<特集>今、時代劇が熱い! 第2弾、藤沢周平時代劇のまなざし
<時代劇専門チャンネル>が追求する本格時代劇の味わい
火花を散らすような見応えたっぷりの実(じつ)のある俳優たちの芝居の競演、
撮影、照明、大道具・小道具といった美術、音楽、劇中の料理など
細部にまで神経が行き届いた、撮影所育ちの職人たちによる熟練の技。
時代劇専門チャンネルのオリジナル時代劇には、季節感、立ち込める匂い、舞う風の音、風情、情感といったものが映し出される。
職人たちの矜持、良心といったものを見せられている思いがする。
武家社会のしがらみや理不尽さ、市井の人々の喜怒哀楽、裏の世界で生きざるを得ない人間のもがき、
義理と人情とのはざまでの苦悩、男女の情愛や純愛、行き違いやすれ違い……。
オリジナル時代劇の世界は、そんな人間の懊悩に光を当ててくれる。
まさに、見応えたっぷりの正統派時代劇の味わいがある。
時代劇は日本文化の財産として時と空間を超えて永遠である。
企画協力・画像&写真提供=日本映画放送
特集第一弾では池波正太郎原作・松本幸四郎主演の「鬼平犯科帳」を通して時代劇の魅力をご紹介したが、時代劇専門チャンネルのオリジナル時代劇のもう一つの大きな柱が、藤沢周平作品である。今回は、これまで放送された藤沢周平作品を通して、時代劇の味わいというものを紐解いてみる。
藤沢は、江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説を多く遺しており、日本人の心の原風景に触れるような作風で、数多くの作品が映画化、テレビドラマ化されている。武家社会の階級制度や不条理に抗いながら生きる微禄の藩士や、江戸下町に生きる町人に寄り添うような温かいまなざしが、人々の心を捉えている。
時代劇専門チャンネルで、オリジナル時代劇として藤沢作品を初めて制作・放送したのは2015年、仲代達矢、檀れい、中村梅雀、北大路欣也がそれぞれ主演を務めた〝4人の名優による珠玉の四篇〟だった。藤沢周平の時代劇を映像化する一大プロジェクト〝藤沢周平 新ドラマシリーズ〟のスタートである。以降、社会の傍流にいる人々の切なさや優しさを描く藤沢周平作品の世界観を表現し続けている。仲代達矢とテレビドラマ「北の国から」の杉田成道監督がタッグを組んだ「果し合い」は、NEW YORK FESTIVALS WORLD’S BEST TV & FILMSのドラマ・スペシャル部門で金賞を受賞している。脚本は映画『春との旅』『日本の悲劇』『海辺のリア』の監督で、仲代達矢との名コンビで知られる小林政広が手がけた。
檀れい主演の「遅いしあわせ」、中村梅雀主演の「冬の日」は、いずれも日本映画の黄金期を支え、市川雷蔵が演じた眠狂四郎や、勝新太郎が演じた座頭市など多くの作品を手がけ、時代劇の名匠と謳われた京都の撮影所育ちの井上昭が演出に当たった。井上は2022年1月に鬼籍に入ったが、オリジナル時代劇の第1作、池波正太郎原作「鬼平外伝 夜兎の角右衛門」をはじめとする「鬼平外伝」シリーズ4作品、藤沢周平の代表的な短篇集『橋ものがたり』の「小ぬか雨」「殺すな」と、オリジナル時代劇8作品で監督を務め、受け継がれるべき職人の技を見せてくれている。シリーズ最新第8作の制作が決定した北大路欣也主演の「三屋清左衛門残日録」に関しては、特集第三弾にて詳しく紹介する。
