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第30回【私を映画に連れてって!】韓国から何十万人もの人が訪れた『Love Letter』の小樽をはじめ、映画とロケ地のすてきなトリビア

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第30回【私を映画に連れてって!】韓国から何十万人もの人が訪れた『Love Letter』の小樽をはじめ、映画とロケ地のすてきなトリビア

1981年にフジテレビジョンに入社後、編成局映画部に配属され「ゴールデン洋画劇場」を担当することになった河井真也さん。そこから河井さんの映画人生が始まった。『南極物語』での製作デスクを皮切りに、『私をスキーに連れてって』『Love Letter』『スワロウテイル』『リング』『らせん』『愛のむきだし』など多くの作品にプロデューサーとして携わり、劇場「シネスイッチ」を立ち上げ、『ニュー・シネマ・パラダイス』という大ヒット作品も誕生させた。テレビ局社員として映画と格闘し、数々の〝夢〟と〝奇跡〟の瞬間も体験した河井さん。この、連載は映画と人生を共にしたテレビ局社員の汗と涙、愛と夢が詰まった感動の一大青春巨編である。

 アニメ映画などの「聖地巡礼」が多くなり、海外からの観光客も足を運んでくれるようになってきた。

 ぼくが関わった映画で最初に「ロケ地探訪」を感じたのは『Love Letter』(1995/岩井俊二監督)だ。ただ最初の台本では<函館>が舞台になっていた。国内の観光地人気投票をするといつも<札幌>や<京都>とともにランクインするのが<函館>だ。ぼくもこの25年くらい、毎年の「函館港イルミナシオン映画祭」のシナリオ大賞審査員として12月初旬に参加してきた。函館ロケの映画も何本かやってきた。コンパクトな街に、異国情緒もあり、幕末の歴史も感じられる街である。

『Love Letter』の韓国上映は日本公開から3~4年遅れてスタートしたが、『影武者』(1980/黒澤明監督)、『うなぎ』(1997/今村昌平監督)、『HANA-BI』(1997/北野武監督)のあとの公開で得をした気がする。長い間の日本文化(映画・ドラマ・歌など)輸入禁止が一部開放になり、ハイクォリティな? 映画の後で『Love Letter』の主演の中山美穂さんが韓国にはあまりいない日本女性の理想像のようになった。映画の中のセリフ「お元気ですか~」が大流行になった。そして中山美穂+小樽を観たいと韓国から何十万人の人がロケ地を訪れた。

 今は消失してしまったが、ロケで使用した彼女の家には特に多くの人が訪れた。これは「聖地巡礼」なのか。札幌や函館の、いわゆる観光名所ではなく、その映画に登場するそのものに触れたい、画面と同化したい、という気持ちか。

 クランクアップしたのに「東京に帰りたくない!」と小樽に何日か居座った中山美穂さんの眼差しも忘れられないが……。

▲岩井俊二監督・脚本、中山美穂(二役)主演、豊川悦司共演の1995年公開映画『Love Letter』。韓国での公開は99年。映画の冒頭に登場する天狗山スキー場、小樽の藤井樹(中山)が住む銭函の高台の家は旧坂別邸、神戸の藤井邸の内部は小樽の旧寿原邸、藤井樹が働く「小樽市立図書館」は旧日本郵船小樽支店、秋葉(豊川)が勤める神戸のガラス工房はザ・グラス・スタジオ イン オタル、そのほかにも小樽運河工芸館、運河プラザ前の歩道、小樽公園運動場、郵便配達がバイクで走っていた舟見坂など、ロケ地としてさまざまな小樽が登場する。中山美穂は、ブルーリボン賞、報知映画賞、ヨコハマ映画祭、高崎映画祭などで主演女優賞に輝いた。

 時間が経つと、映画の中に貴重な当時の映像が残っていることも多い。デジタル時代前では35ミリフィルムで撮影していたので、1枚1枚が貴重な写真(映画は1秒間に24コマの写真)でもある。『チ・ン・ピ・ラ』(1984/川島透監督)はローバジェット映画の為、セットを組む予算もなく、1か月の渋谷完全オールロケ。許諾をもらって撮影した場所と、そうでもない所も……。

 今は無き、東急百貨店本店(渋谷)の屋上は思い出深い。昔はデパートの屋上は遊園地とかが普通だった。柴田恭兵さんとジョニー大倉さんの屋上シーンは今観てもグッとくる。その場所が無くなってしまった郷愁も加味されているのか、40数年前の渋谷を失踪する2人の姿とともにシブヤが蘇る。

 悲しい想いがあるのは『千年旅人』(1999/辻仁成監督)だ。ほとんどを石川県門前町(今は輪島市門前町)の海辺で撮影した。主演の豊川悦司さん、大沢たかおさんも海から徒歩の民宿(旅館)に宿泊した。撮影前、砂浜の廃屋を見事に再生して主人公たちの滞在する館にしてくれたのは美術の種田陽平さん(『スワロウテイル』『国宝』『キルビル』等)だ。撮影後は「ロケの家」として観光客も訪れた。しかし、2024年の1月1日の震度7の地震で当時の街の姿は全く変わってしまった。当時の海岸や民家は映画の中にだけ存在することになってしまった。

