パリ・パラリンピック競泳入賞の石浦智美選手が上越に帰郷 母校の後輩らに感謝と決意伝える
パリ・パラリンピック競泳2種目で入賞した新潟県上越市出身の石浦智美選手(36、伊藤忠丸紅鉄鋼)が帰郷し2024年10月7日、母校の市立北諏訪小学校(65人)を訪問した。全校児童や教職員を前に「北諏訪の皆と地元の応援が力になった」と感謝を伝えた。また上越市役所の中川幹太市長を表敬訪問し、「市を挙げて応援くださり本当にありがとうございます」と重ねて感謝した。
《画像:母校の北諏訪小学校を訪れた石浦選手》
児童と交流「応援が結果につながった」
今大会4種目に出場し、混合400mリレーで6位、視覚障害の最も重いクラスの100m自由形で8位入賞した。同校では、時差で中継を見守ることはかなわなかったが、後日、映像でレースを観戦。大会前には動画でメッセージのやりとりなど交流を重ねていたという。
石浦選手は日本代表の公式ウェアに身を包み登場。「プレッシャーでメンタル的に調子を崩してしまい、自分の力を発揮できなかったけれど、皆からの動画を見て、応援の力がリレーと決勝の結果につながった」と話した。
《画像:児童を前に感謝を述べた》
児童たちは「何事も諦めないことの大切さを学んだ」「頑張る姿に勇気をもらった」などと伝え、オンリーワンという意味を込めた「1」の文字と、点字でありがとうと書いた手作りの金メダルを手渡した。
《画像:手作りの金メダルが贈られた》
質問コーナーも設けられ、「どうしてそんなに頑張って泳げるのか」という問いには「目標に向かってコツコツとこなしていくことでできることが増えていく。努力しただけ結果につながるのが楽しい」。水泳を始めた理由については「プールに入ってしまえば自分で自由に泳げ、見えないことを忘れられる」と語った。
《画像:全校で記念撮影》
1年生から水泳を習っているという6年生男児(11)は「息継ぎやストロークが少ない奇麗な泳ぎでまねしたいと思った。石浦選手のように早く泳げるようになって、将来は水泳のコーチになりたい」と目を輝かせていた。
「このままでは終われない」
中川市長への表敬訪問では、大会前の世界ランキング1位でメダルが期待された種目もあったため、「悔しい結果だったが、最後の種目で入賞できたのは皆さんの応援がパリに届いた結果」と話した。中川市長は「二つ入賞され、誠におめでとうございます。上越市民は非常に注目し、応援していた。市民に勇気を与えてくれた」と言葉を送った。
《画像:中川市長(右)に大会結果を報告する石浦選手》
石浦選手は「まだ4年後(ロサンゼルス・パラリンピック)は考えられない」としながらも、「メダルの位置にいたので、このままでは終われない」と今後に向けた決意を吐露。「4年後は年齢的なものもあるが、まずはパリで果たせなかったタイムまで調子を戻して、来年の世界選手権などで結果を出し、その先にロスが見えてくればいい。やっぱりやりきったという状態で終えたい」と語った。
昨年11月の母校北諏訪小の創立150周年記念式典以来の帰郷に、「メダルの結果を報告できなかったが、子どもたちの元気な姿に上越出身、北諏訪出身でよかったとうれしくなった。また明日から頑張れるパワーをもらいました」と話していた。
《画像:中川市長から花束が贈られた》