足利市「フィルムコミッション事業」による撮影誘致の最前線。映像の力が地域の誇りを育む
映像の力でまちが動く。足利市の「フィルムコミッション事業」
「ロケ地」として、今、栃木県足利市が注目を集めている。市内には、歴史的建造物が並ぶ古い町並みや、豊かな自然、そして市街地から少し離れれば田園風景も広がっており、映画やドラマ、CMのロケ地として高い人気を誇る。近年では、話題作の撮影が相次ぎ、SNSなどでも「聖地」として多くのファンが足を運ぶ。
足利市はこの流れを一過性のブームで終わらせず、継続的なまちづくりの軸として推進してきた。ロケ誘致と観光振興、地域経済の活性化を一体で進めるもので、単なる撮影地提供にとどまらない。市民や地元事業者と連携し、地域全体で撮影を受け入れ、ロケを通じて地域資源の再発見や誇りの醸成につなげていくという取り組みだ。
撮影が行われると、地元の飲食店や宿泊施設への経済効果が期待できるのはもちろん、エキストラとして市民が参加することも。撮影時にスタッフと地域住民が交流することで、地域の魅力が外へと発信されるだけでなく、内側からも再認識されていく。映像作品の持つ「記憶に残る力」と「人を動かす力」を、まちの活力へとつなげていく。足利市は、「ロケのまち」として進化を続けている。
ロケがまちの武器になるまで。始まりは一つの決断から
現在、映像のロケ地として全国的な知名度を誇る足利市だが、最初から戦略的に映像産業をまちづくりに取り入れていたわけではない。もともとは市内に映画やドラマの問い合わせが散発的に寄せられる程度だったが、大きな転機となったのは、前市長によって「フィルムコミッション事業」が打ち出されたことだった。
映像作品は、市の知名度を高めると同時に、観光・経済・文化への波及効果も見込めることに着目し、市として積極的にロケ誘致を行う方向へと舵を切ったのだ。点として存在していたロケ受け入れを、面としてのまちづくりにつなげていこうという明確な意思があったのだろう。
この方針転換を機に、市役所内に映像関連の窓口が設けられ、ロケの調整や地域連携が制度的に整備されていった。そして、その動きが市民や地域の理解を生み、後のフィルムコミッション設立へとつながっていくことになる。
地元住民が「撮影が来るとまちがワクワクする」と語るように、ロケが市民にとって特別な出来事から“日常の風景”へと変化していくプロセスが、足利市の「フィルムコミッション事業」の成熟度を物語っている。こうして、「映像でまちを元気にする」という理念は、行政の内外に広がっていった。
充実した支援体制で、“撮れるまち”としての信頼を
足利市がロケ地として多くの制作関係者から選ばれる理由の一つが、その徹底した支援体制にある。撮影は、映像だけでなく「現場の段取り」が命。足利市では、その下支えを行政と地域団体が一体で担う体制が整っている。
現在、ロケ支援の実務は、市の外郭団体が担っている。以前は市役所の担当課が直接対応していたが、対応件数の増加や専門性の向上を目的に、2022年度に独立組織として「公益財団法人足利市みどりと文化・スポーツ財団」に合流・再編され「あしかがフィルムコミッション」というブランド名で活動している。とはいえ、市役所からの出向者が在籍し、庁内連携も継続されており、公的な調整力とフットワークの両立が実現している。
撮影隊の誘致や調整だけでなく、地域資源を「映えるロケ地」としてどう魅せていくか、自治体としてのノウハウを積み重ねていった。市内の神社仏閣や商店街、公共施設など、撮影協力を得られるスポットを洗い出し、独自のロケーションデータベースも構築された。
このような行政主導の取組には、映画やドラマに理解のある職員の存在も大きかった。「作品が公開された時に、“このシーン、うちの街だ”と誇らしく思えるような環境を整えたい」と語る担当者の姿勢に、多くの市民や事業者が共鳴していった。
こうしたロケハン支援、施設調整、地元業者との橋渡し、地域住民との調整など、「あしかがフィルムコミッション」を中心とした支援体制が、足利市の「フィルムコミッション事業」を力強く支えている。
映像が育てる"市民の意識"と"文化の広がり"
「フィルムコミッション事業」は、足利市に新たな誇りと文化をもたらした。映像制作を通して生まれる経済効果に加え、市民の「関わる意識」や「まちへの愛着」が、ここ数年で変化している。
例えば代表的なロケ地として、廃校となった旧足利西高校がある。校舎やグラウンドの活用が可能で、ドラマ『ナンバMG5』や、最近では『不適切にもほどがある』でも校庭が使用され、汎用性の高いロケーションとして映像制作側に重宝されている。すでに閉校しているが、映像ファンが国内外から訪れる姿も見られるようになった。足利市にゆかりのある人たちが「自分たちの学校が作品に出ている」と喜ぶ姿は、まちが育む誇りの表れだ。
市民の多くは、撮影を見守るだけでなく、積極的に参加し、支える存在へと変わりつつある。ボランティアやエキストラへの応募、交通整理や案内役、さらにはSNSでの情報拡散など、それぞれの立場で「映像のまちづくり」に関わるようになった。
数年前、市内の旧競馬場跡地に渋谷のスクランブル交差点を再現した大規模なセットが登場。中国の映画制作会社が交通量の多い渋谷の交差点での撮影は難しいという相談から始まり、それを再現したオープンセットを作ったのだ。地元住民も驚いたこの取り組みは、足利が「なんでも撮れるまち」として制作関係者の信頼を得ている証であり、まちの話題の中心にもなった。
さらに、足利市には現在、市内に1館のみ映画館が残る。「ユナイテッド・シネマ アシコタウンあしかが」は、シネコンで最新作を楽しめる場所であり、映画を通じたまちの文化の“最後の砦”として、多くの市民に親しまれている。「映画館のないまちが増えている中で、うちにはまだある」という声も少なくない。
官民を越えて続く挑戦。「フィルムコミッション事業」としての、これからの足利
映像の現場を支える仕組みは、すでに市の外郭団体として再編された「あしかがフィルムコミッション」が中心となって動いている。ここから先は、単に“撮られるまち”にとどまらず、“関わるまち”“訪れたくなるまち”へと進化できるかが鍵となる。
これから注目されるのは、作品公開後の“その後”の展開だ。映画やドラマの舞台となった場所を訪れる「聖地巡礼」や、市民による上映会、作品と連動したイベントなど、ロケ地が“体験の場”へと変わる動きが全国で広がっている。実際に足利市でも、作品に触れた来訪者に向けた周遊マップの整備や、記念撮影スポットがある。
まちなかを歩けば、そこかしこに映画やドラマの舞台となった風景が広がり、そこに暮らす人々が誇らしげに語る—そんな風景が、足利ではすでに日常になりつつある。
映像がもたらす感動を、まちの未来へどうつなげていくか。足利市の挑戦は、次のフェーズに入ろうとしている。映像がまちを変える。その最前線に、足利市は立ち続けている。