藤沢周平生誕90年、没後20年に当たる2017年には、藤沢周平 新ドラマシリーズ第2弾として『橋ものがたり』から3篇が制作・放送された。「小さな橋で」は、ドラマ「北の国から」の杉田成道監督が描く、新たな家族の物語で、東京ドラマアウォード2018作品賞、衛星・配信系ドラマ部門の優秀賞を受賞した。
2024年9月17日に時代劇専門チャンネルで放送される「吹く風は秋」は、監督を映画『HERO』や『マスカレード・ホテル』、テレビドラマ「29歳のクリスマス」や「古畑任三郎」シリーズなど大ヒット作を生み出した鈴木雅之が手がけ、脚本をオリジナル時代劇でも「鬼平外伝」シリーズ全5作、「闇の狩人 前・後篇」、「池波正太郎時代劇スペシャル 『顔』」も担当した金子成人が手がけた。主人公の老博徒を演じたのは、「鬼平外伝 老盗流転」、「闇の歯車」、「帰郷」、橋ものがたり「約束」、「鬼平犯科帳 血頭の丹兵衛」などのオリジナル時代劇でもおなじみの橋爪功。人の情愛の細かさを丁寧に演じて魅せている。
そして「小ぬか雨」は、時代劇の名匠・井上昭が北乃きい、永山絢斗と組んだ汚れなき愛の物語。井上監督ならではの〝情念〟の世界を存分に味わわせてくれる。
短篇集『橋ものがたり』は、その後も2篇が制作・放送されている。2022年に放送された「殺すな」は、その年の1月に亡くなった井上昭監督の遺作であり、井上監督が長年映像化を切望していた作品であった。井上監督の熱い思いに共鳴して中村梅雀、柄本佑、安藤サクラの見応えたっぷりの共演が実現した。24年には短篇集『橋ものがたり』の中でも傑作と名高い人気の一篇の初映像化、橋ものがたり「約束」が放送された。監督・脚本をオリジナル時代劇では「果し合い」、「小さな橋で」、「帰郷」の監督も務めた杉田成道が務め、メインキャストに歌舞伎界のホープである片岡千之助、多くのドラマ、映画で注目されている北香那、元宝塚歌劇団雪組トップスターで映像作品初出演となった望海風斗を起用し、たった一つの〝約束〟を心の支えに、江戸の町でひたむきに生きる若い男女の愛の結末を究極のラブストーリーとして描いてみせた。
橋のこちら側とあちら側、渡るべきか、また、渡りたくても渡れない人生の橋がある。〝橋〟を渡るとき、人々の人生は新たな展開を見せる。藤沢周平は、人々の人生の一場面を抒情豊かに〝橋〟に重ね合わせ見せてくれている。いずれの作品も、さまざまな人間が行き交う江戸の橋を舞台に、市井の男女の喜怒哀楽の表情を瑞々しく描いた佳作ぞろいである。派手な立ち回りなどないが、江戸の市井の人々の生活に向けられたまなざしこそ、藤沢周平時代劇の〝市井もの〟の味わいといえるだろう。
時代劇専門チャンネルは、〝時代劇の灯を消すな〟をスローガンに、2011年の第1作となる「鬼平外伝 夜兎の角右衛門」以来、〝本格的な〟時代劇作品として数々のオリジナル時代劇を制作・放送してきている。いずれも、時代劇のスタンダードともいえる〝義理人情〟の世界を描いた作品である。開局20周年の節目を迎えた翌年の2019年、〝次の20年を見据えて〟藤沢周平が犯罪という人間のダークサイドに切り込んだ傑作サスペンス時代小説を映像化した。待望の映像化と言われた「闇の歯車」である。監督は劇場版「鬼平犯科帳 血闘」を手がけた、令和の日本で最も多く時代劇を手がける監督・山下智彦だった。余談だが、山下監督の父は名匠・山下耕作監督で、『関の彌太ッぺ』では優しさと情感をにじませ、『博奕打ち 総長賭博』では悲劇美を描いて絶賛された。山下智彦監督もまた、大胆にして繊細な演出で人間の闇に切り込んだ。「闇の歯車」は時代劇専門チャンネルでの放送に先がけて全国5大都市を中心に、期間限定劇場上映を実施した。これは2019年当時、新しい試みであった。
