黒須田 消えゆく伝統「豆念仏」 「自分らの代でけじめを」
黒須田に古くから伝わる伝統行事「豆念仏」が9月12日、黒須田自治会館で最後を迎えた。担い手の高齢化や後継者不足などが理由。当日は、行事を伝え継いできた18軒の一員である志村善一さん(84)が中心となり、思い出話とともに和やかに行われた。
念仏を唱えた後に豆をもらえるから「豆念仏」。長年にわたって近隣の18軒の家で伝え継いできた。その昔、道に迷った僧侶が一晩の宿の礼に大日如来像を置いていき、毎年9月12日に千回念仏を唱えるよう言い残したのが起源などと伝わっているが、資料もなく歴史ははっきりしない。それでも、「昔から何があってもこの日だけは18軒が揃い、健康や安全を祈ってきた」と善一さんは語る。
近年は高齢化や後継者不足などで参加者が年々減少。加えて「自分たちでさえ起源などが分かっていないのに、次の世代は何も知らず形だけが続く」と懸念。18軒で話し合い「おざなりになって廃れていくより、自分たちの代で『けじめ』をつけよう」と決めたという。
当日は黒須田自治会館に15軒が集まった。大日如来像の前で輪になり、鉦(しょう)と音頭に合わせて「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら、大きな数珠を回していく。鉦を打ち、音頭を取ったのは志村ユキさん(92)。長年音頭を取り続けてきた18軒の最年長者だ。休憩を挟みつつ、参加者らは300回の念仏を唱え切った。
「自分が小学1年生の頃にはすでに行われていた。少なくとも戦後80年近く続いている」と善一さん。かつては念仏が終わると1軒1杯ずつ、お椀いっぱいの豆が配られていた。子どもたちは1人1杯もらえたそうで、ユキさんは「黒砂糖がかかっていてね。食料のない時代だったから嬉しかった」と懐かしんだ。最後の日も参加者には形ばかりの豆が配られた。
現在、行事に使われていた大日如来像や鉦、念仏を数えるための数え札などの道具一式は、横浜市歴史博物館に預けられ、同館に寄贈する方向だ。同館の小林光一郎さんは「似た形式の行事は各地に残っているが、18軒というごく小さな規模で今日まで続いてきたというのは珍しい。地域のつながりを感じる」と話す。善一さんは「長年、地域の絆でもあった。消えゆくのは残念だが、せめて記録として『豆念仏』の存在を残していきたい」と思いを語った。