完璧をめざす、強くありたいと思う/自給自足を夢見て脱サラ農家40年(78)【千葉県八街市】
サザンカの花が咲く
その樹間でモズが鳴く
バサバサという羽音とともに花びらが散る
キャベツの土寄せに励む
世界はちぢこまってしまったのだろうか
果てしなく広いはずの世界が今は小さい
小さい舞台にサザンカの花、モズ
80株ほどのキャベツの列と老人がひとり
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キャベツは”クキ”を長くして待っていた
忙しいんだろうけど、早く来てほしいよねえ
キャベツ同士の会話をふと耳にした老人
今朝スコップを手にして向かう気になった
草に囲まれている、根が浮き上がっている
待たせてすまなかった
老人は胸の内で詫びを入れ、スコップを打ち込む
ほどなく師走
風は冷たい、空は明るい
小さな舞台に観客はおらず
拍手もざわめきもカーテンコールもなく
モズが鳴く、サザンカの花びらが散る
心地良さげなキャベツたちのため息が聞こえる
老人が仰ぐ青い空は白い雲と手をつないでいる
寒い家は住人をウツにする?
田舎の寒い家とメンタルヘルスの関係
11月も半ばを過ぎ、一気に本物の冬になってきた。今朝の最低気温は4度。ランニングで通り過ぎる畑はどこも霜で白くなっていた。そして、帰宅して、メールチェックするためパソコンをONにしたが、動きがふだんより遅い気がするのは今朝の寒さのせいであったか。
天気は一気に12月並みの寒さとなります・・・この予報を聞いたのは3日前。半日かけてやったのがこの下の写真、バナナの寒冷防備である。ここはビニールハウスになっている。昼間は南からの光を取り込み、夕刻にビニールを下ろす。
しかし最低気温が4度ではもはやビニール1枚で夜は耐えられない。あれこれブチ込んである倉庫からカーテン、毛布など20枚ほどを引っ張り出し、グルグル巻いて、ガッチリ縛り付けた。でもまだ不安。前回、夜の仕事のために安い電気毛布を買って腰に巻き付けていると書いたが、そうか、これと同じことをバナナにしてやればいいじゃないか・・・さあ、これでどうにか息絶えず春を迎えてくれたら嬉しいのだが。
へえっーと思うニュースを目にした。東北大学医学部などの研究グループは1万7000人を対象にした調査データを分析。結果、寒さ暑さを防げない住宅に暮らす人は、そうでない人と比べ、抑鬱傾向を持つ割合が1.57倍高かったのだという。これ以前、僕は、日本の住宅の9割以上はWHOが推奨する「冬の最低室温18度」を満たしていないという報告を目にしたことがある。
そんな住宅事情は、心臓病、脳卒中、呼吸器や睡眠の障害と結びつくということは知っていたけれど、今回、寒い家での生活はウツのリスクを招くとのデータ分析に僕は意外な感じを抱いたのである。
寒さの中にある楽しみと演出
これまで何度か書いたが、我が家は築43年のボロ家。地震や台風での被害をプロの手を借りず、自分でその場しのぎの修理をしてきた。屋根からは雨漏りし、四方が隙間だらけゆえ冬期の室温は5度になる。だいぶ以前は石油ストーブを使っていたのだが今は暖房は皆無。石油ストーブを使わない理由は散らかり放題の部屋ゆえ火事が心配だからだ。5度の部屋で僕は、アマゾンから3000円で買った電気毛布を腰に巻き、仕事アガリから寝るまでの3時間を過ごす・・・。
こうなれば、ウツ症状にドンピシャという我が暮しのはずであるが、気持ちが暗くなる、ウツっぽいということはない。なぜだろうか・・・。僕は人心をウキウキさせる“演出”が上手なんじゃないか。今日から明日につながる楽しみを用意するのがなかなか巧みなのじゃないか・・・。明日に希望をつなぐ材料。例えば上のバナナがそう。イチゴもそう。真冬に真っ赤なイチゴを食べるには・・・夜はホットカーペット、昼はたっぷり日光浴させる。田舎暮らしにおける野菜や果物の栽培作業すべてが今日から明日につながる小さな希望の連続だと言ってもよい。でもって、ウツになるヒマはないのである。