同年には、杉田成道と仲代達矢が「果し合い」以来となるタッグを組み、京都の熟練のスタッフが再結集した史上初の8K撮影による時代劇巨篇「帰郷」が制作された。老渡世人の懺悔と贖罪、そしてかすかな希望に、静かに、だが熱く燃える心の炎を描いた藤沢周平ならではの股旅もの。第32回東京国際映画祭で特別上映作品として紹介され、2020年1月17日の劇場上映に続き、2月8日に時代劇専門チャンネルで放送された。
オリジナル時代劇の宮川朋之エグゼクティブ・プロデューサーが、すべてのスタッフに、「迷ったら挑戦するほうを選んでほしい」と思いを伝えるのを聞いたことがある。そこからは、〝時代劇〟、そして〝京都の撮影所〟文化を残していかなければならないという、切実な思いを感じとることができ、その思いは、次世代の作り手たちにもしっかりと受け継がれていることが、オリジナル時代劇の映像から伝わってくる。
人気という俳優の側面だけに頼らない、〝本格〟を表出できる俳優たちの芝居は、観る者の心に真っ直ぐに響いてくる。だからこそ、しがらみの中でもがき、一生懸命生きようとするとき、人の心が動き出すという藤沢周平のまなざしというものが見えてくるのである。下級武士を題材にした〝武家もの〟、庶民の人生を描いた〝市井もの〟、いずれも人々の切なさや、儚さを描く藤沢周平の世界観を紡ぎ出し、日本人の心の琴線に触れる佳作である。
オリジナル時代劇には、すべての登場人物の人生を感じさせてくれる本・演出・芝居の三位一体の魅力がある。
オリジナル時代劇・藤沢周平作品
「吹く風は秋」(2017年:オリジナル時代劇)
原作:藤沢周平「吹く風は秋」(新潮文庫/実業之日本社『橋ものがたり』所収)
監督:鈴木雅之 脚本:金子成人 音楽:眞鍋昭大
出演:橋爪功/臼田あさ美/波岡一喜/大路恵美/吉村涼/今里真/鶴田忍/田山涼成/岩松了/杉本哲太 ほか
壺振り師の弥平は親分を裏切ったほとぼりを冷ますため、しばらく江戸を離れていたが、老境にさしかかり、住み慣れた江戸への郷愁にかられ、決死の覚悟で再び江戸へと橋を渡った。自らの人生に区切りをつけるため、江戸へと舞い戻ったその日、弥平はとある女郎屋の前で、夕焼けを眺めるおさよという女と出会う。おさよは小間物屋を開いた夫の借金の形として、自ら身を売った女だった。亡くなった女房とどこか重なるおさよが気になった弥平は、おさよの夫と子どもが暮らすという長屋を訪ねる。そこで見たのは、働きもせず博打に明け暮れる不実な夫の姿だった。老博徒が最後に挑む大博打が始まる。老博徒・弥平を演じる橋爪功は「鬼平外伝 老盗流転」の主演をはじめ、オリジナル時代劇にはおなじみの俳優で、本作でも、老賭博の情といったものを、茶目っ気もみせながら、丁寧にしっとりと味わい深く演じて魅せる。臼田あさ美、杉本哲太、岩松了ら、共演者との息もぴったりである。また、夕焼け、風鈴といった、色彩や音が物語の情感を盛り上げてくれる。ディテールにいたるまで時代劇の職人技が光るのが、オリジナル時代劇ならではの真骨頂である。観終わった後に、新しい季節が始まったような、すがすがしい味わいをもたらし、ある種のカタルシスを感じさせてくれる一篇である。
