その距離たったの6.6km 小さなタイムトラベル!17年前に廃止になった三木鉄道廃線跡へいこう!
取材日:‘21.4.26
text & photo:福島 鷺栖
兵庫県の西部、とりわけ播州地域と呼ばれる姫路・加古川エリアにはかつて、高砂線や鍛冶屋線といった盲腸線が点在していました。その一つに2008年に廃止となった三木鉄道があります。厄神~三木間わずか6.6kmという短さながら、今もその名残をとどめる三木鉄道の廃線跡をたどっていきたいと思います。
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線路跡に残る橋台と築堤跡。
■その由来から利用客が伸び悩んだ三木鉄道
三木鉄道は国鉄三木線を第三セクターとして引き継いだ鉄道路線で、加古川線の厄神駅から三木駅までわずか6.6㎞を走っていました。路線は短いながらも歴史は古く、大正時代に美嚢川の舟運を鉄道輸送に置き換えるために建設され、1943(昭和18)年戦時買収により国鉄となった経緯があります。路線は貨物輸送を目的として建設されたことから、三木市街地のはずれに位置しており、神戸方面への旅客移動はもっぱら市街地に近い神戸電鉄三木駅や神姫バスの利用者が多かったことから、2008(平成20)年に廃止となりました。
三木鉄道三木駅と神戸電鉄三木駅の位置関係。三木鉄道の三木駅から西は農地が広がっている。(地理院地図内2009年ごろの航空写真より作成)
■築堤が残る!勾配標が残る!三木鉄道廃線跡をたどろう!
三木鉄道はJR加古川線とホームを共用していました。運行当時はホームの隅から単行の軽快気動車が出発していたようです。ちなみに、三木鉄道廃線後、所属していた車両は同じく加古川線に接続する北条鉄道のほか、茨城県のひたちなか海浜鉄道や岐阜県の樽見鉄道へ移籍しました。
不自然に空いたバラスト敷きのスペースは三木鉄道のりば跡。
ひたちなか海浜鉄道に譲渡されたミキ300-103。カラーリングは三木鉄道時代から変更されずに運用に就いていた。
‘09.8.30 ひたちなか海浜鉄道 湊線 中根〜那珂湊 P:高田正道
(鉄道投稿情報局より)
三木鉄道は厄神駅を出ると駅に隣接して設けられた加古川線の車両基地の脇を東に進んでいました。車両基地の裏に沿って歩いていくと早速踏切跡が見えてきます。訪問当時はまだ線路敷が残っており、レールこそないものの当時の雰囲気をしっかりと残していました。
写真左手のコンクリート塀が車両基地。柵や踏切板など跡がしっかりと残っている。
廃線跡にそって歩いていくと途中田んぼの中に築堤が残っており、ガーター橋の橋台が残った箇所を見ることもでき、この廃線跡の注目すべき点の一つでしょう。橋台も石造りとなっており、開業当時を思わせます。
橋台は石造りで一部レンガが使われており、開業当時からのものではないかと思われる。
築堤から先の線路跡は途中道路と交差する部分が通行不可のため、一旦南に迂回して大通りを越えてから線路跡に戻る必要があります。線路跡に戻ると見事な切通しを見ることができます。この切通し付近で三木市と加古川市の市境になっており、今まで歩いてきたのは加古川市側です。三木市側からは遊歩道として整備されているため探索も容易となっています。
見事な切通し。勾配標も残っており、線路が撤去された以外は現役時代から変わっていないのではかと思ってしまう。
線路敷きは遊歩道として整備され、探索も容易となっている。
遊歩道には各所に当時の設備が残されており、一部の駅跡にはホームとレールが残されて場所もあり、当時の設備が活用されています。
途中の石野駅跡。ホームとレールの一部がモニュメントとして残されている。
遊歩道をそのまま歩けば、終点の三木駅跡に到着します。鉄道公園として整備され、当時使用されていた信号類が公園内に保存されている他、一部のレールがトロッコ型の遊具用として活用されています。
また、公園内には駅舎も移築保存されており、駅舎の佇まいから貨物輸送華やかりし当時をしのぶことができます。この秋は6.6kmの小さなタイムトラベルに出かけてみてはいかがでしょうか。
入換信号機が公園内に佇む。
運行当時の場所から15mほど移築の上保存された駅舎。この日は中に入ることはできなかったが、資料館となっている。
現役当時の写真。のんびりとした雰囲気の中を単行気動車が走るありふれた光景は、今ではだんだん見れなくなってきている。
‘07.6.19 三木鉄道 国包〜宗佐 P:西田達哉
(お立ち台通信より)