完璧をめざす、強くありたいと思う
渋柿と暮らしの手仕事が教えること
ここ数日、渋柿を収穫し、焼酎をふりかけて渋抜きする作業に精を出している。総数300ほど。40個ほどを詰めた袋が7つか8つになった。僕は柿が好物。毎日3つ4つは食べる。その柿、食べ過ぎは体によくありませんと、管理栄養士が書いているので少しドキッとしながら読んでみた。
柿は糖質が多い。柿1個はおにぎり1個分の糖質量と同じ。よって食べ過ぎると太る。柿は食物繊維が豊富で、水溶性と不水溶性の両方が含まれている。それゆえに食べ過ぎると下痢や便秘を引き起こす・・・ああ、それなら大丈夫だ。僕は太りたくとも太れない。下痢も便秘もしない。柿が赤くなると医者が青くなる・・・やっぱり柿は優れものなのだ。読み終わって、心配せずこれからも食べようと思った。
精神科医の言葉に感じた意外な気づき
昨日、寒さとウツの関係について書いた。そしたら偶然、今日の新聞広告で”本当は大丈夫じゃないあなたへ”とのリードが付いた『半うつ』という、医師の書いた本を見た。著者である精神科医が教える、心をうまく休ませるコツは以下のようなものだという。
強くあろうとするのをやめる
完璧であろうとするのをやる
私のせいじゃないとつぶやいてみる
休日を充実させようとしない
スマホから1時間だけ離れてみる
眠れないなら本を読むと決めておく
気を紛らわせず思いっきり落ち込む
寝る前によかったことを思い出す
起きた瞬間不安でも良しとする
理想と現実の間で生きる柔らかさ
僕は強くあろう、完璧であろうと常に考えながら暮している。僕が言う「強く」は、休みなく畑仕事をするための骨や筋肉の強さだ。でもってランニングと腹筋は欠かさない。完璧は、どうにもならずあきらめることもあるけれど、意識としては常に完璧を目指す。完璧を目指すからこそ80点か90点が取れるのであり、初めから完璧を捨てると点数はガクンと低くなるだろう。迷わず完璧を目指すべきだ。と同時に、完璧といかず90点、80点、場合によっては60点で終わったとしても落ち込んだりしない、ガッカリせず、よし、次こそは・・・気持ちを入れ替えチャレンジするのである。
スマホは持っていない。パソコンで作業していて、スマホは当然持っているだろうとの前提で携帯番号を要求されることがしばしばあり、ちょっと腹立たしくもあるが、さりとて持とうという気にはならない。次に、寝る前によかったことを思い出す・・・ウン、これはやっている。今日1日なした作業を振り返り、明日の予定を布団の中で考える。さらに起きた瞬間の不安・・・これにはトンと縁がない。少し体が重いという朝はもちろんある。しかし、今日を昨日と同じにする、というのが我が人生の大原則。ゆえに、いつもと変わらずランニングに向かい、熱い珈琲に幸福を感じる。それで、よっしゃ、働こうという明るい意欲が生じる。
総じて言うなら、ウツ、半ウツとは、暮しの中でかかる比重がほとんど精神へで、肉体への比重が抜け落ちているせいではあるまいか・・・。我が日常生活の80%が肉体にかかる比重、残りの20%は目の前にいる鳥、虫、頭上の空などに向ける意識。そこにはウツなるものは存在しない。矛盾するかもしれないが、僕は毎日、完璧を目指して暮らすと同時に、人生、なるようにしかならないという、ちょっといい加減な気持ちもある。田舎暮らし47年、暗い気持ちになったことがないから、この一見矛盾の生き方はまんざら間違いではなかったような気がする。
