コロナ禍で仕事がゼロになった芸人、ハンジロウ・たーにーが掴んだもう一つの肩書
2020年、お笑い芸人の世界からライブという居場所が消えた。
月10本あったライブは突如ゼロになり、芸人として先の見えない日々を過ごしていたお笑いコンビ 「ハンジロウ」のたーにーさん 。彼がコロナ禍でたどり着いたのは、「スパイスカレー屋の店主」という肩書でした。
本業の幹を育てる傍らで自分らしい「枝」を伸ばし、自分らしく活躍をする人の仕事観に迫る連載「肩書+(プラス)」。前編となる今回は、 カレー屋の開業から安定した黒字経営へと育て上げた背景 を語ってもらいました。
後編:THE SECOND決勝進出の裏に「カレー屋経営」あり。ハンジロウ・たーにーが語る副業の相乗効果
芸人ファーストの経営スタイル
――たーにーさんは現在、芸人活動と並行してカレー店も経営されています。
たーにー:はい、 「五反田カリガリ マキオタニカリー」 (以下、マキオタニカリー)というスパイスカレー屋をやってます。 かもめんたる・槙尾ユウスケさんがオーナーを務める「マキオカリー」系列の五反田店 で、僕は「ステーキ&グリル IRON HORSE」さんで間借りをさせてもらっている形ですね。
<間借りしているステーキ&グリル IRON HORSEの外観>
<ランチ営業の時間は「マキオタニカリー」の看板が立つ>
――人気メニューは?
たーにー:一番人気は「あいがけカリーDX」ですね!
<人気No.1メニュー「あいがけカリーDX」(税込1,200円)>
マキオカリーはカレーのベースの味は決まっているんですが、トッピングやドリンクは店舗ごとに自由に決めていいんです。僕たちハンジロウはふたりとも沖縄県出身なので、沖縄らしいトッピングで「ラフテー」や「ポーク」も日によって提供しています。「ラフテーありますか?」ってよく聞かれます。ラフテーは僕が味付けしているので、たくさんのお客さんに喜んでもらえて本当に作りがいがあります。
――芸人の仕事とお店、どうやって時間をやりくりしているんですか? 一日の流れを教えてください。
たーにー:朝9時に来て仕込みをして、11時から15時まで営業。そのあと夜はライブに出演する、というのが基本的な流れ です。ライブは夕方以降が多いので、両立しやすいんですよ。
お昼に収録などの仕事がある日は、仕込みだけして営業はバイトのスタッフに任せることもあります。
――店長は、実際どこまでやるものなんでしょう? たーにーさんはどんな仕事を担当していますか?
たーにー:一言で言えば、全部の責任ですね。スタッフのシフト作成や、急な休みの対応、食材の仕入れや管理、清掃まで全部です。特に今の時期は食中毒が怖いですね。間借りしているお店だけでなく、槙尾さんの店舗にも迷惑がかかってしまうので、細かいところまで徹底して気をつけています。
あとは、特に大事にしているのが、 毎回キレイにして帰ること です。自分が持っている店舗だったら「ここは明日でいいか」と後回しにできるかもしれないけど、間借りなのでそれはせずに、全部掃除してから帰るようにしています。
――スタッフさんも芸人さんが多いそうですね。今は何人ぐらいで回しているんですか?
