【ホセ・ジェイムズ|インタビュー】新アルバムは “70’s カンフー映画“ オマージュ
Photo by Janette Beckman
ホセ・ジェイムズが2024年に発表した『1978』は、78年にミネアポリスで生まれた自身の生誕年をタイトルに冠した自伝的なアルバムだった。また78年は、ソウル・ミュージックの成熟、ディスコの熱狂、ヒップホップの本格開幕直前という中で、ロック、ポップス、ジャズ、ラテン、レゲエなども新たなフェーズに突入し、ニューウェイヴの誕生も含めて百花繚乱の様相を呈していた、ホセいわく “70年代の総決算” の年。
アルバム『1978』では、その時代へのラブレターを謳ってもいた。加えて、シェニア・フランサやバロジといった米国外の気鋭アーティストをゲストに迎えてアフロ・ディアスポラのパワーを誇示すれば、自身の体験を踏まえてブラック・ライヴズ・マターにも改めて斬り込んでいた。
その続編となるのが『1978:Revenge Of The Dragon』である。サブ・タイトルに “ドラゴンの逆襲“ と銘打った今回の新作は、70年代のカンフー映画、いわゆるマーシャルアーツに着想を得て、それらにオマージュを捧げたもの。前作の続編ではあるが、前作と何が同じで何が違うのか。来日したホセに話を聞いてきた。
これまでの自分/これからの自分
──ジャイルス・ピーターソン主宰のブラウンズウッドからアルバムを出した2008年をデビュー年とすると、レコーディング・アーティストとして今年で17年。ブルーノートを経て、レインボー・ブロンドを夫人のターリ(タリア・ビリグ)と立ち上げてからも7年が経ちますが、前作『1978』も含めて、今改めて自身の人生や音楽ルーツを振り返る時期にきているということでしょうか?
今回のアルバムで13作目になるけど、これまでいろんな形でジャズをやったり、世代を超えてレジェンドや若手とコラボをしてきた。ありきたりな言い方かもしれないけれど、今振り返ると、キャリアの前半は、外の世界を見ながら、できることをやりながら学んでいた時代。
そうやって自分を作ったものは何なんだろう、この地球に自分が生まれてからの社会はどんなものだったのだろう、どうして今自分はこうなったんだろう…ということを見つめ直す時期にきたんだと思う。
──単に人生を振り返るというより、自分を形成したものを探ると。
そう。他人からは、自分は唯一無二の人間でユニークだと思われていて、確かにそうかもしれないけど、社会や環境が自分を形成した部分もあるわけで。どんなテレビを見て、どんなラジオを聴いて、親がどんな音楽を聴いていて、どんな食べ物を食べて、どんなコミックを読んでいたか、友達はどうだったか…と。
人間は歳を取ると懐かしくなって人生を振り返るものだけど、自分はノスタルジーで振り返りたいわけじゃなくて、何が自分をそうさせたのかを知りたいんだ。というのも、ジャズ・シンガーとして自分を見た時に、ジャズの世界で自分と同じようなことをやってるシンガーが実はあまりいないから。
ジャズ・ピアニストだったらロバート・グラスパーも似たような感じだと思うけど、なんで自分はこうなったんだろう、自分を作ったものは何なのか、どこから来たのかという問いなんだ。
──新作『1978: Revenge Of The Dragon』はカンフー映画を想起させるサブ・タイトルがついていて、続編でありながら前作とは違ったテーマを謳っています。
前作と同じ部分もあるけど、今回は違う見方をしていると考えてほしい。まずアルバム全体を通して、ボブ・マーリーやスティーヴィー・ワンダーの音楽性や人間性に対するシンパシー、つまり、社会をいかにより良い方向にしていくかというメッセージを音楽を通して世界に届けたアーティストたちへのオマージュがある。
カンフー映画をテーマに取り入れたのは、そうした映画にも彼らの音楽と共通するメッセージがあると思ったからなんだ。タイトルにある “ドラゴン“ は、まさにブルース・リーのこと。彼も自分にとってのヒーローだからね。
武芸と音楽のつながり
──このアルバムは、映画『燃えよドラゴン(Enter The Dragon)』(73年)へのオマージュであると。
