエピソード紹介→関連する精神分析の概念についての説明」という形になっており、「あーあるある」と思いながら楽しく読めました。
エディプス・コンプレックスとかナルシシズムとかトラウマとか、一般用語として知ってはいるものの、精神分析の観点からきちんと掘り下げたことはない、という言葉が、身近なエピソードから解説されるので、その点筆者さんの「社会人にわかりやすい書き方をしよう」という試行錯誤も伺え、丁寧に書かれているなーという印象でした。
ただ、そんな中でも、「言葉としては聞いたことがあるが、中身はよく知らない」という概念の代表格として、ネガティブ・ケイパビリティについての話が、仕事でも趣味でも重要な考え方だなーと思ったんですよ。
ネガティブ・ケイパビリティについての文章が腑に落ちた話
ネガティブ・ケイパビリティとは、「すぐに答えの出ないような状況に留まり続ける能力」のことです。元々は19世紀のジョン・キーツという詩人が言った言葉なのですが、近年再注目されている概念でもあり、精神分析においても重要と言われているそうです。
ちょっと本書の文章を引用します。
『キーツはこのネガティブ・ケイパビリティを文学において創造的な仕事を成し遂げるために重要なものであり、シェイクスピアがそれを備えていたのだとしています。ぱっとよい答えが思いつく能力ではなく、答えが出ない状況に留まる能力が重視されているわけです』
『私は本書で、こういう面もあるけれどこういう面もあるとか、このことはまだはっきりとは分からないとか、そうした曖昧とも言えることを書いてきました。絶対こうだから、こう理解したら人生上手くいくよ、という書き方はしてきませんでした』
なるほどなあ、と。
正直なところ、「悩める社会人のための精神分析からの処方箋」を読んでいる間、ネガティブ・ケイパビリティの章にたどり着くまでは、「処方箋」というタイトルから受けるイメージとはやや異なり、「社会人の悩み」のための「回答」という印象ではないなと思っていたんです。
ただ、それ自体、ネガティブ・ケイパビリティの観点から言うと「答えをぱっと求める」という行為であって、簡単に答えが出るような話であれば、そもそもこの本で取り上げるようなテーマにはならないんですよね。
「ちょっとした文章で目の前がぱっと開けた」という話は美しいですし、そういうことが全くないとは言いませんが、そればっかりで済めば誰も人生苦労はしない。大抵の問題は、そんなに簡単に解決策や答えが転がっているものではなく、時には時間しか解決しないこともあるし、そもそもゼロイチの選択肢がとれない話もたくさんある。思い悩みつつできることをやっているうちに、ようやく従来より多少マシな課題解決の端緒がうっすら見える、というような問題ばかりなわけです。
本書内で、精神分析の過程でも、「患者さんの悩みにすぐ答えを出すのではなく、悩みを少しずつ言語化していく中で、少しずつ分析家の処理能力を患者さんに内在させていく」という話が出てくるのですが、これがまさに、色んな問題の現実解だよなーと思ったわけです。
「分からない」という状況でもすぐ答えに飛びつかず、じっとそれに耐えることが重要、というのは大変納得感のある話でもあり、その点筆者さんの思い通りに思考してしまったなーという点で、やられたーという悔しさも味わえた、大変意義深い読書体験だったと考える次第です。
仕事の上でのネガティブ・ケイパビリティの重要性について考えた話
それはそうと、しんざきは元々DBを中心としたITエンジニアではあるのですが、最近は技術的な仕事というより、コンサル的な立ち位置でお客様に接することが増えています。色んな人が色んな部署で抱えている課題について、もっともマシな解決法は何かを考えて提案する、というような仕事です。
そこでつくづく思うのは、「ぱっと答えが出るような問題なら、そもそも自分は呼ばれてない」ということなんですよね。
技術者としては、自分の技術知識でぱぱっと課題の解決法を見つけて、ぱぱっと解決してお客様を喜ばせたい。実際、例えば課題が「システムの特定機能がやたら遅い」というようなわかりやすい内容であれば、「あーこれINDEX当たってないっすね」とか言いながらチューニングするだけで話は済むんですが、今日びその程度の話ならDB標準のチューニングアドバイザが一瞬で見つけて、解決法までセットで指摘してくれます。
ただ、実際お客様が悩んでいるのは、遥かに複雑な色んな課題の集合体で、調べないといけないことや考えないといけない要素がやたら多いどころか、そもそも「最適な回答」自体が存在しなかったりします。何かをとったら何かを捨てることになり、「Aがいい」という人がいれば「Bがいい」という立場もあり、そんな中で散々悩みつつ、色んなバランスをとりながら「これが一番マシでは?」という妥協点を探り出していく。
そういう状況で禁物なのは、「わかりやすい結論に飛びつく」ことです。
ちょっと考えれば出てくるような結論で話が終わるなら、誰かがとっくにやっている。もちろん、「明確な解決法」がある課題だって中にはあるんですけど、それでもどこかに埋まっている罠があったり、その選択肢をとれなかった理由があったりする。だからこそ、すぐに結論を出したい誘惑に耐えて、あれは大丈夫かこれは問題ないかと、脳みそに汗をかいて色んな要素を埋めていかないといけない。
もちろん課題解決のための時間制限というものもあり、一旦は「分かりやすい」仮説を作ってから、そこを起点に考察を深めていくようなこともあります。
その辺のバランスをとりながら進めるのは毎度大変なんですが、なんとか仕事を進める中で、「分からない状況に耐える能力」というのは大変重要だなーと。それが明確に言語化できただけでも、ネガティブ・ケイパビリティという概念に改めて触れられた意義はあったし、一方このネガティブ・ケイパビリティをどう育てるか、あるいは部下や自分の子どもにどう伝えていくか、なんてことも考えているところなんです。
「答えが簡単に出る社会」で考えること
本書の中でも触れられているんですが、現代って「答えがすごく簡単に出る」社会でもあります。SNSをちょっと見れば、色んな問題についての「答え」を声高に叫んでいる人はたくさんいるし、AIにちょっと聞けばわかりやすい「答え」を簡単に出してくれる。
それはもちろん、利用できる部分では利用すればいいんですが、とはいえ本当にその「答え」に飛びついていいのか、という点についてはちょっと考えた方がよさそうに思います。
人間、「分からない」という状況はとても不安です。何か困った問題があれば解決法を知りたくなるし、悩みがあれば明確な指針を出して欲しくなる。
ただ、簡単に飛びつける解決法には、大体の場合なにかしら「それができない理由」や「それで切り捨てられてしまう別の問題」が潜んでいるわけです。
「世の中そんなに簡単に解決することばかりではない」という基本認識は本当に重要で、だからこそ「分からない」ことを一旦「分からない」ままにしておいて、本当に妥当な選択肢が見つかるまでじっと耐える、ということが大事になってくる。
ネガティブ・ケイパビリティというのは、そういう話を言語化するためにもとても重要な概念だな、と。
そんなことを考えたわけです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
Photo:Scott Broome