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メバリングの本質は「悲喜交々」? 昭和の文豪にその悲哀と喜びを語らせてみた

TSURINEWS

メバリングする太宰治(ChatGPT絵)(提供:TSURINEWSライター・井上海生)

メバリングをしていると、ふと、何もかもが徒労のように思われることがある。釣ってどうする?そんなことより、寒々しい夜の海でイトを垂れている己の姿はどうだ?孤独ではないか。しかし釣れたときにはしばらくそんな虚無感は忘れている。まさしく「悲喜交々」だ――といえば、私は昭和の文士・太宰治を思い出す。もし彼がかつてメバリングをしたならどう言うか、そして太宰治に対して敵意むき出しに食ってかかったという三島由紀夫がそんな太宰を批評すればどうなるか、なんて考えてみたり…。

メバリングは虚しい釣りでもある

年中アジ・メバルを追いかけまわしていると、ふと飽きがくる瞬間はある。私もこの釣りを長いことやってきて、いい加減、自分が心配になるほどよくこの二つだけの釣り物に耐えているなと思い、最近はめっきり釣行回数も減ってきた。真冬の厳冬期だ。釣りにいけないだけ、その虚無感は大きくなる。

小物狙い、釣り方のアレンジ性のなさ、いとも簡単に反応してしまう魚たち。そんなことも、今こうして釣りを少し離れて考えてみると、どうも悲しいフラクタルな姿である。それでいて尺には届かない難しさもあり、狙うともなく追いかけている大物を釣れない、悲しさもさらに深まる。釣っているときだけは充実しているのだが、客観的に見てこの姿たるや、なんというか「悲喜交々」みたいじゃないか。

最近、芥川龍之介を読むようになった。日本文学の伝統に、再び関心が向いているのも、こんなキリッと寒い冬ゆえの趣か。さすがに太宰、三島は青臭くて読めはしないが、三島のほうがかなり後輩にあたりながら対立関係にあったという噂は知っている。悲喜交々が作風化している太宰にメバリングを語らせたらどうなるだろう?ChatGPTを使い、まず太宰にメバリングを語らせ、三島に批評をさせてみた。

太宰VS三島(ChatGPT絵)(提供:TSURINEWSライター・井上海生)

太宰治が語るメバリングの悲喜交々

「ああ、メバリングとは、何と寂しき行為であろうか。夜の海辺、漆黒の波が囁く。その静寂の中で、小さなルアーを投じるその手の震え。誰にも見られることのない、その孤独な行為は、まるで人知れず愛の手紙を書くようではないか。

メバルという小さな魚よ。君はなぜ、そんなにも儚げで美しいのか。月明かりにその銀鱗が一瞬だけ輝くとき、まるで人生の短い喜びのようだ。それを追い求める私は、滑稽でさえある。夜の闇に隠れた獲物を探す様は、盲目の愛を求める哀れな男の姿にも似ている。だが、それでもやめられない。なぜなら、その小さな引きが、私に生きている実感を与えてくれるのだ。

人はしばしば、メバリングを「趣味」と呼ぶ。しかし、これは趣味などではない。もっと深い、切実なものである。夜風が頬を撫で、波の音が耳を掠めるその瞬間、私は思うのだ。人生とは、結局のところ、このメバル一匹を釣るための旅路だったのではないかと。

メバリングする太宰治(ChatGPT絵)(提供:TSURINEWSライター・井上海生)

けれども、それは同時に虚しさを伴う。釣り上げたメバルを手にしたときのあの奇妙な感覚。幸福と後悔が入り混じる。私は本当にこれを求めていたのか? それとも、この行為そのものが、何かもっと大きな喪失を埋めるための代償だったのか?

メバリングは、生きるということの縮図だ。期待と失望、幸福と憂鬱、そして無意味さ。だが、それでも夜の海辺に立つのをやめられない私がいる。そこには、何かしらの救いがあるのだろう。いや、救いがあると信じなければ、生きてはいけないのだ。」(ChatGPT文)

三島由紀夫による批評

なるほど、太宰の手によるこのメバリングの独白は、実に彼らしい。自己憐憫と虚無の香りが漂い、それを美文の仮面で包み込むあたり、さすがは「自己の愛撫」の作家だと感心せざるを得ない。しかし、彼の語るこの釣り行為には、何とも言えない欠落がある。それは「行為そのもの」の美しさへの真正なる視線だ。

メバリングという行為、それは夜の海に立つことであり、漆黒の波にルアーを投じる瞬間であり、メバルという儚き命と一対一で向き合う闘争である。しかし、太宰はそれを「虚しさ」や「哀れさ」という感傷に回収し、行為そのものの力強さを掬い取ろうとしない。彼の言葉には、汗を流す肉体の充実感も、勝利に燃える心の躍動も、欠片ほども存在しないのだ。

思うに、彼の「夜の海辺に立つ」という行為は、生命の賛歌ではなく、逃避の舞台に過ぎない。人生の縮図などと語るが、それは単に自己の内面を海という鏡に映し出しているに過ぎない。メバルという一匹の魚、その小さな命が海と風と闇と共鳴する瞬間を、なぜもっと尊重できないのだろうか。行為の本質を見ずに、それを虚無に還元するのは、あまりに貧困であり、無責任でさえある。

釣りとは、生の象徴であるべきだ。自然と向き合い、その法則を読み解き、己の意志をもって挑む行為だ。そこには美しさがあり、儀式性があり、ある種の形而上的な緊張が宿る。太宰はその全てを見過ごし、ただ自らの内面に沈潜するのみである。それが彼の美学であり限界であろう。

三島由紀夫、太宰のメバリングを斬る(ChatGPT絵)(提供:TSURINEWSライター・井上海生)

私ならばこう言いたい。夜の海でルアーを投じるその瞬間、人は自然の一部となり、生の強度を取り戻すのだ、と。そこには憐れみも虚しさもない。ただ、力と美があるのみだ。それを認められぬ者に釣りを語る資格はあるのだろうか?」(ChatGPT文)

筆者の考えるメバリングの情感

思いがけず深い語り・批評になった。私などどちらかといえばこの文章の内容よりも、ChatGPTの精度に関心が向く。「恥の多い生涯を送ってきました」「メロスは激怒した」「幼時から父は、私によく、金閣のことを語った」など、太宰と三島の有名な書き出しの句を使わず、文体で勝負してくるあたりにも気骨を感じる。

筆者はどちらかといえば、もとはアジングのほうに関心が深かったアングラーだ。しかし今は、釣れる時期が長く、夏季もなんとかしようと通年釣れるパターンを模索しながら、メバリングへと傾倒していっている。アジングのほうが釣りにくい難しさがあり、運要素が大きいため、心がへこたれつつある。

そう思うと、メバリングはまだ報われる釣りである。いくらよそから見て情けない姿であろうと、釣っている時間は充実している。簡単な反応を得やすいメバリングには、実利主義者が好む手応えがある。報われる釣りがしたいならメバリングをどうぞ、たまに虚しいこともあるけれどね、と付け加えたい。

<井上海生/TSURINEWSライター>

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