「果し合い」(2015年:オリジナル時代劇)
原作 :藤沢周平「果し合い」(新潮文庫『時雨のあと』所収)
監督 :杉田成道 脚本:小林政広 音楽:加古隆
出演 :仲代達矢 桜庭ななみ/徳永えり/進藤健太郎/柳下大/高橋龍輝/矢島健一/益岡徹/原田美枝子
部屋住みとして生涯の大半を過ごした〝厄介者〟である男が、唯一面倒をみてくれる甥の娘の窮地を救うために刀を手にする武家もので、愛のために身を捨てる老いた下級武士の物語。
「遅いしあわせ」(2015年:オリジナル時代劇)
原作:藤沢周平「遅いしあわせ」(新潮文庫『驟り雨』所収)
監督:井上昭 脚本:中村努 音楽:遠藤浩二
出演:檀れい/柄本佑/藤吉久美子/酒井敏也/螢雪次朗/本田博太郎/加藤雅也
どうしようもないやくざな弟のために離縁された過去のある女のひそかな楽しみは、働く小料理屋に食べに来る桶職人のこと。だが、弟がまたもや厄介を持ち込んでくる。愚弟に心を痛める女と、その純愛の記。運命に翻弄されながらも強く生きる市井の人々を描く。
「冬の日」(2015年:オリジナル時代劇)
原作:藤沢周平「冬の日」(文春文庫『花のあと』所収)
監督:井上昭 脚本:中村努 音楽:遠藤浩二
出演:中村梅雀/高岡早紀/山田純大/藤田弓子
仕事帰りに駆け込んだ居酒屋で会った厚化粧の女は、幼かったころ父を亡くし母とともにかつて厄介になった店の娘だった。見る影もなく身を持ち崩した女に、男の心は揺れる。ひとりの女の姿に、時の流れを想う夜……。江戸に生きる人々の心が丁寧に描かれる市井もの。
「小さな橋で」(2017年:オリジナル時代劇)
原作:藤沢周平「小さな橋で」(新潮文庫/実業之日本社『橋ものがたり』所収)
監督:杉田成道 脚本:小林政広 音楽:加古隆
出演:松雪泰子/江口洋介/田中奏生/藤野涼子/筧利夫/笹野高史/松井玲奈/中村梅雀 ほか
ある日突然姿を消した父。残された母子3人は江戸の町で肩を寄せ合い共に生き抜くしかなかった。想いあうほどに遠ざかるという、「北の国から」の杉田成道監督ならではの家族の絆を描いた物語で、松雪泰子、江口洋介ら見応えのあるキャストも話題となった。
「小ぬか雨」(2017年:オリジナル時代劇)
原作:藤沢周平「小ぬか雨」(新潮文庫/実業之日本社『橋ものがたり』所収)
監督:井上昭 脚本:中村努 音楽:遠藤浩二
出演:北乃きい/永山絢斗/仁科貴/中原果南/佳島みさ/上杉祥三/本田博太郎 ほか
ナレーション:中村梅雀
意思もなく決まっていく縁談。ただ過ぎていくだけの日常。己の人生に希望を抱くことができなかった女に、突然の出会いが訪れる。閉ざされた空間の中で、短くも美しく燃える男女の汚れなき愛の物語が幕を開ける。
「闇の歯車」(2019年:オリジナル時代劇)
原作:藤沢周平『闇の歯車』(講談社文庫/文春文庫)
監督:山下智彦 脚本:金子成人 音楽:遠藤浩二
出演:瑛太(現・永山瑛太)/緒形直人/大地康雄/中村 蒼/蓮佛美沙子/高橋和也/石橋静河/津嘉山正種/中村嘉葎雄/橋爪功
とある謎めいた男の呼びかけで集まった4人の男。現金強奪という犯罪に一獲千金を夢見た男たちの運命を描いた、今の時代にも通じる逢魔が刻の完全犯罪をテーマにした時代劇版フィルムノワールの秀作。息もつかせぬ展開の結末に注目!