たーにー: スタッフは今7人いて、そのうち5人が芸人です。毎日、誰かしら芸人がいるので楽しいですね。ただ、みんな週1〜2勤務希望だったり、急な予定変更もあったりするので、シフトはその都度相談しながら調整しています。芸人同士なので、オーディションが入ったとしても、そこはお互い様という感じですね。
誰も入れない日はワンオペでやることもありますし、早めに閉店することもあります。どうしても都合がつかない場合は臨時休業という選択肢もあるので、多少のバタつきがあっても、何とかやれてます。
コロナが奪った居場所、それでも「動かないと腐る」
――たーにーさんが三軒茶屋カリガリマキオカリー(以下、マキオカリー三茶店)と出会ったきっかけを教えてください。
たーにー:前のバイトを辞めたばかりで、しかもコロナで芸人の仕事がなくなって困っていた時に、自分から槙尾さんに声をかけました。実はそれまで、 槙尾さんが三茶で間借りしているお店「芸人BAR PUNCHLINE」のオーナーに声をかけてもらって、そこで夜にバイトをしていた んです。その時に、 槙尾さんがお昼に間借りカレー屋をやっていると知って、マキオカリーでの仕事もするようになりました 。
――コロナがきっかけだったんですね。当時、芸人の仕事量はどんな風に変わりましたか?
たーにー:ラジオは収録だったので何とか続きましたが、 それまで月に10本ほどあったライブがゼロになりました (苦笑)。テレビの出演も少なくなりましたね。あっても無観客だし、笑い声のない中で立つような感じでした。
――ちなみに、コロナ前はどんなバイトをしていたんですか?
たーにー:夜勤のコールセンターを7年半ほどやっていました。精神的なストレスと体力的に厳しくなってきて、夜から昼のバイトに変えようと思った矢先にコロナ禍が来た感じです。
――すごいタイミングでコロナが……。それまで飲食店の経験は?
たーにー:18歳ぐらいの時に居酒屋で1年ほど働きましたが、お昼のランチ営業はマキオカリー三茶店が初めてでした。
――実際にマキオカリー三茶店で働いてみて、いかがでしたか?
たーにー:めちゃくちゃ楽しかったです! 槙尾さんは本当に芸人のことを第一に考えてくださる方で、色々と甘えながら働いていました。それに、もともと趣味が料理なので、「槙尾さんよりも美味しいカレーを作れる」と思ってますし、本人にも言ってました(笑)。
コロナ禍に挑んだ独立への一歩
――ご自身で店を持とうと思ったきっかけを教えてください。
たーにー:マキオカリー三茶店で働いてるうちに、僕もお店を出したいと思うようになっていました。そんな時に、 「さらば青春の光が五反田でバーをオープンするけど、お昼の時間帯は使っていないから間借りをしないか」 という話が槙尾さんに入りました。そこで、「僕にやらせてください!」とお願いしたんです。
――立候補してお店を持つことになったんですね。コロナ禍でのオープンに不安はありませんでしたか?
たーにー:確かに、オープンには適していない時期でした。でも、芸人の仕事がなくなって 「何かしら行動しないと!」「このままじっとしてても、どうにもならないぞ!」 という焦りの方が大きかったんです。
それに、緊急事態宣言の中でオープンして成功させた方が、後々、自分の励みになるんじゃないかなと思いましたし、お客さんたちも、ライブに来れなくてもカレー屋には来てもらえるのではないかという期待もありました。
――その考えは当たりましたか?
たーにー:ほぼ当たったと思います。マセキ(ハンジロウが所属する事務所=マセキ芸能社)はお客さんとの距離がけっこう近くて、今はライブ後の出待ちは禁止ですが、以前はお客さんから「あのネタよかったよ」と直接声をかけてもらうのも普通だったんです。
あと、芸人が新しいことに挑戦するというのが、幅広いお笑い好きの方々の興味を引いたようです。最初に間借りしたお店の場所が、さらば青春の光の「さらばBAR」ということもあって、より話題になったんだと思います。
店舗移転を乗り越えて
――間借りでマキオタニカリーを始めて、手応えはいかがでしたか?
たーにー:調子は比較的よくて、もちろん売り上げが下がる月もありましたが、赤字になることはなく、 少しずつですが黒字が積み重なっている感じ でした。
――赤字を出さずに順調に経営されていたのに、なぜ移転することになったのですか?
たーにー:「さらばBAR」がタバコを吸える店舗に切り替えることになったからです。区の条例でタバコが吸える店舗では主食を出せないんですよ。カレーの場合はレンジでチンして提供するなら問題ないようですが、やっぱりお店で作ったものを提供したかったので、移転を決めました。
――移転先はどのように探したのですか?