気候変動と季節の揺らぎを見つめて
短くなる秋と植物が教えてくれるサイン
十年後、秋は無いかも知れなくて白を載せつつ貴船菊立つ(吉川宏志)
読売新聞「四季」で目にした歌。貴船菊とは秋名菊のことらしい。僕にも気に入った菊がある。5年くらい前に買って、もう名前は忘れた。黄色い花ビラの中心点が薄い緑。背が高く、にぎやかに咲く。そこが気に入っている。
前掲の歌に長谷川櫂氏は次のように解説している。
トランプ大統領が否定しても、地球温暖化は年々進む。今年の夏も歴史的な猛暑だったが、来年はもっと暑いだろう。膨張する夏に押されて秋も春も痩せ細る。
「秋も春も痩せ細る」という表現が巧みだ。まさしくそう。僕の予感だが、この冬は厳しく、桜が咲くころには一気に夏日だなんてことになるのではあるまいか。
秋冬野菜の収穫がもたらす喜び
秋ジャガの収穫をボチボチとやっている。予想外の出来で気分を良くしている。そして・・・前回、袋から出した春のジャガイモが大きな芽を出していて、とっさに愛らしくなり、植えてやったという話を書いたが、今日、またまたこの下のような姿に出会った。どうしよう。よっし、またやってやるか。
まず米ぬかを入れた。深く耕し、黒マルチをし、さらにビニールンネルを仕立てる。まだある。夕方になったら防寒シートを掛ける。これから最も寒い時期を迎える。寒さに強いジャガイモもこのくらいやらないとダメだろうから。
ポポーの木が黄葉している。あと数日したら裸木になるだろう。この黄色い風景が毎年、僕に、秋が終わり、冬が来たということを教えてくれる。
幸せの要素は「地位財」と「非地位財」のふたつ
朝の光と冬仕事
光の朝は心が弾む。畑に回った朝の光を一刻も早く受けさせたいと、昨夕掛けた防寒シートを外しに行って、手の先はピリピリ痛むくらいに冷たいが、光なしの朝に比べたら、なんの、これくらい。
人参の土寄せ、ビニールハウスへのチンゲン菜の種まき、そして荷物の発送。これらを終えた午後4時、スコップを手にしてキャベツ畑に向かう。苗を植えてから1か月半。前に、北風を防ぐために高いビニールの壁を作ったとを書いたが、あの場所のキャベツである。
およそ100本。両サイドに深からず浅からず、成長促進にほどよい高さまで土を寄せてやる。西の林に太陽が隠れてから1時間。どうにか暗くなるまでにやり終えた。9月定植のキャベツは虫害でさんざんだったが、この写真のグループにはそれはない。ただし、この先の寒さが例年以上のものになるようだと結球までにはかなりの時間がかかる。
そうそう、この作業の途中、キャベツの葉にしがみつくようにしている青虫を1匹見た。もう葉っぱを食べる元気もないか、この寒さでは。バッタ、カマキリ、そして青虫。急に訪れた寒さの中でじっとしている姿に僕はいつも命の切なさを感じる。
幸せとは何かを考える
「幸福学」研究者である前野隆司さん。もとはロボット開発などのエンジニアだったというところが興味深く、面白い。その前野さんは、幸せは「地位財」と「非地位財」からなるという。地位財は他人と比較できる財のこと。具体的には金、物、そして地位。
これらによる幸せは長続きしないと言われています。一方で、非地位財とは他人との比較によらない幸せ、愛とか、やりがいとか、つながりによるもので、これは長続きすると言われます・・・。
胸を張って言えること。僕は他人と自分を比較したことがない。残念ながら金、物、地位とは無縁な半生であったが、他人を妬んだり羨ましがったりをせずにずっと生きてきた。楽しみは自分で見つける、カネは生活にギリギリ必要な額を稼ぐ、地位は・・・自分の城を建て、自分をそこの領主に登用する・・・ふふっ、ちょっと大げさな表現になってしまうが、つまるころ、それこそが田舎暮らし・・・ということなのである。
