我が子の不登校から「おかんラッパー」になって呂布カルマも絶賛! パトカー3回保護の“やんちゃ息子”から母が学んだこと
息子への思いをラップにして呂布カルマ賞を受賞した「マイクラおかん」こと下崎真世さんインタビュー。第1回は“育児書どおりじゃない”息子に悩む日々から、不登校に至るまでの歩みについて。全3回。
【写真】おかんラッパーが仕掛けたママユニットを見る育児の苦悩や、不登校の息子への思いをリリック(歌詞)で綴り、ラップコンテストに出場した女性がいます。逗子市在住の一児の母「マイクラおかん」こと下崎真世さんです。ラップは全くの初心者ながらも、リアルな言葉と熱量で、日本有数のラッパー・呂布カルマ氏の心をつかみ、審査員特別賞を受賞。ラップで心を解き放ち、新たな一歩を踏み出した下崎さんの言葉や行動には、ママたちが自分らしく輝くためのヒントが詰まっています。
第1回では、“育児書どおりじゃない”息子との苦悩の日々から、不登校に至るまでの歩みを伺いました。
ギャングの街で「いい子」を演じていた
「実際にピストルの鳴り響く音を聞いたことがあります」(下崎さん)
東大阪市出身の下崎真世さんは、生まれ育った街を「ギャングの街そのものだった」と表現します。父親はバーやラブホテルを経営しており、その道の"プロ"の人々が自宅に出入りすることもあったといいます。
父が母に手をあげる日々が続き、家庭は常に緊張状態で、「子どもながらに“鎹(かすがい)”でいなければ」と感じていました。自己主張を抑え、“いい子”でいることに必死だったと振り返ります。
「今、ラップで自分の気持ちを言葉にできているのが本当に不思議なんです。当時は何も言えなかったから」(下崎さん)
現在の活動の根っこには、そんな子ども時代の“言葉の封印”があるのかもしれません。面倒見がよく、中学生のころにはすでに友人から「おかん」と呼ばれていた下崎さん。しかしそれは、“誰かの役に立たないと自分には価値がない”という、低い自己肯定感の裏返しでもありました。
28歳で結婚し、義父の余命宣告をきっかけに妊娠を急ぎましたが、うまくいかず10年間の不妊治療を経て38歳で長男を出産。夫の転勤の都合で、出産は東京都港区で迎えました。
「港区では、フラッシュカード(乳幼児に絵や文字を高速で見せる学習方法)などを使って早期教育をしているようなママたちばかりでびっくりしました。
自分の子どもが周りと少し違うことに戸惑いながらも“理想の育児”に合わせようと努力しましたが、結局ついていけなくなってしまいましたね」(下崎さん)
「マイクラおかん」こと下崎真世さん。愛車の真っ赤なトゥクトゥクといっしょに。
息子のお食い初めの様子。今も夫婦で力を合わせながら育児に向き合っている。 写真提供:下崎真世
保育園から何度も脱走! 育児書どおりじゃない子育て
下崎さんの息子は、動き始めた1歳半ころから「高い場所」が大好き。電柱や標識などにすぐによじ登ったり、8階の住まいのベランダから飛び降りそうになったこともあったといいます。
「会社勤めだったため、0歳から保育園に預けたんですが、園からもよく脱走していました。裸足で表参道を爆走し、パトカーに3回保護されました」(下崎さん)
周囲との価値観の違いもあり、孤独な子育てだったと言います。息子に合った育て方を模索していた下崎さんは、保育園を退園。その後、東京・代々木公園で、親が交代で子どもたちを見守る「自主保育」に参加しました。
「子育て、ずっとうまくいってないって思っていました。息子は、周りの子と違うし、育児書を読んでも全く当てはまらない。息子に寄り添っているつもりが、全部裏目に出ているようで……。ずっと模索していましたね」(下崎さん)
自然の中で子育てを──そう願って神奈川県逗子市に引っ越し、子どもに良かれと週末にはよくキャンプに連れていきましたが、当の息子は完全にインドア派でした。「やりすぎたよね」と笑います。