そう。ブルース・リーって、肉体的にも精神的にも高めていくことを具現化した人で、西洋と東洋の橋渡しもしてくれた。西洋社会に東洋思想が持つものを広めて、それによって代償を払わなきゃいけないようなこともあったけど、最終的にはアクション映画の代名詞になった。漫画にもなっている。
あと、カンフー映画って黒人のオーディエンスからも共感を得たんだ。社会問題に立ち向かうとか、ドラッグが蔓延している中で地域を守るために立ち上がるといったようなブラザーフッドの精神があった。そして、その技を暴力としてではなく、あくまでも自衛として、愛する人たちを守るために使っていた。そうした部分が黒人のオーディエンスにも受けたし、自分が感銘を受けた部分でもあるんだ。
──ブルース・リーと共演した黒人俳優のジム・ケリーを主役にした空手アクション映画『黒帯ドラゴン(Black Belt Jones)』(74年)は見ましたか? デニス・コフィがテーマ・ソングを手掛けた映画ですけど。
いや、観たことはないけど知っている。『燃えよドラゴン』でも黒人が警官と戦うシーンがあったけど、それは今の時代に通じるものがあるよね。そうしたものがウータン・クラン、RZAみたいなヒップホップの人たちにも受け継がれていくことを考えると、何か共通したものがあると感じる。
──ウータン・クラン、特にRZAはカンフー映画の思想や精神、ストーリー性を取り入れて独創的なヒップホップ作りましたが、ウータン・クランの最初のアルバム『Enter the Wu-Tang(36 Chambers)』(93年)は、まさに『燃えよドラゴン』と、78年に製作された『少林寺三十六坊』を着想源としていました。
『少林寺三十六坊』はもちろん知っている。あと、『五毒拳(The Five Venoms)』(78年)、『少林寺』(82年)、『マスター・オブ・ザ・ドラゴン』(2006年)あたりの映画に影響されて作ったのが、先日公開したショートフィルム(※後述)と、それにプラスしたもう少し長い映画になるんだ。
──そもそもマーシャルアーツに興味を持ったきっかけは?
子供の頃に空手をやっていたんだ。ファイティング的な部分ではなく、規律や集中力みたいな精神的な部分が好きでね。今は少林寺拳法を学んでいて、ボクシングもたまにやる。アーティストって、いろんなことを考えすぎちゃうことが多くて、この先のプロジェクトのことを考えていつも頭の中が混乱している。マーシャルアーツはそこから切り離してくれて、体のすべてのパーツを使いながら精神性みたいなものを毎日高めて追求していく。そのおかげで自分の気持ちも穏やかになって、健康になった。
あと、自分はオペラをやるわけでもハウスDJになるわけでもないけど、毎回いろんなことにチャレンジしている。マーシャルアーツの世界に飛び込むと、まだ知るべきことはいっぱいあるなと思わせてくれるし、自分はビギナーだな、初心者だなって思えて謙虚になれるんだ。そうした部分も含めて好きなんだよね。
日本人ミュージシャン参加のショートフィルム
──先ほどお話しされたショートフィルムと映画ですが、新作に連動したそのフィルム(「Revenge Of The Dragon」)では、ホセさんが武道家に扮して、今回のアルバムのレコーディング・メンバーもカメオ出演しています。黒田卓也さんやBIGYUKIさんといったニューヨーク在住の日本人ミュージシャンの出演もマーシャルアーツ感を高めていますが、彼らの反応はどうでした?
“それマジ?“ みたいな感じで、ユキ(BIGYUKI)は「もう他のメンバーも出ているの? 俺もやるの?」みたいに言ってた(笑)。タクヤ(黒田卓也)とは付き合いが長いので、自分が変なことを思いついても、こいつは最終的にクールなものを作るなって信頼してくれている。自分が深く掘り下げるタイプっていうのもわかってくれているんだ。
ロケハンも自分でしたし、脚本も自分で書いて、さっき言ったいろんな映画を参照して、衣装も自分で探して、カンフーものを扱っている店で武具も買ったよ。
──ジャズ系のミュージシャン同士でそうした演技をするのも珍しいですよね。
いや、それもある意味ジャズと似てるんだ。ジャズがいろんなスタンダード曲をリファレンスとして使うのと同じように、今回のフィルムにカンフーの世界をリファレンスとして取り入れた。誰一人としてプロの役者はいないけど、セリフも後でオーバーダブすることを前提にやっていたので、そこまで彼らに無理難題を押し付けたつもりはない(笑)。
──撮影場所は?
