【べらぼう】恋川春町(演 岡山天音)の悲劇的な最期とは ~『鸚鵡返文武二道』が絶版
下々の者は何の楽しみも戯れも許されず、分相応に死ぬまで働け……そんな具合に幕を開けた寛政の改革。
野暮な「ふんどし野郎」こと松平定信(演 井上祐貴)が、厳しい思想統制・出版規制を行う中、蔦重(演 横浜流星)たちは書を以て抗いました。
そんな一冊が、恋川春町(こいかわ はるまち 演 岡山天音)の黄表紙『鸚鵡返文武二道(おうむがえし ぶんぶのふたみち)』です。
これでもかと皮肉を利かせた名作として、大いに世を沸かせました。
果たしてどんな作品だったのか、ざっくり見ていきましょう。
『鸚鵡返文武二道』武を奨励してみたものの……。
今は昔しの平安時代、醍醐天皇(だいご。第60代)の治世は泰平でした。
それはまことに結構ですが、あまりにも平和が続くと人々が贅沢に走り、社会の浪費も止まりません。
そこで帝は、御自ら質素倹約の手本を示すと共に、菅秀才(かん しゅうさい。菅原道真の子という設定)を登用し、政治改革に着手させました。
この菅秀才は、父に劣らず優秀でしたが、いかんせん政策を実現する人材が足りません。
菅秀才は、まず人々に根性を叩き込もうと武芸を奨励。
顧問として源義経(ご存じ判官贔屓)・源為朝(義経の叔父)・小栗判官(おぐりほうがん。伝説上の人物)を呼びました。
※みんな時代が違う?黄表紙なんだから、そんな野暮は言いっこなしです。
義経たちはさっそく人々に武芸を叩き込むのですが、なかなか上手く行きません。
弓術を教えればあらぬ方向へ飛んでいき、剣術を教えれば辻斬りを試そうとしたり……挙げ句の果てには馬術の稽古と称して遊郭へ行き、女郎や陰間(男娼)に乗り出す者までいる始末。
「これはいかん。根性以前の問題として、人々には倫理道徳を教えねば……」
菅秀才は、学者の大江匡房(おおえの まさふさ)を呼び出しました。
※大江匡房も時代が違う?……黄表紙なんだから、そういう細かい野暮(指摘)はなしにしましょう。
『鸚鵡返文武二道』みんなで凧揚げ、天下泰平
招かれた大江匡房は、菅秀才の著作『九官鳥のことば』をテキストにして、人々を教え導くように命じられます。
果たして人々は熱心に『九官鳥のことば』を読むようになりました。
しかし文中で政治を「凧揚げ」に例えたところ、これをみんなが誤解してしまいます。
「へぇ。みんなで凧揚げをすると、世の中が平和になるのか」
そして、みんなで凧揚げを始めると、どこからともなく鳳凰が飛んできました。
鳳凰(ほうおう。ちなみに鳳がオス、凰がメス)は、めでたい世の中の象徴で、どうやらたくさん揚がった凧を、自分の仲間と勘違いしたようです。
「鳳凰が出たぞ!これはめでたい」……ということで人々は喜び、鳳凰を生け捕りにして鳳凰茶屋を開店しました。
めでたいついでに麒麟(きりん)も出てきましたが、みんな鳳凰ブームであまり注目されませんでした。
「とりあえず麒麟も確保はしておこう」と、鳳凰を入れた檻の片隅へ置いたということです。
『鸚鵡返文武二道』の皮肉と穿ち
とまぁこんな作品ですが、名君と称えられた醍醐天皇を徳川家斉(いえなり。第11代将軍)、創作キャラの菅秀才を松平定信に見立てているのは言うまでもありません。
ちなみに大江匡房は、御用学者の柴野栗山(しばの りつざん)がモデルです。
タイトルの「鸚鵡返」とは、松平定信の著書『鸚鵡言(おうむのことば)』のパロディであると共に、先に出版された盟友・朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ 演 尾美としのり)の黄表紙『文武二道万石通(ぶんぶのふたみち まんごくどおし)』のおっかぶせ(パロディ)であることも示しています。
作中にも『鸚鵡言』ならぬ『九官鳥のことば』が登場。
さすがに定信も、自身に対する風刺や皮肉だと気づいたことでしょう。
めでたい治世を寿ぐ鳳凰が出てきたのは勘違い、後から出てきた麒麟に対する粗末な扱いも気になるところです。
ちなみに鳳凰茶屋は、下谷広徳寺の門前で営業していた孔雀茶屋をモデルにしています。
『鸚鵡返文武二道』空前の大ヒット!?
