1鉢で億超え。ナイキやベンツから依頼殺到の盆栽界カリスマ・小島鉄平とは何者か。
“老後の道楽”のイメージが強い盆栽ですが、その印象を覆すがごとく、世界の名だたるブランドから指名を受ける“盆栽プロデューサー”がいます。「TRADMAN'S BONSAI」こと株式会社松葉屋 CEOの、小島鉄平さんです。
小島さんはもともとアパレルでバイヤーの仕事をしていましたが、ある違和感をきっかけに、未経験ながらも30歳で盆栽業界へ飛び込みます。小島さんがプロデュースした盆栽は3000鉢以上。ナイキ、クリスチャン・ディオール、メルセデス・ベンツなどの世界的ブランドからの依頼が殺到し、中には億単位の価がつく盆栽もあります。
小島さんはなぜ、盆栽業界の門戸を叩いたのでしょうか。世界から注目されるまでの道のりを辿ります。
“盆栽のサブスク”で人気が爆発
——小島さんの盆栽は、どのような人たちから多く求められているのでしょうか。
2015年にTRADMAN'S BONSAI(以下、トラッドマンズ)の立ち上げ当初、表参道にあるニューヨーク発のデザインショップ「MoMA Design Store」から盆栽の展示の依頼をいただいたのをきっかけに、展示会場やInstagram経由で、海外のラグジュアリーブランドからの問い合わせが増えました。
直近では、ザ・ペニンシュラ東京で開催されているカルティエの展示会に盆栽を展示しています。また先日はクリスチャン・ディオールのデザイナーのキム・ジョーンズ氏や、ティファニーのデザイナー、リモワの各国の社長がトラッドマンズのアトリエ(場所は一般に公開されていない)を訪問してくれました。
——今まで、どれくらいの数の盆栽をプロデュースされてきたのですか?
プロデュースしたのは約3000鉢。リースは、年間約100店舗にご契約いただいています。
リースはいわゆる“盆栽のサブスク”で、ぼくがセレクトした盆栽を週に一度交換するサービスです。
盆栽は「松」のイメージが強いかもしれませんが、実は季節ごとにいろいろな樹木の種類があるんです。2月なら梅、3月や4月は桜、5月は皐月(さつき)……など、盆栽を通して季節の移ろいを感じることができます。
——盆栽は高価なイメージがありますが、小島さんの盆栽はおいくらくらいなのでしょうか。
樹齢や樹木の種類にもよりますが、リースの場合は、月額で1鉢あたり最低13〜15万円ほどです。
盆栽はどの作品も、完全なる一点もの。ぼくらの作品の中でも、樹齢が長かったり、「内閣総理大臣賞」や「国風賞」などを受賞したりしている盆栽は、1鉢あたり億単位の値がついています。
盆栽との出会いは、幼少期を過ごした児童養護施設
——小島さんが盆栽に興味を持ったのは、いつごろなのでしょう。
小学1〜2年生のころです。その時期、ぼくは数年間、家庭の事情で弟と一緒に児童養護施設にいたんですね。そこの施設長が、施設のグラウンドの隅で盆栽を育てていたんですよ。施設長が水をあげたり愛でたりしている姿を見て、「何やっているの?」と興味を持ったのが始まりです。
——小学生が盆栽に興味を持つのは珍しいですよね。
そうですよね。施設にいる間も小学校に通っていたんですが、その施設は規則がとても厳しくて。
放課後に友達と遊びに行くなんてもってのほかで、施設の中で遊ぶ時間が長かったから目が行きやすかったのかもしれません。
——一度はアパレルの道へ進まれたそうですが、どのような経緯だったのですか?
また両親と住むようになった小学6年生のころ、洋服が好きな父親から「リーバイス501 66」というヴィンテージジーンズをもらったんですね。父親いわく、そのジーンズは数十万円の価値があると。「そんなに古いものにそんな価値があるなんて、どういうことだろう?」とすごく気になったんですね。
雑誌でリーバイスの歴史を調べると、当時のアメリカの時代背景が見えてきました。この1本のジーンズに、持ち主一人ひとりの歴史が刻まれている。そのことに魅せられて、ファッションだけではなく、ヒップホップ音楽やスケボーなど、アメリカのストリートカルチャーにどんどんのめり込んでいきました。
中学生のころには「いつか洋服屋をやろう」と決めて、高校を数カ月で中退。16歳で母親が他界し、開業資金を貯めるためにはたらき始めました。フリーマーケットで古着を売っていましたが、それだけでは食べていけないので、焼き鳥店や生鮮市場でアルバイトをしてなんとか食いつないでいました。
18歳の時、「給料が高いらしい」と聞いてパチンコ店に就職。4年間で300〜400万円の開業資金を貯めて、22歳の時、中学時代の友人とアパレルのセレクトショップを開いたんです。
盆栽の“発信”はブルー・オーシャンだった
——そこからなぜ、盆栽を仕事にしようと思われたんでしょうか。
アパレルの仕事をしながらも、趣味で盆栽を育てていたんです。本格的な盆栽ではなく、2000円、3000円くらいの安価なものですけどね。
29歳のころ、バイヤーとしてさまざまな国へ買い付けに行く中で上海を訪れた時、あるアパレルショップに盆栽が飾ってあって。でもそれは、“引き算”の美学がない、ただ鉢に植えた樹で、中にはカラーリングされたものもありました。若い店員が「盆栽だよ。すごいだろ?」と自慢げに見せてくれましたが、ぼくが携帯電話に入っていた日本の盆栽の写真を見せると、「なんだこれは?」と唖然としていました。
上海ではほかのアパレルショップも回ったんですが、複数の店舗で上記と似た出来事があって。盆栽が海外で“寿司”と“カリフォルニアロール”くらい別物として扱われてしまっていることに違和感を抱いたんですね。
盆栽って、長いものだと樹齢300年にも400年にもなるんですよ。その歴史の中に、一人ひとりの持ち主が毎日水をやり、丹念に世話をしてきたストーリーがあるからこそ風格が出ると思っています。
ホテルに戻ってからもその違和感について考えていると、「盆栽で、若者向けのオリジナルブランドをつくったらどうだろう?」と思いついたんですね。そこからはもう盆栽のことしか考えられなくなり、帰国してすぐアパレルの仕事から離れました。
——「アパレルショップを開く」という夢を実現したにもかかわらず、一瞬で思考が切り替わったのですね!