(NY州のウッドストック郊外にある)スタジオの近く。全員をスタジオ近くの森の中に連れていって撮影したんだよね。朝の6時から昼までやって、少し休んでまた撮るみたいな…。あと、ニュージャージーでも少し撮った。
──マーシャルアーツにオマージュを捧げた曲としては、ファイターの気持ちを表現したようなファンク「Rise Of The Tiger」と、“陰に隠れて光を浴びる瞬間を待つアーティストや夢想家たちのためのアンセム“だという「They Sleep, We Grind(for Badu)」ですよね。後者のタイトル(They Sleep, We Grind=やつらは寝ている、俺らは働く)はエリカ・バドゥがSNSで使っているフレーズから着想を得たようですが、そう考えると今回の新作は、前作の続編でありつつ、2023年に発表したエリカのトリビュート・アルバム『On & On : Jose James Sings Badu』から派生したプロジェクトのようにも思えるのですが。
確かにあのトリビュート・アルバムから派生して続いている部分もあるけど、エリカ・バドゥって、まだ評価が足りていないと感じているんだ。もちろんアイコンとして知っている人は知ってるけど。本当にいろんな意味で道を切り開いてきた人で、先見性があるというか、ヴィジョナリー的な意味でもデヴィッド・ボウイに似てるなと思うんだ。
あと彼女はボクシングもするし、マーシャルアーツも嗜んでいるんだよね。なので、そうした部分と、マッドリブやJ.ディラとの交流も含めて(自分と共通する)同じ流れがあると思っている。
──思えばエリカのアルバム『New Amerykah Part One(4th World War)』(2008年)も、カンフーではないですがブラック・シネマ『Hell Up In Harlem』(73年)のアクション・シーンを使ったラジオ・スポットのサンプリングで始まりますし、マッドリブが手掛けた「The Healer」でヤマスキ・シンガーズの“Kono Samuraï”をサンプリングしていたり、マーシャルアーツ的な雰囲気が濃厚でしたね。
まさに!それを意識したよ。ユキ(BIGYUKI)とも “エリカはクレイジーだよな“ って話していた。
──『On & On : Jose James Sings Badu』の派生的なプロジェクトだなと感じた理由としては、同作に参加していたBIGYUKI(シンセサイザー/キーボード)とジャリス・ヨークリー(ドラム)が今回のアルバムにも全曲で参加していたからでもあります。ベースはデヴィッド・ギンヤードとカイル・マイルスとで分け合っていますけど。
意識していたわけじゃないけど、言われてみると確かにそうだね(笑)。ただ、そういうことも含めて、最近は直感でやることの方が多いんだ。デビュー当初はやりたいことが1000ぐらいあった。でも今は10ぐらい。その10の中で、自分を開放して、他人の知識をどんどん取り入れている。アルバムって自分自身じゃなくてコミュニティから得た知識や叡智で成り立っているんだって思うようになって、今はすべてを自分でコントロールしようという気持ちが少なくなった。
曲に込めた “日本への敬慕”
──先ほどショートフィルムをスタジオの近くで撮影したと言っていましたが、今回の新作もドリームランド・スタジオをレコーディングとミックスで使っています。ウッドストック近郊のNY州ハーレイにある古い教会を復元したスタジオですが、近年、そこでの録音にこだわる理由は?