アンコの悲哀
枝豆になれなかった大豆たち
秋がない。夏からいきなり初冬の天気になった。そのひとつの証明が大豆である。僕が毎年作る品種の大豆は10月に枝豆で食べて美味しい。総量の2割くらいをその枝豆として商品にし、11月終わりから大豆とする。ところが今年は枝豆の時期がほとんどなかった。いきなり莢が茶色に変じた。
ここ数日、大豆のマメ取りに精を出している。まず枝をしごく。よく乾燥したものはこの時点で莢からマメが飛び出す。株数200。1株に5本の茎があるとして茎の総数は1000。もって、ひたすら辛抱。右手でしごき続ける。次に叩いて豆を取り出したら良品を選び出す。そして電熱のモヤシ製造機にかける。
作物と向き合う中で得る思索とユーモア
大豆仕事をしていて思い出したのは東海林さだお氏の連載『あれも食いたいこれも食いたい』。連載39回目のタイトルは「アンコの悲哀」だった。大豆は味噌になった。豆腐になった。納豆になった。枝豆になった。対して小豆はせいぜい赤飯かお粥。原型をとどめないアンコになると、もはや帰るところがない。アンコの孤独、悲哀、寂寥・・・そう書いて笑わせる。
その名の通り、大豆は大きく出て醤油になり味噌になった。しかし小豆は小さく出たばっかりにチャンスが失われた・・・百姓でありながら、大豆と小豆というふたつの漢字に特別な注意を払わなかった。しかし今、その名のごとく大きく出て大成功した大豆と、遠慮がちに小さく出て、原型とどめぬアンコになる小豆の悲しみ、それを指摘されると、大笑いするとともに、なるほどそうかと僕は納得したのであった。
あったかくして、みんな、おやすみ
冬支度が生む安心とぬくもり
今日で11月が終わる。朝の冷え込みはかなりだった。しかし無風。日中の光はここ1週間で最も豊かであった。師走はせわしないが、世間では多くの人の心が、忘年会、クリスマス、帰郷、海外旅行と、ウキウキすることも多いだろう。そうした行事と無縁な百姓でも、ちょっとばかりはウキウキする。雨戸を開ける。窓越しに朝の光を見る。窓の向こうに、あふれんばかり黄色い実を付けた柚子ツリーが朝日に照らされているのが見える。ウキウキするのである。
今日はキウイの収穫に半日を費やした。すぐ下からもぎ取れるのが2割。あと8割は脚立で、さらに4メートルの梯子を立てて奮闘する。すでに少しふんわりしているものがある。梯子に乗ったまま口に入れてみる。ウン、甘い、合格だ。硬さが残っているものはバナナかリンゴかと一緒に袋に入れておくと熟す。
5時でもう暗くなる。ポータブル蓄電器を持ってバナナのハウスに入る。自分の腰に巻くために安物の電気毛布を買った。買って3日後、思いついたのだった。そうだ、もう1枚買ってバナナに巻いてやろうと。タイマーいっぱい。8時間をセットしてやろう。どうだい、あったかいだろ?
そして部屋に戻る。風呂に入って晩酌する前、パソコンデスクの隣にある電熱デスクを整える。鉢植えのイチゴ、カイワレ大根、それに新入りのリーフレタスが並ぶ。紫色のライトが灯っているのがそれである。ここでの電熱は、それまで古い電気座布団を2枚並べて使っていたが、水が浸みるのが気になり、濡れても大丈夫という電気カーペットを6500円で買った。
散らかり放題の部屋なのだが、この明かりの空間だけは部屋の汚れを打ち消す、美しい。さあ、みんな、あったかくしておやすみタイムだよ・・・。田舎暮らしには、ちょっとした工夫による楽しみ、ふんわりする心のくつろぎ、それがほどよく散りばめられている。いかがですか? ちょっとお疲れ気味のアナタも、田舎暮らしに一歩足を踏み入れては。