動き回りすぎて切迫早産!?慢心が災いした、二人目妊娠出産
5歳と2歳になる娘を育てるライターのKanakoです。今回は次女の出産体験について綴りたいと思います。
待望の2人目妊娠。でも多忙でゆっくりできない!
次女を妊娠したとき、私は32歳で、正社員として働いていました。ずっと2人目が欲しかったので、妊娠したときは嬉しいというよりも、やっとできたことにホッとしたことを覚えています。
しかしその頃、私は仕事と長女の育児で多忙な毎日を送っていました。朝は8:00前に長女を保育園に送り、帰りはいつも18:30を回っていました。平日はソファに座る暇もないという毎日でした。
次女の妊娠がわかってからも、長女の保育園への送迎は毎日自転車を使っていましたし、会社の仕事も変わらずこなしていました。妊娠の経過が順調だったのと2人目ということもあり、慢心してペースダウンしなかったのがその後の災いにつながりました。
子宮頸管が短いって? 自分の不注意で入院すれすれに
7ヶ月健診の時、担当の医師から「子宮頸管が短いので、なるべく安静に。1週間後に再検査します」と伝えられました。つまり“切迫早産”ということです。しかし仕事も長女の育児もあるので、安静にできるはずがありません。
この時はそこまで深刻に考えていませんでした。いつもと同じように1週間を過ごし、再検査を受けました。その結果、子宮頸管はさらに短くなっていることが判明したのです。
先生は少し深刻そうな顔をして、「周産期センターに入院することをおすすめします」と言いました。「入院するほど悪いのか」と、愕然としたのを覚えています。しかし私は長女のことが心配だったので、自宅安静を選びました。
会社には事情を説明して、そのまま産休に入らせてもらいましたが、仕事の引き継ぎも途中のまま、机も片付けないまま、何もかもやりっぱなしのままになってしまいました。
人生でこんなに“動かなかったこと”は、無い
それから約2ヶ月近くに及ぶ自宅安静が始まりました。起き上がるのは、トイレとシャワーの時だけ。外出は、1週間に1回の健診の時だけです。家族に協力してもらい、長女の世話は食事からお風呂まで全部お願いしました。
私は一日中、ソファの上で本を読むかテレビを見て過ごしていましたが、こんなに暇だと思ったことはありませんでした。
その甲斐あって、早産することもなく無事妊娠36週を迎え、自宅安静が解けました。先生には「動き始めたらすぐに出産になるだろう」と言われたのに、予想に反して次女はなかなか、おなかから出てきませんでした。
陣痛が微弱で、出産は“促進剤か? 自力か? ”
39週になってようやく陣痛が始まりましたが、私は微弱陣痛の体質で強い陣痛がこないので、2日後に促進剤を使って出産することになりました。
入院当日、気分転換に院内を歩き回っていると、陣痛が強くなってきました。「できれば促進剤は使わずに自然に産みたい」という気持ちがあったので、もっと動き回って陣痛を促しました。
そのまま分娩台に移ることができましたが、それでも相変わらず微弱陣痛でした。陣痛が弱くて強くいきめないのです。「これが最後だよ」と助産師さんに言われてから何度いきんだことか…。
陣痛が弱くても、痛みは変わらないのが不思議です。本当に痛いです。それでも全身の力を振り絞り、何とか促進剤を使わずに産むことができました。
今回は、入院すれすれになるほど動き回ってしまった自分の不注意に、悔やんでも悔やみきれませんでした。そのせいで家族や会社には大迷惑をかけてしまったのです。1人目も2人目も予想外の出産になり、もっとしっかり自分を管理すべきだったと思います。それでも次女は、妊娠39週2日目に、体重2820g、身長50cmの元気な赤ちゃんで生まれ、経過も順調だったのは何よりです。生まれた我が子を初めて抱く瞬間の感動は、言葉では言い表せません。家族、先生、助産師さん、頑張った次女、そして見えるものにも見えないものにも、この世の全てに対して感謝の気持ちが溢れ出しました。
[Kanako Sato*プロフィール]
5歳と1歳のママ。2人目の出産を機に会社員を辞め、フリーランスとしてライティング、翻訳などの仕事をしています。子どもに自然と触れ合う機会を増やしてあげたいと思い、最近は家族でキャンプを始めました。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。