それはもう本当に特別で…ウッドストックの人里離れた森の中にあって、居住スペースもあって、寝泊まりしながらでレコーディングができるんだ。スタジオって、例えばNYC(ニューヨーク・シティ)だと街の中にあって、みんな家から地下鉄に乗って駆けつけて、スタジオ代も高いから時計を見ながら急いで終わらせなきゃみたいなところがある。一方で、データのやり取りだと自宅がスタジオに直結してるような感じになってしまう。
でも、この(ドリームランド)スタジオではレコーディングをしてもいいし、しなくてもいい。キッチンでご飯を作って食べてリラックスして、何かやりたいと思えばやってもいいみたいなところがある。理想的な形で仕事に徹底もできるけど、NYCほどハイパーなストレスを感じることもなく、とてもチルなムードを作れるんだ。
──すごく想像できます。
あとは雰囲気以上に、世界で有数と言えるほどアナログの機材が充実している。週に1回ぐらいメンテナンスをしているという2インチのアナログテープ・マシンもあるし、バンドのサウンドを録音するという意味では他にないんじゃないかと思えるくらい。
フリート・フォクシーズのようなインディ・ロックのバンドも使っているけど、そうしたスタジオで自分たちのパフォーマンスを発揮して自由に録音できるところは、プロデューサー視点からしてもジャズっぽいと感じるというか。LAのスタジオだと、ドラムを入れて、ベースを入れて、じゃあシンガーの歌を入れて…という決まり事のような感じで(量産型の)ポップスを作ってるような感じになるけど、ここではジャズのように自由なものが録れる。そこがいいんだよね。
──アルバム冒頭の「Tokyo Daydream」はファンキーなダンス・ナンバーで、まさにタイトルのとおりのリリック(六本木の街に繰り出し、レコード・バーでYMOの曲を聴き、カラオケではエルトン・ジョンとキキ・ディーのデュエットを気取る…)で、ホセさんとターリさんの東京滞在のドキュメントみたいな曲です。観光客がインスタに写真をアップするような感覚を歌にしたような。
自分は2007年から日本に来ていて、日本の人たちの寛容さや思いやりに接してきて、来るたびにいろいろと学べるので、日本の皆さんやファンへのお返しというか、日本というコミュニティに対するラブレターという感覚で作った。
と同時に、日本ってアニメとか映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)だけじゃなくて、もっとこういうクールな部分があるんだってことを、自分たちを含めた西洋の人間の間でシェアしたかった。こんなナイトライフがあって、こんなジャズ・バーがあって、こんな人たちがいて、こんなファッションがあって…みたいなね。それでこの曲を聴いた人が日本に行ってみたいなと思ってくれればいいかなと。
自分も京都や箱根、伊勢神宮を訪れたけど、それだけじゃない。(西洋人の間で)一般的に思われているものだけが日本じゃない。精神的な部分も含めて知れば知るほど発見することがあるので、それを楽しい形で曲にできたらと思ったんだ。
──「Tokyo Daydream」では、フリースタイルのジャム・セッションが行われている六本木の〈Electrik神社〉の名前を挙げて「マイクを持ったマーヴィン(・ゲイ)の気分」と歌って「I Want You」のフレーズもさりげなく挿んでいます。これはリオン・ウェアをメンターとするホセさんらしいオマージュなのかなと。
そうなんだ。わかる人にはわかるという、ちょっとした仕掛け。“ニキを探せ“ みたいなね。
──その「Tokyo Daydream」では〈壁にもたれてないで(Off The Wall)〉とも歌っていて、それに続くのがマイケル・ジャクソン『Off The Wall』(79年)の収録曲「Rock With You」のカヴァーというのも心憎いなと思いました。
ああ、なるほどね。でも、「Tokyo Daydream」での〈Off The Wall〉はクール&ザ・ギャングの「Get Down On It」(81年)のリリック(Get your back up off the wall)がリファレンスになっているんだ。コンサートやクラブでバックパックを背負って壁にもたれているような人に対して “壁から離れろよ“ っていうメッセージだね。
──前作『1978』では、マイケルの『Off The Wall』をプロデュースしたクインシー・ジョーンズも含めてオマージュしていたわけですが、今回、クインシーが亡くなった後に「Rock With You」のカヴァーが発表されたのも運命的と言いますか…。
いやぁ…(深いため息)。これはクインシーが亡くなる前にレコーディングしていたんだ。クインシーが亡くなったのは現実とは思えないというか、プリンスの時もマイケルの時もそうだったけど、時代も世代も超えていた人で、その音楽はずっと自分たちの記憶の中に残っていくとは思うけど、やっぱり人はいつか死ぬんだなってことを思って感傷に浸ったりもした。間違いなく時は流れてるんだなってことを考えたし、今後、自分の世代のヒーローが亡くなった時はどうなるんだろうみたいなことも考えずにはいられなかった。