「自然に触れさせたい」という思いで、さまざまなアウトドア体験に出かけた下崎さん。けれど息子本人は根っからのインドア派だった。 写真提供:下崎真世
逗子では幼稚園に通い、2020年4月に小学校に入学。引っ越し時には、「息子の性格から、小学校が遠いときっと行かないと言うだろう」と、通学距離を重視して学校に近い家を決めましたが、「問題は距離じゃなかった」と再び笑います。自分の価値観を押し付けていたことに、あとから気づかされる日々でした。
学校に行かずマイクラにハマる日々
コロナ禍での入学式はわずか15分、その後学校は3ヵ月間休校になりました。下崎家ではテレビを置かない生活をしていましたが、暇をもてあました息子にテレビを解禁します。
やがてYouTubeをきっかけにオンラインゲーム「マインクラフト(マイクラ)」にハマり、長いと1日12~14時間、パソコンでプレイするようになりました。
「最初のうちは、何時間やったら飽きるのか、実験のような気持ちで様子を見ていました。それでも全然飽きないんですね。
じゃあどこがおもしろいのか、自分で確かめてみることにした。そしたらゲームに対する意識が一変しましたね。
3Dブロックで構成された仮想空間の中で、道具や建物を作ったり、実験をしたり、知らない場所に冒険に行ったり。『すごいことをしているんだ』と知りました。それに、『お母さんも一緒にやりたい』と言うと、息子がうれしそうにしていたのも印象的です」(下崎さん)
9歳のころ自宅で、ゲーム「マイクラ」に熱中する息子。 写真提供:下崎真世
コロナによる休校期間が明け、もともと大人数が苦手などから徐々に子どもの行き渋りが始まります。週4日、3日……と登校できる日が減っていき、完全に不登校になったのは3年生のこと。
「ある日、学校から帰ってくると吐いたんです。なんとか学校に通ってほしいとずっと思い悩んでいましたが、そのとき初めて、体を壊すくらい追いつめていたんだとわかった。『もう行かなくていいよ』と言いました」(下崎さん)
不登校をめぐっては夫と意見が食い違い、ぶつかることも少なくなかったという。しかし今では息子の選択を受け入れ、二人三脚で支えている。 写真提供:下崎真世
自分が学校に求めていることってなんだろう──。働いていた下崎さんは、それは“託児機能”であることに気がつきます。勉強はやろうと思えばどこでもできる。それならばと会社と相談して在宅を増やし、後に会社を辞め、子どもと向き合う時間を選びました。
ちょうどそのころ、自宅近くにフリースクール「cas!ca(カシカ)」が立ち上がりました。プログラムも時間割りもなく、誰もが自由に出入りできる場所です。週2回、息子も通い始め、下崎さんも活動を手伝うようになっていきます。
ある日、お迎えに行くと、フリースクールを運営する勇弥(ゆうや)さんと息子が、フリースタイルでラップをしている場面に出くわします。
「ラップや自作の歌を歌っているのを聞いたことがなかったので驚きましたね。こんなコミュニケーションの形があるんだと学びました」(下崎さん)
これが、「マイクラおかん」誕生の一つのきっかけとなる出来事です。この後下崎さんは、インドア派の子どもの居場所を作るためにゲーム大会を主催し、ママ同士でキッチンカーを運営するユニットを立ち上げ、さらにはステージでマイクを握るようになります。
次回は、ママたちによるユニット「YES! OCAN(オカン)」にまつわる話を中心に伺っていきます。
●下崎 真世(しもざき まよ)PROFILE
ラッパー、イベントオーガナイザー、母親たちによるユニット「YES! OCAN(オカン)」代表、“ゲームの居場所”支援。「マイクラおかん」として、2023年開催の「NIKKEI RAP LIVE VOICE」(日本経済新聞社主催)に出場。ラップ未経験ながら審査員・呂布カルマ氏の心をつかみ「審査員特別賞」を受賞。
取材・文/稲葉美映子