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静岡の鉄道のお噺し

アットエス

2024年6月30日放送の「静岡市歴史めぐりまち噺し」。今日は、静岡の鉄道のお噺しです。
語り:春風亭昇太

江戸時代にお茶の商人が集められ、やがて製茶工場が集まるまちとなった茶町。茶町周辺から、輸出されるお茶を清水港へ運ぶための鉄道が、明治41年(1908年)に運行を開始しました。

最初に開通したのは、現在の葵区鷹匠と清水港との間。その後、鷹匠から茶町を通って現在の葵区安西まで、路線は伸びて行きました。安西では当時、県内各地で生産されたお茶を荒茶に仕上げる産業が盛んだったのです。

当初は小型で輸送力の小さい軽便鉄道でしたが、大正9年にレールの幅を一般的な鉄道と同じ1067mmへと広げて、同時に電化にも着手し、大型の車両の走行が可能になりました。

トラック輸送の発達により、お茶を運ぶために敷かれた鉄道は人を運ぶものへと変わっていき、沿線開発によって、昭和2年には遊園地、昭和5年には野球場が建設されました。

この鉄道は、合併や再編を経て、現在の静岡鉄道になりました。静岡市内線が昭和37年に、清水市内線が昭和50年に廃止され、現在は元の鷹匠町駅である新静岡駅と元の清水相生町駅である新清水駅を結ぶ静岡清水線が、静岡鉄道唯一の鉄道路線となっています。

昭和50年、かねてから路線バスなどに導入されていたワンマン運転がこの路線に導入されました。開通から100年を超えて、今も毎日多くの人たちを運んでいます。

静岡市歴史めぐりまち噺し今日のお噺しはこれにて。<!-- tag:/area:静岡市葵区静岡市清水区 -->

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