自分の世代のヒーローはエリカ・バドゥとかになるんだけど…クインシーに関して言えば、ビッグ・バンドから始まってマイケルとの仕事に至るまで、あれだけ幅広く、しかもパワフルなものを作って残した人って、なかなかいないと思うんだよね。
──「Rock With You」のカヴァーが興味深いのは、バンドの演奏がエリカ・バドゥやディアンジェロなどに関わったソウルクエリアンズ〜ソウルトロニクスに通じていて、黒田卓也が吹くトランペットもロイ・ハーグローヴを思わせるところです。
まさに! ニュースクール(大学)にいた頃、ロイ・ハーグローヴが若手のトランペッターを連れてきてマスタークラスをやった時にタクヤがいたんだ。そこで初めて彼の演奏を見て圧倒された。で、DJ MITSU THE BEATSのアルバムのために「Promise In Love」(2009年)を作った時に初めて一緒に仕事をした。そんなわけで、そもそもロイ・ハーグローヴが彼との接点なんだよね。
ロバート・グラスパーなども含めて自分たちの世代にとっては、ソウルクエリアンズが活躍していたあの時代の文化革命みたいなものが、唯一とは言わないけど一番重要だと思っていて。J.ディラ、ジェームス・ポイザー、クエストラヴ、ディアンジェロ、あとコモンあたりも含めたあのフィーリング。70年代(の音楽)のリファレンスを持ってきて音を紡ぐあの感じ。でも、自分たちはまだそれを超えるものを見つけられていないと思っていて。だから、そうした音を目指して作ってるんだと思う。
ジャズシンガーとしての心得
──今回の新作には「Rock With You」を含めてカヴァーが4曲あります。どれも78年または79 年に発表された曲で、ハービー・ハンコックの「I Thought It Was You」などを、曲によってエバン・ドーシーやベン・ウェンデルのサックスをフィーチャーしてカヴァーしていますが、これらは〈1978シリーズ〉の着想源を明らかにしたのかなとも思いました。
その通りだね。カヴァーをやることは次の世代にバトンを渡すようなものだと考えていて。例えばロバート・グラスパー・エクスペリメントの音楽を聴けばハービー・ハンコックが蒔いた種が育ったものだと感じるし、PJモートンの音楽を聴けば(PJが「How Deep Is Your Love」をカヴァーしていたように)ビージーズ的なものを感じたりする。
自分も同じで、自分を育ててくれた曲を自分の解釈で歌っている。音楽は時空を超えて存在しているというか、ビリー・ホリデイはもちろん今いないけど、でも “今もいる” んだよね。ビリーの弟子のような存在を通して、今もビリーがいる。自分が歌っているこうした曲も、まだ生まれていない将来のシンガーたちのためになるのかもしれないし、そうやって今後、次の世代に影響を与えていくのかもしれない。
──ローリング・ストーンズの「Miss You」とビージーズの「Love You Inside Out」は、ロック〜ポップス方面からのディスコ・アプローチとして話題になった曲でもありますが、これらを今カヴァーすることにどういう意味があると思っていますか?
自分はヒップホップ・ジェネレーションなので、ジャズという音楽を古いものではなくコンテンポリーなものだとして聴いてきた。だから、同じようにストーンズもビージーズも過去のものじゃない。いまだに生命力があって、聴くと何か教えられるものがある。ジャズ・シンガーとして自分は、そういったことを常に自分に言い聞かせて、忘れないようにしているんだ。
例えば「My Favorite Things」のようなジャズ・スタンダードだって、自分なりのヒネリを加えて現代的に解釈して歌うことによって、その曲自体に力があれば必ず何か新しいものとして訴えてくるものがあるはずなんだよね。自分はそれをやろうとしているのだと思う。
──アルバムのラストに登場する「Last Call At The Mudd Club」は、78年から83年まであったNYCの名門ナイトクラブを歌ったもので、冒頭の「Tokyo Daydream」と対になるような曲だとも思いました。加えて、リリックではスティーヴィー・ワンダーのアルバムや曲のタイトルを織り込んだパートもあって、ホセさんらしい音楽愛が感じられます。
旅の最後という感じで、イメージとしては(「Mudd Club」があった)ロウアー・マンハッタンのトライベッカ地区あたりのクラブで一晩過ごして、帰り際、ハウスDJとかが最後に必ずハッピーな曲をかけるような状況を歌ったんだ。朝の5時にクラブを出て、朝日を浴びながら “もう朝になっちゃった…“ と言いながら、みんなが楽しく帰るような、そういう気持ちでアルバムを終えられたらと思って、この曲を最後に入れた。スティーヴィーをいっぱいリファレンスしたのは、スティーヴィーはまさにそうした楽しい気持ちにさせてくれる天才だからなんだ。
──では最後に。あなたのヒーローであるエリカ・バドゥがアルケミストと組んだ新作を準備中であるとのニュースが報じられましたが、それに関してはどう思いました?
イェー! アメイジング! すごく楽しみだ。アルケミストもホントにすごいし、本当にヤバいと思う!
取材・文/林 剛
ホセ・ジェイムズ『1978:リベンジ・オブ・ザ・ドラゴン』
(ユニバーサルミュージック)