人気店さわやかの危機救った「天使からの手紙」 創業者が決断「フェアは中止だ」
■1977年に創業「さわやか」 1992年に創業者宛に1通の手紙
飲食チェーン店「炭焼きレストランさわやか」は今や、「静岡県民のソウルフード」、「静岡県を代表するグルメ」とも言われる存在となった。創業から48年経った現在も人気店であり続けている理由は、“ある出来事”なしには語れない。社内で「天使からの手紙」と語り継がれている一通の手紙が大きな転機となった。
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1977年に創業した「さわやか」には、従業員に受け継がれている手紙がある。「天使からの手紙」。1992年、当時社長を務めていた創業者の富田重之氏に宛てた手紙が届いた。封筒を開けると、こう綴られていた。
社長さんへ
私が小学生の頃のさわやかは家族でお店に行くと自分の思っている夢のようなお店できれいでおとぎの国のような楽しいお店でした。
お店にかざってある物や置いてあるテーブルやいすなどです。それから働いている人や食べ物がとにかく明るくて踊っているように見えました。
いつも気を使って声をかけてくれました。あしたはどんないやな事がおころうと、さわやかで食事をすればがまん出来ると思いました。今日もお店にいってがっかりして帰って来ました。
自分の大好きだったお店をどうかもう一度作って下さい。お願いします。
※原文ママ
■“起死回生”の「海の幸フェア」 開始直前で創業者が中止決定
内容は、いわゆるクレームだった。送り主は、学生さんで女の子と推測されている。大好きだったさわやかの魅力が失われていることへの失望と、かつての場所に戻してほしい切実な願いが込められていた。
さわやかは当時、新規店舗の出店が続いており、商品の数も増えていた。忙しさから店舗スタッフは疲弊し、味のばらつきや接客の質の低下を感じているスタッフも少なくなかった。その変化を女の子に指摘されたのだった。
手紙を受け取った富田氏は、すぐに行動を起こした。女の子を含めたお客様の期待に応えるため、新たに「海の幸フェア」を打ち出した。グラタンやピザなど、海の幸を使ったメニューを手頃な価格で味わってもらおうと考えた。
社長肝いりの企画に従業員は全力を注いだ。通常業務の忙しさがある中、フェアの準備を進めて初日を迎えた。最終確認として、富田氏がフェアの商品を店舗で味見する。その味をチェックした瞬間、信じられない言葉を口にした。
「海の幸フェアは中止する」
■看板商品を創業価格で提供 現在の人気フェア誕生へ
フェアの商品は富田氏の納得する味に達していなかった。突如、フェアのために準備した食材や案内のチラシを全て廃棄。大々的に進めていた企画で、広く宣伝していたため、事前に連絡していた顧客にはお詫びの手紙とさわやかの食事券を送った。そして、富田氏は自分の過ちに気付いたという。広報担当者が語る。
「フェア開始直前で中止にしたのは、お客様のために企画したにも関わらず、こんな品質の商品を提供したらお客様を裏切ることになってしまうと考えたからです。そして、その責任は店舗の従業員ではなく、創業者自身にあると考えたのです。従業員が限界の状態なのに自分が新しいフェアで更に無理をさせてしまったことを深く反省していました」
本当の意味で「天使からの手紙」に応えるにはどうすれば良いのか。富田氏がたどり着いた答えが「創業価格フェア」。現在は「げんこつ・おにぎりフェア」にネーミングを変えた企画だった。
「創業の想い」に原点回帰して、感謝の心でお客様をお迎えしようということで、炭焼きハンバーグを創業当時の価格で提供するフェアを行った。
■原点回帰するきっかけ 「天使からの手紙」が軌道修正
フェア期間中は、メイン商品が集中的に提供される。その繰り返しの中で、品質・調理方法・提供技術など、すべてがブラッシュアップされていった。人気商品の看板商品化を実現するとともに、圧倒的な価値を作り出したのである。
女の子からの手紙をきっかけに、さわやかは原点を思い出した。間違った方向に進みかけたさわやかを軌道修正してくれた1通の手紙。社内では「天使からの手紙」と呼ばれている。
広報担当者は「今のさわやかがあるのは、天使からの手紙があったおかげと言われています」と話す。働く人も来店する人も笑顔になる店舗――原点回帰につながった手紙はさわやかの宝物となり、今も社内で大切に受け継がれている。
(間 淳/Jun Aida)