「帰郷」(2020年:オリジナル時代劇)
原作:藤沢周平「帰郷」(文春文庫『又蔵の火』所収)
監督:杉田成道 脚本:杉田成道 小林政広 音楽:加古隆
出演:仲代達矢 常盤貴子 北村一輝 緒形直人 谷田歩 佐藤二朗 田中美里 前田亜季/三田佳子/橋爪功 中村敦夫
仲代達矢演じる老いた渡世人は若かりし頃、訳あって信州木曾福島を出奔し流浪の旅を続け、病に倒れた旅の空で見た風景に故郷への思いをはせる。そして、老い先を悟り、木曾福島に戻るが、もはやそこは寄る辺のない故郷。やがて、その故郷に守るべき存在を見い出す。当時86歳と79歳の、仲代と中村敦夫の壮絶な殺陣は一見の価値がある。
「殺すな」(2022年:オリジナル時代劇)
原作:藤沢周平「殺すな」(新潮文庫/実業之日本社『橋ものがたり』所収)
監督:井上昭 脚本:中村努 音楽:遠藤浩二
出演:中村梅雀 柄本佑 中村玉緒(特別出演)本田博太郎 安藤サクラ
かつて妻を手にかけたことを悔いる浪人、同じ長屋に住む訳ありの若い男女。3人それぞれの心模様を深い滋味と温かさをもって描いた作品で、橋の袂で3人の思いが交錯する52分のささやかだが、濃密な物語。
橋ものがたり「約束」(2024年:オリジナル時代劇)
原作:藤沢周平「約束」(新潮文庫/実業之日本社『橋ものがたり』所収)
監督:杉田成道 脚本:杉田成道 脚本協力:池端俊策 音楽:加古隆
出演:片岡千之助 北 香那
望海風斗 山口紗弥加 春海四方 藤田朋子 浅野和之 余貴美子
武田鉄矢 風吹ジュン 橋爪功
「北の国から」の杉田成道監督と若手からベテランまで個性豊かな俳優たちで綴る究極のラブ・ストーリー。幼馴染で、年季が明けるその日に、萬年橋で会う約束をしていた思いを寄せ合う若い男女。だが、5年の間には、互いに言えない秘密を抱えていた。果たして、二人は橋で再会を果たせるのか。主演の片岡千之助は歌舞伎界のホープで、本作が時代劇初主演だった。NHK大河ドラマ「光る君へ」の出演も決まっている。全篇に流れるスコットランド民謡「アニー・ローリー」が切なくもしみじみとした情感を盛り上げる。
今から30年ほど前、まだ50歳になる手前の二代目中村吉右衛門にインタビューをしたことがある。そのときの言葉は今も記憶に残っている。
「すでに完成された総合芸術である歌舞伎が大きく飛躍するためには、天才が必要です。次の天才が現れるためにも、歌舞伎のこれまでの流れを絶やしてはいけない。歌舞伎を絶滅してしまった恐竜にしないためにも、ぼくはその伝統をいじらず、次へとつなげたい」(『JAPAN AVENUE』1993年6月号より)
この発言の「歌舞伎」という言葉を「時代劇」に置き換えても、違和感はない。時代劇もまたその伝統を受け継ぐことで飛躍を遂げてきたのである。中村吉右衛門は自身の役割を「つなぎ」と謙虚に語ったが、歌舞伎においては天才と評された初代吉右衛門をしのぐ演技を見せ、人間国宝(2011年)にも認定された。そして、時代劇においても大きな足跡を残した。
そう、池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』の主人公・長谷川平蔵役である。
インタビューをしたのは中村吉右衛門がテレビで鬼平を演じるようになって4年が過ぎようとしていた頃。ここから2016年12月まで全150本を演じきった。それまで鬼平は初代松本白鸚(当時は松本幸四郎)、丹波哲郎、萬屋錦之介が演じてきたが、中村吉右衛門によって完成されたというのは衆目一致する見方だった。
