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【『熟と燗』社長・上野伸弘インタビュー】日本酒の行く末は熟成にあるのか。新しい価値を見出す次なるフェーズとは

さんたつ

【散歩の達人】熟と燗_1

ワインやウイスキーにおいても、味わいや価値を左右する「熟成」は大きなキーワードだ。では日本酒はどうか?『熟と燗』社長であり、熟成日本酒の価値を見出し、発信し続けてきたパイオニアの上野伸弘さんを訪ねた。

熟と燗(じゅくとかん)

上野伸弘

『ホテルニューオータニ』でのバー勤務、1986年の東京サミットで各国首脳のサービス担当などを経て、約20年にわたり熟成酒バーを経営。2023年に『熟と燗』を開店。刻(とき)SAKE協会常任理事。

「今こそ熟成酒に注目が集まる時代」

『熟と燗』は、ショップを併設したカウンター5席のバーである。特異なのは、店内すべてのお酒が熟成を経た日本酒であること。10年、20年、30年……⁉ 未知なる世界が広がっている。

すべてオリジナルの長期熟成酒。ボトル販売もしていて、全国の飲食店からの需要も高い。シェリー樽で熟成させた「古韻(こいん)」1万2000円は、新しいカテゴリーを感じさせる新鮮な飲み心地!
旨味の豊富な熟成酒を提供する酒器も多彩。常温は、ガラス製のオリジナルグラスで提供。リムの反り返りやストロークがポイント。燗酒も酒質により、材質と形、厚みの異なる平盃を使い分ける。

上野さんは、バーテンダーやレストランのサービスを経て、日本酒それも熟成酒に目覚めた。その上で「今こそ熟成酒に注目が集まる時代」だと語る。その根底には、景気とお酒の甘辛の嗜好(しこう)に関連性があるという。

「経済が上り調子のときには世の中全体にスピード感があって、研ぎ澄まされた飲みやすいお酒が好まれます。実際、70年代頃から『越乃寒梅』などの新潟の日本酒の人気に火がつき、するする飲める淡麗辛口がブレイク。ビールも『アサヒスーパードライ』のような、のど越しのいい“辛口”が登場し、味をそぎ落としていった先に焼酎ブームが到来しました」

2008年、リーマンショックで景気にブレーキがかかると状況は一変。梅酒のような甘い酒が人気を博し、品評会における吟醸酒も甘い酒が好まれる傾向が続いた。「その先には、単に甘いだけでなく、旨味も求める嗜好が連動してきます。多彩な旨味や厚みをもたらす熟成酒がマッチするようになるのです」。

一方で、上野さんは、文化の成熟度と酒との向き合い方も連動していると説く。先進国のヨーロッパでは、複雑味やオリジナリティーといったところにお酒の価値がどんどん見出されてきた。日本では、年間の国内販売量は1973年をピークに飽和状態となり、価格競争と技術競争によって酒蔵の数は3000以上から実質稼働数は約800蔵にまで激減した。

「今後は酒本来の嗜好性に立ち返って個性や持ち味に重きを置かないと。その答えの一つに熟成酒があるのです」

複雑味を理解し味わう時代。熟成酒はお燗でさらに輝く

上野さんは、熟成酒を「探る楽しみのあるお酒」とたとえる。ひと口目は甘いかと思ったら、ふた口目に酸味が見えてきたり、とろみを感じたり。杯を重ねるごとに表情が変わってくるからだ。まさに、時間がもたらした変化である。

「酒を味わう要素の行き着くところには必ず『健康』というテーマもあります。体への負担がなく、少量でいかに満足できるかが肝になってきます」

そこで、燗酒の出番だ。平安時代の文献にすでにお酒を温めたものが登場し、江戸時代にはもはや燗酒がスタンダード。儒教の教えや貝原益軒の健康書『養生訓』にも「酒は温めて飲むべし」と出てくる。

上野さんは、バーで扱うどのお酒でも燗をつけてくれるが、特にすすめているのは、蔵付き酵母など天然酵母由来の日本酒だ。自然界を勝ち抜いた強い酵母で醸しているため、数年かけて味を落ち着かせてから出荷する造り手が多い。

バーでは、燗酒を鉄瓶から注ぐ。オリジナルの「達磨正宗 Over 5 Years」1500円(60ml)。燗つけ料+300円。

「お燗をつけると、35℃くらいをピークに甘さが際立って苦味を抑え、乳酸などが旨味に変わっていい持ち味を全面的に表現できます。ゆるゆる時間をかけて飲むことで、酔うだけではなく、厚み、奥行き、深みを『豊かさ』として享受できるのです。ストーリーまで解釈する意識を向けられるお酒こそ、豊かな飲酒文化を広げる希望を背負っています」

店舗の地階は通常非公開のセラールームで、少人数限定の特別なイベントや勉強会などに利用されている。熟成酒のセラーには、一度は飲んでみたい希少な酒が眠っている……!
熟成酒の価値創造、情報発信、販路拡大を目的とする刻SAKE協会。発足記念に発売した最高峰の熟成日本酒セットは、1セット(8本入り)202万円。限定20セットが即完売した。

熟と燗(じゅくとかん)
住所:東京都千代田区三番町7-16 1F・B1/営業時間:ショップは14:00~20:00(バーは15:00~21:00)/定休日:日・月(最新の営業状況はInstagramへ)/アクセス:JR・地下鉄市ケ谷駅から徒歩8分

取材・文=沼 由美子 撮影=山出高士
『散歩の達人』2025年3月号より

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