「夫の駐在時にね…」なんであのコが?田舎の同級生“玉の輿婚”と“自虐自慢”に心がざわつく
【何者でもない、惑う女たちー小説ー】
【武蔵境の女・竹島千佳33歳 #2】
独身時代は都心に暮らし、華やかな生活をしていた千佳。しかし、結婚を機に都内から離れ、武蔵境に住み始めた。しかし、妥協して暮らし始めたこの地に物足りなさを感じていた。【前回はこちら】
◇ ◇ ◇
翌日。
千佳はいつものごとく中央線の長旅を終え、勤務する丸の内のオフィスにたどり着いた。
企業の依頼に応じて、市場調査やインタビューを行いデータを分析するのが千佳の仕事。だが、気分の重い月曜に限って、憂鬱な案件の対応を任されていた。
ベビー用品関連企業がクライアントの、子育て座談会があるのだ。対象は湾岸エリアに住む30代の専業主婦たち。千佳は司会を担当する。
つまり、一生懸命手を伸ばしても届かなかった憧れの対象者を目の当たりにするということ――気乗りはしないがこれも仕事だ。モードを切りかえ、会場の会議室に入った。
ひとりの女性に声をかけると…
扉を開けると、いかにもベイエリアの奥様という上品な雰囲気を醸し出している女性がひとり座っていた。
集合時間までは15分以上ある。真面目な人だと千佳は感心する。
「司会の竹島と申します。もう少々お待ちください」
女性に声をかけると、彼女はなぜか肩を大きく揺らした。そして、千佳の顔をじっと捉え続けた。
「あの、なにか?」
「…ふ、古谷千佳さんだよね? 同じ中学の」
古谷は千佳の旧姓だ。
ただ、こんな同級生がいただろうかと首をかしげる。どう見ても、千佳の故郷・群馬のはずれにいるような人間には見えなかった。
傍らにはセリーヌのバッグ、髪も美容院でセットしてきたかのように丁寧に巻かれ、爪の先までも手入れが施されている。彼女はまるで雑誌VERYの特集ページから飛び出してきたような都会的な輝きをまとっていた。
都会的な輝きをまとう女性の正体
「ええと――」
必死で過去の記憶を呼び戻すも、自力では無理だった。口ごもっていると、彼女の方から答えを出してくれた。
「山本芙美だよ」
中学の時のクラスメイト・山本さん。
手元資料によると既に結婚して苗字は変わっていた。言われてみれば面影はある。住所は豊洲の高層マンション、夫は大手総合商社勤務だという。
――なるほど、ハイスぺを捕まえたってわけ。
納得するなり、千佳は芙美の手を握った。
「きゃー! おひさしぶりっ」
「ほとんど話したことなかったし、忘れられていると思った」
「忘れないよ~。芙美さん、成績上位でよく名前見ていたし。すごく懐かしい!」
千佳は芙美と抱き合って、18年ぶりの再会を祝う。実は当時ほとんど喋ったことはなかったのであるが…。
東京のど真ん中でかつての同級生とランチ
座談会はつつがなく終了し、流れで千佳は芙美とランチをすることになった。
「今日はご協力ありがとう。芙美さんはどちらの紹介で来てくれたの?」
「夫の駐在時代のママ友がこちらのクライアントとお知り合いらしくて、お誘いを受けたの」
丸ビルの3000円ランチに舌鼓を打ちながら交わす同級生との会話は、思い出話よりも現状報告が中心となった。共有する思い出がないから当然だ。
東京のど真ん中で、芙美と背筋を伸ばしてイタリアンを楽しむ。
こんな未来を、当時の自分に言ったら、きっと困惑するだろう。
「ママ友…お子さんはおいくつ?」
「9歳と10歳よ。一昨年までずっとカナダにいたから、今はインターに通わせているの」
芙美から発せられる言葉は、どれも刺激的だった。千佳は小さく頬の内側を噛みながら耳を傾ける。
「ウチの子たち、帰国時は日本語が不自由だったから仕方なくよ。それよりも千佳さんのほうがすごい。仕事バリバリしているんだもの。相変わらず頑張り屋さんでカッコいいね」
「そんな…」
謙遜しながらも、千佳は惨めな気持ちになっていた。
あのころ、教室の隅で静かに本を読んでいたあのコ。
当時は自分の方が高みで見ていたはずなのに…。
格下女子の玉の輿に、千佳の心はざわついて…
この気持ちを嫉妬だと表現したくなかった。
彼女の言葉や表情には、苛立つ方に問題があると思ってしまうほどの純粋さがあったから。心から生活に満足しているあらわれなのだろう。
「ねえ、千佳さん。良かったら、お休みの日にまたゆっくりランチしたいな。ご自宅はどこ?」
「吉祥寺だけど」
「吉祥寺! あのあたり素敵よね。のんびりしていて」
「…芙美さんは豊洲よね」
千佳は深く突っ込まれないように、質問を繋げた。すると芙美は声を潜めながらもサラリと言うのだった。
「うん。でももうすぐ引っ越すよ。晴海の新しくできたマンションに」
「――え! もしかして、ハルミフラッグ?」
ハルミフラッグ。東京五輪の選手村として使用された晴海のマンション群だ。湾岸エリアの中でも比較的割安だが、部屋によっては倍率が何百倍もするという。
自虐を装った自慢じゃないの?
実は、千佳の今住む家とさほど値段は変わらない。今の家の購入時に一度検討したが、固定資産税やその他諸経費が家計に見合わないと正信からの反対があり、申し込みさえできなかった憧れの城だ。
千佳の驚きに、芙美は恥ずかしそうに頷いた。
「当たるとは思っていなかったのよ。投資用に買う人が多いって聞いたし、どうなんだろう。まぁ、今のマンションも満足しているわけじゃないんだけどね。たとえばね…」
それから芙美は突然エンジンがかかったように、つのる愚痴をどんどん吐き始めた。
周りは小学校受験や中学校受験が当然で、インターの自分は肩身が狭い、ボスママ主催のお茶会が憂鬱なこと、仕事をしたいけどブランクがあって復帰ができないこと、毎日暇を持て余していること…などなど。
困ったような顔であるが、口元は笑っている。そのせいか、喋る内容すべてが千佳にとって自虐を装った自慢に聞こえた。
1時間近く、機械のように首を上下させ続ける。千佳はなんとか耐えぬいた。
こぼれた自分の本音に呆然
◆
「ありがとう、今日は楽しかった」
スッキリしたのか、東京駅のタクシー乗り場の芙美は満面の笑みで颯爽と車に乗り込んだ。
「うん…」
「またランチ行こうね♪ 吉祥寺にも行くよ!」
同じ表情を作りながらも、心は無、だった。苦行が終了した開放感で、空っぽになっていたから。
「ランチ…。忙しいから無理かな」
思わず心の声が漏れ出てしまう。同じタイミングで自動ドアがバタンと閉じる。
窓越しに芙美の悲しそうな笑顔が千佳の目に入った。タクシーはそのまま街の中に消えていく。
千佳は呆然と見送りながら、最後の最後で本音の表面張力が決壊してしまったことに気づいたのだった。
【#3へつづく:自分の憧れを全て手に入れた同級生。嫉妬心に狂う千佳は…】
(ミドリマチ/作家・ライター)