鬼平は身を挺して悪と徹底的に闘う。しかし、ただの善玉ヒーローではない。若い頃には放蕩無頼の日々を過ごし、市井の人たちの人情の機微に通じた繊細な優しさを持ち併せている。洒脱で、食道楽でもある。部下や密偵、ときには盗賊にも慕われる。そんな鬼平に扮した吉右衛門は絶品だった。「長谷川平蔵=中村吉右衛門」は時代劇ファンの共通認識となった。だから、彼が鬼籍に入ったことで、もう2度と新しい鬼平作品は見られないものと多くの人が思ったものだ。
ところが、である。
長谷川平蔵は颯爽と帰ってきた。演じるのは十代目松本幸四郎。これがすこぶるいいのだ。快活で、色気があって、声に艶がある。凄みや迫力という分かりやすい個性だけでなく、とっぽくてお茶目な気配も画面から立ちのぼってくる。
幸四郎版のSEASON1第1弾となったテレビスペシャル「鬼平犯科帳 本所・桜屋敷」では、火付盗賊改方長官に就いたばかりの平蔵が「本所の銕」と呼ばれた青春期の思い出とつながる事件に向き合う。若き日の鬼平を演じるのは幸四郎の長男・市川染五郎。言うまでもなく幸四郎の祖父は松本白鸚であり、中村吉右衛門は叔父。冒頭の吉右衛門の言葉を借りれば、『鬼平犯科帳』の伝統は4つの世代に渡ってつながったのである。
鬼平の周辺に配されたおなじみの人物も、演じる役者は様変わりした。本宮泰風(筆頭与力・佐嶋忠介)、浅利陽介(同心・木村忠吾)、火野正平(密偵・相模の彦十)、中村ゆり(密偵・おまさ)ら、個性も実力もある脇役が鬼平の周辺を惑星のように動き、話は重層的に展開する。第2弾の劇場版『鬼平犯科帳 血闘』では屈指の人気キャラクター、おまさの存在がクローズアップされる。色香の奥に一途さや切実さを漂わせ、中村ゆりの当たり役になりそうだ。
『血闘』では鬼平を激しく憎む残忍な悪役、網切の甚五郎(北村有起哉)が現れ、鬼平を罠にはめようと暗躍する。物語は前作以上に緊迫し、鬼平の感情も揺れる。躊躇と果断。憂慮と豪胆。冷徹と慈愛。対立する要素が瞬時に入れ替わりながら、鬼平は鬼平らしさを増していく。
山下智彦監督以下、撮影、照明、美術、小道具に至るまで、時代劇をつくるうえで最高水準の職人が揃い、見事な映像を紡いでいるのも本シリーズの美点だ。とりわけ障子や襖を生かした日本家屋の端正な構図。差し込む光や影が画面に陰翳をもたらし、軍鶏鍋から立つ湯気一つにも風情が漂い、物語に深みを運び込む。
もちろん、クライマックスには時代劇の醍醐味である殺陣が待っている。精緻な構図を壊さんばかりに剣と剣が激しく交わり、活劇の血管が脈を打ち始めるのだ。その中心にいる松本幸四郎のしなやかな剣さばきを見ていると、新しい鬼平による、新しい時代劇が幕を開けたことをあらためて実感させられる。
そもそも日本映画は時代劇とともに始まり、1920年代に最初のブームが訪れた。現代劇の巨匠・小津安二郎でさえ1927年の監督デビュー作『懺悔の刃』(フィルムは焼失)は時代劇だった。2度目の時代劇ブームは1950年代。終戦後しばらくはGHQの封建的忠誠心を礼賛する映画は禁止するという方針により、時代劇の製作は事実上不可能になった。しかし占領体制が終わると、時代劇は瞬く間に娯楽の王道となり、萬屋錦之介、大川橋蔵、市川雷蔵ら多くの時代劇スターが誕生する。1960年代に入るとテレビの台頭とともに映画産業は衰退するが、時代劇は銀幕からブラウン管へと主戦場を移し、ここから「水戸黄門」、「銭形平次」、「大岡越前」、「遠山の金さん」など国民的な人気コンテンツが次々に生まれた。そして、テレビ時代劇にもターニングポイントが訪れる。2011年、「水戸黄門」の終了とともに、時代劇は地上波における民放のレギュラー枠から姿を消してしまう。