▲辻仁成が原作・監督・音楽を担当し、豊川悦司と大沢たかおが共演した2000年公開の『千年旅人』。輪島市の琴ケ浜(泣き砂の浜)、羽咋郡のヤセの断崖、能登半島の(旧)門前町などでロケされている。映画には、2024年の震災以前の風景が刻まれている。映画は記録の文化でもある。輪島市は蔵原惟繕監督、浅丘ルリ子主演64年公開『執炎』、是枝裕和監督、江角マキコ主演95年公開『幻の光』、降旗康男監督、岡田准一主演2017年公開『追憶』など数多くの映画のロケ地になっている。

 面白いこともある。『病院へ行こう』(1990/滝田洋二郎監督)は主人公が最初入院していた整形外科はじめ、色んな病棟が登場する。実際はぼくの東京女子医科大学入院時の話だが、さすがにそこを撮影で借りるのは無理だ。セットを建てるのも大変な費用がかかる。ひょんなことから女子医大の外科の助教授が職を投げうって?茨城の牛久愛和総合病院の院長になった先生がいらした(1987年頃)。茨城県と聞くとちょっとロケ地としては遠い感じがするが、車なら1時間半内外で行ける。幸いに(というと語弊があるが)お客さん(患者)もそんなに多くなく、ほぼワンフロアに渡って貸してくれるらしいと。結局、病院の中のシーンの多くは愛和総合病院で撮影させてもらった。薬師丸ひろ子さん、真田広之さんも撮影に通ってもらった。

 パート2(『病は気から 病院へ行こう2』/1992)の時もスタッフが撮影のことを聞いてくれたが「お陰様で満室です!」とのことで、映画の宣伝効果!? があったのか、なかったのか……。それでも、ホスピス病棟を撮影のためにゼロから設営することになり、空いている敷地を貸してもらって建てたような……。

 ぼくの関わった映画で元祖「ロケ地巡礼」に当たるのは『私をスキーに連れてって』(1987/馬場康夫監督)だろうか。1~2月の撮影を予定していたのだが2月中旬になっても雪が降らない。元々、企画のストーリーとしてはユーミンが今でもコンサートをやっている苗場だ。志賀高原、万座など色々候補はあったはずだが、どこも雪不足、というか無い。結局、クランインできるか3月まですったもんだした挙句、辛うじて奥志賀の焼額山のプリンスホテルをベースに4月に入り、俳優も参加して、正式クランクイン。プリンスホテル、プリンスグループには本当にお世話になったが、その後のスキーブームで焼額山は空前のスキー客が訪れることになった。というより、全国のスキー場が原田知世さんの来ていた白いスキーウエア族で大いに盛り上がった。

▲馬場康夫監督、一色伸幸脚本の1987年公開『私をスキーに連れてって』。主演は原田知世、共演の三上博史はスキーができる俳優ということで抜擢され、本作を機にスター俳優へと駆け上がった。ヒロイン原田知世のニット帽にゴーグルスタイルは女性たちに大流行し、原田は日本アカデミー賞話題賞を受賞している。奥志賀高原スキー場、焼額山スキー場のゲレンデをはじめ、志賀高原プリンスホテル、万座プリンスホテルなどロケ地も話題になった映画。大晦日に三上博史たちが楽しむシーンは万座温泉ロッジ「ハウスユキ」で撮影された。当時、全日本スキー連盟会長だった堤義明氏から日本のスキー指導の第一人者で、万座スキー学校校長の黒岩達介氏への電話依頼で急遽撮影が決まり、通常営業をする中、3日間徹夜で撮影が実施されたという。スキーを八の字にした前走者の足の間に、同じように八の字にした後走者がスキーを入れて列車の一両編成のように連なった状態で滑る「トレイン走行」は、焼額山スキー場でのシーンであった影響から、焼額山スキー場でトレイン走行をするスキーヤーたちが増えた。写真は焼額山プリンスホテルの前での原田知世ら。

 数年前に、(伊豆)大島に行った時の記憶は今でも新鮮だ。昔『七人のおたく』(1992/山田大樹監督)のロケで大島に10数人の俳優と撮影に行った。30年以上前の話で、ぼくはどこで撮影をしたか、忘れてしまっていた。たまたま、道路沿いで車を止めていた時の事。

 ぼくが『七人のおたく』はどこで撮影したんだろうな……と呟いたのか……知らないオジサンが「ちょっとついて来な!」という感じで「オレは知ってるぜ!」の形相。そこからが凄い。「ちょっと向こうの方見て! あの小屋みたいなところがあるでしょ。中尾彬さんが、こうやって座っていて、途中のあそこ! から山口智子さんが現れる!」この人は、もしかしたらスタッフだったのかと思わせてくれるような詳しい解説付き。プロデューサーだった自分の記憶は全くないのに比べて、なんと鮮やかに助監督のような説明に感服!「だって、大島の人間はみんな知ってるよ! ウッチャンナンチャンやら江口洋介やら生で見られるめったにない機会だったからね」

 映画のロケのもう一つの役割みたいなもの。ロケ場所の人たちの想い出としてしっかり覚えていてもらえる。そして「地方創生」の言葉が飛び交って久しいが、映画を観てくれて、話題にしてもらって、撮影場所を訪れる人が増えるのはとても素敵なことだ。

▲山田大樹監督、一色伸幸原作・脚本の1992年公開『七人のおたく』。ミリタリーおたくの南原清隆、格闘技・ヒーローおたくの内村光良、Macおたくの江口洋介、レジャーおたくの山口智子、フィギュアおたくの益岡徹、アイドルおたくの武田真治、無線おたくの浅野麻衣子というメンバー。最終目的地となる「井加江島」のロケ地は伊豆大島。中尾彬は井加江島を支配している高松屋の主人を演じた。

 

かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。

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