たーにー:実際に、五反田界隈の飲食店を何軒もまわって探しました 。実は、この店舗の一本隣の道に並ぶスナックのママさんから間借りの開店許可をいただき、チラシや看板も準備していたんです。
でも、お世話になっている飲食店にご挨拶がてら飲みに行ったとき、「IRON HORSE」のオーナーが隣の席で飲んでて、お店のマスターが 「間借りカレーにピッタリのお店だから、やらせてあげなよ」 ってプッシュしてくれて、このお店でオープンすることになりました。
――開店の直前で、思わぬ急展開があったんですね!スナックのママさんには、なんてお話したんですか?
たーにー:正直に事情をお伝えしたところ、「確かにスナックよりIRON HORSEの方が合ってるかもね」と納得してくださって、その1か月後にはオープンできました。
――スナックのママさんとのやり取りからも、地域とのつながりを大事にされているのが伝わります。
たーにー:五反田店をオープンするに当たって、最初から地域密着を意識していました 。まず自分が常連として通えるお店を5店舗ほど作って、そこでチラシを置かせてもらったんです。ネットか何かで見たんですが、新しくお店を出す時はネットで広く情報発信するよりも、近くに住む人や働く人たちに知ってもらう方が、集客につながるとあったんです。 僕も、ちゃんと地域に根付いたお店にしたいという気持ちがあったんで、まずは近所を大事にしようと考えました 。
――地域密着型ですね! 近所の方と仲良くなるコツはありますか?
たーにー:僕めちゃくちゃ人見知りなんですよ(苦笑)。でも、お酒が入ると心を開くタイプなので、とにかく近所のお店に飲みに行きました。最初はなかなか話せなかったんですけど、何回か通っているうちに、少しずつ仲良くなっていった感じです。
あと、 沖縄の「ゆいまーる精神」 が効いたんだと思います。みんなで仲良くやっていこうという精神ですね。特別なことはしていませんが、お酒を飲みながらたわいもない話や近況報告をしながら、少しずつ関係を築いていった感じです。
――マキオタニカリーで働く中で、一番やりがいを感じるのはどんな時ですか?
たーにー:色々あるんですが、一番はお客さんに直接「美味しい」と言ってもらえることですね。 僕の中では「面白かったよ」って言ってもらうのと同じ感覚 なんです。芸人のスタッフも多くて楽しく働けるし、褒めてもらえるし、言うことなしです。
コロナ禍という逆境の中、「ピンチな時に店を出した方が励みになる」と発想を転換し、緊急事態宣言下での開業を成功させたたーにーさん。地域とのつながりを武器に経営を続けてきました。後編では、芸人と飲食店オーナーという2つの肩書がもたらした気づきや変化、そして地域に愛される店作りのヒントに迫ります。
後編:THE SECOND決勝進出の裏に「カレー屋経営」あり。ハンジロウ・たーにーが語る副業の相乗効果
プロフィール
たーにー(ハンジロウ)
1984年12月27日生まれ。那覇市首里生まれ、沖縄県立沖縄工業高等学校出身。高校時代からアマチュアコンビ「しゃもじ」として沖縄県内で活動し、2003年に本格的に芸人活動を開始。2009年に活動拠点を東京に移し、フジテレビ系のレギュラー番組に抜擢される。2022年にはコンビ名を「ハンジロウ」に改名。2023年「第5回 たけしが認めた若手芸人ビートたけし杯『お笑い日本一』」で優勝。2024年「THE SECOND~漫才トーナメント~」のグランプリファイナルに出場。
X(旧Twitter) @ta_ni_shamo @cmtcurry YouTube ハンジロウのラッタッターで向かいます
取材・文:安倍川モチ子
撮影:川戸健治
編集:求人ボックスジャーナル編集部 内藤瑠那