果たして天明9年(1789年。寛政元年)正月、蔦屋耕書堂から発売された『鸚鵡返文武二道』は大人気となりました。
その売れ行きと言ったら……。
……就中『万石通』の後編『鸚鵡返文武二道』[北尾政美画、天明九年正月出づ。三冊物、蔦屋重三郎板]いよゝますます行れて、こも亦大半紙摺りの袋入にせられて、二三月比まで市中売あるきたり[流行此前後編に勝るものなし]……。
※曲亭馬琴『近世物之本江戸作者部類』より
【意訳】……中でも『万石通』の後編に当たる『鸚鵡返文武二道(北尾政美画)』の売れ行きは大変なもので、特別版(大半紙摺りの袋入)が2〜3月まで江戸市中を賑わせた(これほどの流行は近年見たことがない)……。
そんな具合で、累計15,000部も売れたとされています。
『鸚鵡返文武二道』恋川春町の最期
ですが、そこまで市中を騒がせると、お上も当然これを捨て置けません。
当局は『鸚鵡返文武二道』と『文武二道万石通』を絶版処分とし、恋川春町を召喚しました。
「……戯作者・恋川春町こと小島藩士・倉橋格(くらはし いたる)。例の黄表紙について、聞きたいことがある(意訳)」
さぁ大変です。春町は「病気なので、しばし猶予をください(意訳)」と時間を稼いだものの、根本的な問題解決にはなりません。
江戸市中では、早くから本作について「実は藩主・松平信義(のぶよし)が定信を批判するために書いたものを、家臣である春町の名前(※都合が悪くなったら、トカゲの尻尾切りするつもり)で世に出させた」という噂が広がっていました。
春町としては、自分で責任を負う覚悟はしていたものの、主君に迷惑をかけては死んでも死に切れません。
寛政元年(1789年)7月7日、春町は突如として世を去ってしまいました。
その死因については、病死とも自害とも言われています。
朋誠堂喜三二は、江戸追放&断筆
一方、朋誠堂喜三二もただでは済まされず、主君(久保田藩主)の佐竹義和(よしかず)より厳重注意の上で国許へと戻されました。
実質的には江戸からの追放処分に等しく、これ以降、喜三二は黄表紙から引退してしまったのです。
ところで、この結果だけ見ると「叱られて引退するだけなら、別に春町も死ななくてよかったのでは?」と思うかも知れません(※本当に病死した可能性もありますが)
しかし、春町と喜三二は状況が異なるため、一概には比較できないでしょう。
【春町の状況】
・風刺の対象が定信である。
・世の中に対する影響がより大きい。
・リアルタイムの出来事である。
・主君に処罰の矛先が向いている。
※元から定信には、松平信義を陥れたい意図があり、これ幸いと定信が風評を流布した可能性も。
【喜三二の状況】
・風刺の対象が田沼政権である。
・春町ほどはヒットしなかった。
・出版から時間が経っている(一度は当局も見逃した)。
・主君は皮肉を言われたくらいで、矛先は向いていない。
こうした事情から、喜三二は生き延び、春町は非業の最期を迎えたのでした。
終わりに
今回は、恋川春町『鸚鵡返文武二道』について、その内容や反響、末路について紹介してきました。
劇中では戯れるのに向いていないと言っていた春町が、最後に命懸けで戯ける姿は、きっと視聴者の胸を打つはずです。
一人また一人と盟友たちを失い、苦境に追い込まれていく蔦重は、どのように闘い続けるのでしょうか。
NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」、これからシリアスな場面が続きますが、最後まで見届けたいと思います。
※参考文献:
・棚橋正博ら注解『新編日本古典文学全集79 黄表紙 川柳 狂歌』小学館、1999年7月
文 / 角田晶生(つのだ あきお) 校正 / 草の実堂編集部