大衆酒場ライターが選ぶ“行ってみたい酒場”を大公開! 秋田県湯沢『河童の川太郎』
日本全国の酒場を訪れるにあたって、私は詳細にそのデータを管理している。定休日や営業時間、ジャンルのカテゴライズや訪問済みの評価もキッチリと行っている。その数、現時点で8000件ほどあり、そこからさらに細分化して地域ごとに行きたい酒場などをグループ化するなど、自分で言うのもなんだが、もはや“仕事”として成り立っている。そんな大量のデータから“本当に行ってみたい”という酒場が10軒ほどある。それは、とにかくシブい店だったり、とんでもない秘境にある店だったり……基本的には、なかなか行く機会がない場所にあるからもどかしい。いつもそのリストを眺めながら、いつか行けたらいいなと想像して、実際に行けることになると何日も前から夜も寝付けなくなるのだ。そんな行ってみたかった10軒の中の1軒に行くことができたのだ。場所は私の地元でもある秋田県。
かつて栄えた飲み屋横丁に残る酒場の灯
秋田駅から新幹線で30分、大曲駅に着くとそこからさらに奥羽本線に乗り継ぎ、揺られること1時間弱。ついに目的地・湯沢駅へやってきた。
いや……遠かったなあ。子供の頃はよく車でスキーに来ていたが、電車で来るとなると大変だ。本数が少ないし、乗り換え待ちに30分かかることもあるし……とにかく生活の中に電車がないってことは、こんなに大変なものなのだと痛感する。
そんな大変さも、あともうじき吹っ飛ぶことになる。5年くらい前だろうか、その酒場を見つけた時は興奮したことを覚えている。
駅から歩いて数分。小さな路地へ入ると、夕暮れを背景に錆びた柱には秋田の銘酒の看板が見える。ただ今は酒場らしきものは見えず、おそらくここがかつて栄えた飲み屋横丁だったのがうかがえる。そして、その横丁に唯一残る酒場の灯がひとつ──。
でっ、でっ、出たあっ! 夢にまで見た『河童の川太郎』が、今まさに私の目の前にある……! 草木と同化したトタン板とモルタルの渋い外観。正直、ここがまだ“生き残っている”のかも疑わしいが、よく手入れされた縄暖簾を見る限り現役で間違いないようだ。
ここに、来たかった……高鳴る鼓動を抑えつつ、ゆっくりと縄暖簾を割った。
「いらっしゃいませ」
うお……! すばらしい、想像以上の渋い内観だ。木製の下駄箱に靴を入れ中へ入ると、右手に内屋根のあるカウンターと目の前にはネタケースがあり、中には宝石のような魚たち。民芸調の明かり、当日メニューが書かれた黒板。そこを小上がりが囲うようにしていくつか並び、全体的にコンパクトに渋さが凝縮している。
文句のつけようがない、圧倒的な内観にしばし立ち尽くしたあと、マスターに促されてカウンターへ座った。
秋田名物のお通しに耽溺(たんでき)
カウンターからの景色も最高で、ネタケースの美しさはもちろん、大きなおでん槽や秋田銘酒がずらりと記された暖簾。古い酒燗器や酒器の数々、天井には立派な神棚まである。はあ……ずっと見ていても飽きない。
ただここは酒場、有形文化財の建物ではない。瓶ビールを頼み、グーッと一気に飲み干して“酒場”をはじめようじゃないか。
まず、カウンターに座ったときから用意されていたお通し「ギバサ雲丹」と「シロナガスクジラ生白皮のポン酢」の美しきこと。
秋田名物のギバサは海藻の一種で、一気にすすると窒息しかねない粘りの強さ。ここに極上の雲丹が絡むと、その濃厚な雲丹の味わいがギバサの粘りによって増幅、口の中にいつまでも旨味が残るようだ。
はじめて食べたクジラの生白皮が、最高にうまい! クジラの皮と皮下脂肪の部分を薄切りにしたもので、舌にとろけるような甘くてミルキィなおいしさ。これがポン酢と合わさって絶妙な仕上がりとなっている。
間違いなく、過去一番のお通しだ。
