Mr.マリック“超魔術”ブームの仕掛け人。大塚監督インタビュー「初めて見た瞬間、これは来ると確信した」
1980年代末、“超魔術”という言葉とともに日本中を席巻したMr.マリック氏。
実は彼の登場の裏には「テレビで見せるマジック」の常識を覆した仕掛け人がいた。
『11PM』『木曜スペシャル』などで次々と話題作を生み出したテレビマンの大塚恭司氏に、Mr.マリック氏との出会いから社会現象化までの裏側を聞いた。
・昭和63年夏、「とんでもないものを見た」から始まった
──Mr.マリックさんとの出会いはどんなきっかけだったんでしょうか?
昭和63年の夏ですね。当時、僕は『11PM』という深夜番組を担当していて、放送作家と打ち合わせしていたとき、「とんでもないものを見た!」って興奮気味に話されたんです。浅草で“自称、マジシャンの超能力者”に会ったと。
マジシャンらしいんだけど、作家は「あれは超能力者だ」と言っていて(笑)。それを聞いて、翌日すぐに見に行きました。
──はじめてMr.マリックさんを見たときの印象はいかがでしたか?
会場では5人1卓のスタイルで、マリックさんが次々と各テーブルを回っていく感じ。で、自分たちの番が近づくにつれて、あちこちから拍手じゃなくて悲鳴が聞こえてくるんです。
完全にパニック状態。
いよいよ自分と彼女(今の奥さん)の番が来て、もう……とんでもなかったですね。奥さんなんて「気が狂うかと思った」って(笑)。
公演が終わってすぐ、控室に直行しましたよ。「番組のディレクターやってるんです、テレビ出てください!」って。
──即オファーされたんですね。
ええ、これは絶対に話題になると確信しましたからね。私の申し出に対して、マリックさんが、「私に何分いただけますか?」と聞いてきたんです。
その瞬間、0.1秒くらい考えて「まるまる1時間差し上げます」と即答しました。このやり取りは今でも忘れられません。
するとマリックさんも「じゃあやりましょう」と。そこからわずか3週間後、『11PM』で放送されて、すごい反響がありました。
・「フィラー番組」の予定が、28%の視聴率に
──その後、どのようにテレビで展開していったのでしょうか?
『11PM』で3回ほど放送したあと、翌年には『木曜スペシャル』に進出しました。でも、最初は野球中継の雨傘番組、つまりフィラー扱いだったんですよ。
※フィラー番組……野球が中止になって時に放送される番組。
それでもベテランデスクの女性がプレビュー中に「これはすごい、もったいない!」と局長にかけ合ってくれて。
局長も半信半疑で見たら、「これならいける!」とメイン番組にしてくくれました。結果的に28%の視聴率。巨人戦が22%の時代ですよ? 『木曜スペシャル』の年間視聴率1位にもなりました。
──世間では突然現れたように見えたかもしれませんが、業界的にはどうでしたか?
当時39歳のマリックさんは、実力はすごいけど全然売れてなかった。マジック界では世界大会で優勝していても、テレビ的には「華がない」とされてた。
でも僕は逆にそこに魅力を感じた。何より、「超能力にしか見えないマジック」だった。これは演出次第で“本物”になると確信しました。
・見せ方を変えることで“超魔術”が生まれた
──具体的には、どんな演出を工夫されたのですか?
まず、彼のことを「マジシャン」と呼ばないようにしました。視聴者に「これはマジックだ」と思わせたら負けなんです。
だから、演出ではカットを入れずに6番カメラ(当時一番地位が低いハンディカメラ)をメインにした。視聴者の目線と同じように、ワンカットで現象が起こるところから終わるまで見せる。
まったく新しい手法だったので、かなり非難されました。でも、そこが勝負どころだった。
──音楽も独特でしたよね。
はい。世界観を作るために音楽の構成も変えました。あれは映像で見るマジックというより、体験させるマジックにするための仕掛けだったんです。
海外からも取材が来て、まさに社会現象でしたね。
・一度コンビ解消、そして復活の“生放送2時間”
──その後、一度マリックさんとのタッグは解消されますね。
ええ。ブームが続いていた中で、3年ほどで一旦コンビは解消しました。反響が大きかった分、大変だった面も大きくて。
でも、2011年に『金曜スーパープライム』で久しぶりに一緒に番組をやることになり、「20年前よりも面白いものを作ろう」と気合を入れました。
──その番組の中で印象的だった企画はありますか?
2時間の生放送だったんですが、19時台から20時台へのまたぎを狙った勝負どころでリアルタイムの琵琶湖競艇のレース結果を予言して的中させるという企画を行いました。
見事的中して、こちらもすごい反響でしたね。あとは、タレントの有吉さんがまだそこまでブレイクする前で、ずっと番組中Mr.マリックさんをイジっていたんです。
それで最後のネタでは、有吉さんに透明な箱に入ってもらって、黒い布をかけて、大量のネズミのテレポーテーション。有吉さんがびっくりしている表情と笑いに包まれたスタジオで番組は終了して。すごく面白いものを作りきったという感覚がありました。
・今、そしてこれから。マリックさんへのメッセージ
──現在もマリックさんと交流は?
ありますよ。今はもう、映像でマジックを見せるのは難しい時代だと。CGとかAIとか疑われるからね。だからこそ、LIVEが面白いなぁと。
映像演出の限界を知っているからこそ、また一緒に何かやりたいと思って、最近動いています。明日もまた会うんですよ。
──改めて、Mr.マリックさんへのメッセージをお願いします。
本当に偉大な芸能生活ですよね。生涯をかけてやり続けている姿には頭が下がります。だからこそ、最後を飾るような企画を、また2人で実現したいですね。
・取材後記
私はMr.マリック氏と同じ岐阜出身。かつてステージで“超魔術”を目の当たりにし、心の底から震えたひとりだ。
あの瞬間、「本物とはこういうことか」と感じた感覚は、いまも鮮明に記憶に焼き付いている。テレビの魔法が最高潮に輝いていたあの時代、Mr.マリック氏と大塚監督のタッグが生み出したものは、単なるブームではなく、まさに“現象”だったと、取材を通じてあらためて実感した。
なお、今回のインタビューは、南流山お笑いライブ取材の現場で、ゆきおとこさんから大塚監督をご紹介いただいたことがきっかけだった。
あの興奮を、もう一度――。おふたりの次なる挑戦を、心から楽しみにしている。
参考リンク:Mr.マリック公式HP
画像提供:大塚恭司監督
執筆:夏野ふとん
Photo:RocketNews24.