これより10年ほど前に、衛星放送で始まったのが「時代劇専門チャンネル」である。開局以来、往年のテレビや映画の人気時代劇、隠れた名作を放送してきたが、「水戸黄門」が幕を閉じた2011年からは、新作のオリジナル時代劇を制作・放映するようになった。この意味は大きい。
時代劇と現代劇とではセリフはもちろん、衣装やセット、アクション(殺陣)に至るまでまるで違う。見せ方も撮影方法も異なる。日本の文化ともいえるこうした技術やノウハウを次の時代へ継承していくためにも、新作の制作は不可欠だ。役者も同様で、刀の扱いや足の運びなど立ち振る舞いは一朝一夕に身に付くものではない。数々の時代劇に出演した仲代達矢も、時代劇初出演の『七人の侍』では黒澤明監督から「刀の差し方が違う」「歩き方がなってない」と怒鳴られ、歩くだけのわずか数秒のカットの撮影に6時間を要した。そういう世界なのだ。
オリジナル時代劇で描かれるのは分かりやすい勧善懲悪の世界ではない。第1作の「鬼平外伝 夜兎の角右衛門」から「熊五郎の顔」、「正月四日の客」、「老盗流転」、「四度目の女房」と続いた外伝シリーズ5作の主人公は盗賊やその周辺人物。江戸の闇がノワールタッチで描かれる。同じ池波正太郎原作で、劇場公開もされた『仕掛人・藤枝梅安』2部作は人気のピカレスク作品を梅安と彦次郎、2人の友情物語に仕立てたところが新鮮だ。バディ映画の趣きに味がある。
オリジナル時代劇の一方の柱が池波正太郎作品なら、もう一つの柱は藤沢周平原作の作品だ。藤沢周平は社会の底辺にいる下級武士や町人の哀歓や葛藤を描くことを真骨頂としたが、「果し合い」は老いた武士の最後のひと働きをハードボイルドに描いた一作。ここで渾身の演技を見せた仲代達矢は、続く「帰郷」では30年間待望した主人公を演じ、老境の悲哀に迫った。さらに「闇の歯車」は現代にも通じるサスペンス劇の秀作。北大路欣也の「三屋清左衛門残日録」シリーズは、窮屈な武士社会にあっても自分の生きる流儀を失うことのない侍の清廉が気持ちいい。
こうしてオリジナル時代劇の一連の作品を俯瞰すると、時代劇がいかに豊潤で可能性に富んだジャンルかが分かる。
再び二代目中村吉右衛門のインタビューでの言葉を引用したい。
「歌舞伎は日本人が長い時間をかけ、経験や感覚の中でじっくり培ってできたものです。歌舞伎が追いかけてきたのは、かなわぬ〝夢″のようなものかもしれない。でも、そんな夢ばかり追いかけるところが僕には合っている」
これも「歌舞伎」を「時代劇」に置き換えていいだろう。時代劇は日本人が追い求めてきた夢であり、エンタテインメントである。日本人が夢を忘れない限り、その世界は存在し続けるはずだ。
米谷紳之介(こめたに しんのすけ)
1957年、愛知県蒲郡市生まれ。立教大学法学部卒業後、新聞社、出版社勤務を経て、1984年、ライター・編集者集団「鉄人ハウス」を主宰。2020年に解散。現在は文筆業を中心に編集業や講師も行なう。守備範囲は映画、スポーツ、人。著書に『小津安二郎 老いの流儀』(4月19日発売・双葉社)、『プロ野球 奇跡の逆転名勝負33』(彩図社)、『銀幕を舞うコトバたち』(本の研究社)他。構成・執筆を務めた書籍は関根潤三『いいかげんがちょうどいい』(ベースボール・マガジン社)、野村克也『短期決戦の勝ち方』(祥伝社)、千葉真一『侍役者道』(双葉社)など30冊に及ぶ。