はじめにあんな素敵なおでん槽を見せられたもんだから、おでんをいただかないわけにはいかない。おでん槽の前に立ち、吟味するのが楽しい。あれとこれ、そうそう、これももらおう。自分ひとりなんで、完全に好きなものだけだ。
玉子、はんぺん、ちくわ、大根……私的なオールスターが揃った。しっかりと茶色に染みた玉子は、ぽっくりとしたうまさで、モッチリはんぺんは魚の味が濃い。プリプリしたちくわは歯触りが楽しく、ジュワリとスープを吸った大根も上品な味付けがお見事。許されるなら、鍋を持ってきてこのスープを4Lほどいただいて帰りたい。
通常メニューにはない「クジラの心臓の刺し身」
「雪、結構降ったスなあ」
「そうだったんですか、どれくらい降りました?」
仕事をしながらマスターが、ふいに話しかけてくれる。この店特有の落ち着いた空気の中、私の母国語でもある秋田弁が心地よい。普段東京にいるときも秋田のニュースは調べているが……そうそう、ずっと気になっていたニュースを聞いてみよう。
「それより熊! 秋田にめちゃくちゃ出没してますよね?」
「都会で生まれて山には行けない熊なんです。アーバンベアって言ってます」
そのネーミングセンスに、ドッと一緒に笑う。酒場でひとりで飲んでいるだけなのに、楽しくてしょうがない。
そこへスッと差し出された鮮やかな輝きは刺し身三点盛りだ。色、ツヤとも見るからに新鮮な本マグロ、チダイ、カマス。なんですか、これは? 神様へのお供え物ですか?
ピンとカドの立った本マグロは赤とピンクのグラデーションで、ネットリと舌に絡む極上の旨味。チダイは弾けるような白身と湯霜にされた皮の間にすべての旨味が凝縮されている。ほんのりピンクの身がきれいなカマスは、淡泊でスッキリと洗練された味わい。
「クジラの心臓の刺し身、食べますか……?」
クジラの生白皮がおいしかったことをマスターに言うと、通常メニューにない料理をおすすめしてくれた。
「時間かかりますし、まあまあ値段が張りますが……」
なるほど……恐る恐る値段を聞くと……1500円。いささか拍子抜けだったが、これを頼まない手はない。
そしてやってきたのがクジラの心臓の刺し身! 見た目はレバ刺しのようで懐かしくなる。あのデカイ体からこの小さな切り身となると、なんだかありがたい。気になるそのお味は……。
う・ま・い! 赤身魚をもっと繊維質にしたツルシコの食感。臭みなどはまったくなく、赤身ならではの旨味がギュッと締まったおいしさ。まさか、秋田の内陸部でこんな貴重な海の幸をいただけるとは……お見事です。
これからも続いていくだろう予感
「ここにずっと来たかったんですよ」
すっかり居心地がよくなってしまった私は、思わずマスターにそのことを伝える。それに照れくさそうに応えてくれるマスターは2代目だという。先ほどから予約客でどんどん席が埋まって来ており、若いマスターや店の盛況を見ると、これからもまだまだこの店は続くのだろうと確信した。
「花粉症ですか?」
「ええ、そうなでスよ」
ずっと目鼻が痒そうなマスター。秋田県の木は「秋田スギ」なので相当つらいはずだが「記事に花粉症も書きますね」と、笑って約束して店を出ることにした。
店を出ると、4月だが結構寒い。ここが“本当に行ってみたい”酒場がある、秋田の湯沢だったことを思い出す。達成感と共に、言葉にならないうれしい気持ちに包まれた。
私の行ってみたい酒場は、“行ってみてよかった酒場”のひとつにもなったことは言うまでもない。
河童の川太郎
住所:秋田県湯沢市表町2-4-7/営業時間:17:30~23:00/定休日:日/アクセス:JR奥羽本線湯沢駅から徒歩1分
取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)
味論
ノンフィクション酒場ライター
1979年東京都生まれ、秋田県育ち。酒場紹介サイト「酒場ナビ」主催。「さんたつ公式サポーター」を経て2023年より執筆中。趣味は全国のレトロ建築めぐり。