ぼくは挑戦心が強いタイプで、「やりたい」と思ったら迷わず行動するんです。ただ、後先考えないのとは少し違って、行動する時には自分の中に根拠があります。
盆栽のアイデアを思いついた時、「これはブルー・オーシャンだ」と思いました。
日本の盆栽の歴史は長いけれど、それを20代・30代の若者向けに発信している人はいない。若者とトラッドマンズが一緒に成長すれば、その若者が40代・50代になってもファンでいてくれるはずだ。絶対に成功する、という確信があったんです。
自分にしかできない方法で、日本の伝統文化を広める
——そこから、どう行動されたのですか?
ぼくには盆栽を手入れするプロの腕前はなかったので、植木職人の友人を誘って3人のチームをつくり、盆栽を売り始めました。
事前にPRしたこともあって、売れ行きは良かったんです。ただ、盆栽を仕入れるために、盆栽士や盆栽業者が集まる販売所へ行くようになると、ぼくがこんな(全身にタトゥーの入った)見た目をしていることもあり、あまり歓迎されていない空気を感じたんですね。
日本の盆栽業界はまだ、新しいものを受け入れる体制が整っていないと感じました。それを痛感し、次に3人で、上海で盆栽を売ることにしました。現地の市場で“原石”になりそうな樹木を購入して、路上で、ライブパフォーマンス形式で盆栽に仕立て上げて販売する。すると人だかりができて、何十個という盆栽が売れました。
この経験でとても自信がつき、「もう一度日本でやってみよう」と、34歳の時、盆栽とアメリカのストリートカルチャーを融合したTRADMAN'S BONSAIのブランドを立ち上げたんです。
幼少期から自分で生きていかねばならない環境で常にサバイブしてきた中で、アメリカのストリートカルチャーから学び、支えられたからです。
——小島さんは盆栽プロデューサーとして活躍されていますが、なぜ、盆栽職人を目指さなかったのですか?
盆栽の世界には、6年間師匠の元で住み込み(無給)で修行をして、師匠に認められ初めて職人になれるというセオリーがあります。ぼくには妻と子どもがおり、現実的にそれが困難だったのもありますが、一番は、日本にはすでにベテランの盆栽職人の方々がごまんといらっしゃるからです。
そうした方々に「技術で勝ろう」という考えはありませんでした。それよりも、ぼくにしかできない「センス」や「魅せ方」に重きを置いて、盆栽を仕事にしようと思ったんですよね。
たとえば、ぼくは盆栽において「空間を演出する」ことを大切にしています。ライティングや配置の仕方で、その盆栽が持つストーリーを魅せていく。昔からインテリアに凝ったり、洋服のデザイン画を描いたりするのが好きだったことが活きていると思います。
——自分にしかできないことを追求した結果、世界中から注目されるようになったのですね。最後にそんな小島さんから、自信が持てずに新たな一歩を踏み出せないでいるはたらく若者にメッセージをいただけますか?
一番伝えたいのは、「行動しないと何も始まらない」ということです。
実は、現在14人いるトラッドマンズの社員は、ぼくが募集したわけではありません。突然履歴書を送ってきたり、展示会場に履歴書を持参したり、「はたらかせてください」と電話かけてきたり……、そうした“アクションを起こした人間”が全国から集まっているんです。
彼らは皆、うちで「はたらきたい」と思って自ら行動した。だからこそ、ぼくはリスペクトして「面接がしたい」と思いました。つまり、彼らが何もしなかったら、ぼくが彼らと一緒にはたらくことも、彼らの人生が変わることもなかったんですよね。
人生は一度きり。やりたいことをやるべきだとぼくは思います。
(文:原 由希奈 写真提供:TRADMAN'S BONSAI)