サッカー元代表の望月重良さん(清水商業高出身)大学時代10チームからオファー!?名古屋グランパス選んだ決め手は“ピクシー”
SBSラジオの静岡サッカー熱血応援番組「ヒデとキトーのFooTALK!」に、元日本代表の望月重良さん(静岡市清水区出身)をお招きしました。前編は現役時代のことを中心に、パーソナリティのペナルティ・ヒデさんと鬼頭里枝さんが話を聞きました(2024年10月15日放送)
ヒデ:まさにレジェンド。地元の局の出演が何十年ぶりぐらいということに驚きつつも、光栄に思います。全然地元の局に出ないんですって?
望月:静岡県の高校サッカーの決勝後、そのままスタジオに入って以来ですね。
ヒデ:嘘でしょ!何してんの、SBSさん!
鬼頭:何十年ぶりってことになります。それがまさかのFooTALKとは!
輝かしい経歴
鬼頭:望月さんは1973年生まれ、静岡市立清水庵原小学校出身で、小学校3年生から清水FCに選出。全国大会優勝を小学校で経験されています。
ヒデ:藤田俊哉と同じパターンですね。ここからエリート街道が始まるんですよ。
鬼頭:高校時代は清水商業(現在は清水桜が丘高校)でプレー。高校サッカー史上最強と言われた世代の1人です。
ヒデ:皆さん口をそろえて、この世代がナンバーワンだと言います。
鬼頭:なんと、高校1年生からレギュラーとして活躍。1つ上には名波浩さん、山田隆裕さん。同期には西ヶ谷隆之さん、後輩には平野孝さんらがいました。
高校卒業後は筑波大学へ。卒業後に名古屋グランパスエイトでJリーグデビュー。日本代表(A代表)に選出され、2000年のアジアカップ決勝では優勝をもたらす決勝ゴールを決めました。Jリーグでは6つのチームでプレーし、2007年に現役引退。その後「SC相模原」を立ち上げ、オーナーとしてJリーグに参入するクラブに成長させました。
ヒデ:作家が書いたみたいな輝かしい経歴です。
ワッキーとは対戦経験あり
ヒデ:僕(市立船橋高校出身)と望月さんは年齢が2つ違いますが、試合で対戦してますか?
望月:当たってないと思います。1年のときは国体に入ってないので。
ヒデ:相方の脇田(ワッキー)とは当たってますか?
望月:はい。先日も食事しました。
ヒデ:どうせおごらされたでしょ?
望月:おごりました(笑)
鬼頭:ワッキーさんのほうが年上でしょ?
ヒデ:そうですよ(笑)
高校1年から清商でレギュラー
ヒデ:清商(清水商業高校)の輝かしいとき。全員がJリーガーになるような世代でした。
望月:日本代表も5、6人いましたね。
鬼頭:高校1年生から清商でレギュラーって、とんでもないと思う。
望月:「僕は何で出てるんだろう」と半信半疑でした。偉大な先輩方が本当に多くいたんで。
ヒデ:プレッシャーはありましたか?
望月:プレッシャーというか、「なんで自分が出てるのか?」っていう思いがありました。でも、1回ポジションを取ったら渡したくない。1年生の時は、本当に必死になってボールを追っていた記憶しかないですね。
ヒデ:あのチーム、あの時代はすごい。
鬼頭:ヒデさんは、市船の悪口じゃなくて大変さをよくおっしゃってますけど、清商は…?
ヒデ:同じでしょう。市船と清商で話せないこと、一緒です。
望月:多分同じです。理不尽なことが多すぎて…(笑)
ヒデ:当時はそれが常識だったよね。水飲んだらバテるって言われて、「本当かい?」と思いながらも、水を飲まなかった。
望月:鍛えられたってことですね。
ヒデ:1本でも1回でも多く練習する、それが勝利に繋がるって考える時代でした。
名門筑波大時代
鬼頭:高校卒業した年にJリーグが開幕しましたが、筑波大学に進学しました。
ヒデ:筑波は名門だしね。プロから話は来てなかったんですか?
望月:いくつか話は来たんですけど、まだ自信がなかったです。
ヒデ:1年生からレギュラーでも?
望月:プロという意味では自信がなかったです。同期では鹿児島実業高校の前園真聖や、四日市中央工高校の小倉隆史がいましたが、彼らはそのままプロに行って、1年目から活躍してました。
ヒデ:筑波大学、スカウティングがすごいでしょ?
望月:スポーツ推薦にも条件があるんですよ。経歴として、全国大会何位以上もしくは各年代の代表に入ってるとか。筆記テストもあって、落ちる人もいます。
ヒデ:筑波大学を選んで、焦りとかはなかったですか?
望月:大学2年ぐらいからJリーグのクラブから声がかかってました。あと、4年の時にユニバーシアードの世界大会が日本で行われて、それが1つの目標であり、モチベーションになっていました。
ヒデ:なるほど。そこで名前を売れば、おのずと?
望月:そうですね。おかげさまで優勝しました。
鬼頭:ずっと優勝してるような感じですね。
清水エスパルスか名古屋グランパスか、最後まで悩んだ
鬼頭:卒業後は名古屋グランパスに入団。静岡にもチームがあったはずですよね。
望月:4年の時に10チームぐらいから話が来たんですよ。
ヒデ:ほぼ全部ですよ。
鬼頭:スカウトはどうやって来るんですか?書類?電話?
望月:スカウトの人が大学に来るんですよ。食事に行って、いろいろ話をしました。最後に残ったのは、地元のエスパルスとグランパスで、親は当然地元にいてほしいと思っていました。最終的にはグランパスに行ったんですけど、僕の中ではストイコビッチの存在がすごく大きかったです。
ヒデ:近くでやりたいと思ったんだね。
望月:1990年のイタリア大会のユーゴスラビア対アルゼンチンをテレビで観て、「何だこの選手は」と。その選手がいるなら、名古屋に行きたいなと思いました。
ヒデ:ストイコビッチがそこにいなければ、オレンジのユニフォームを着てたってことですか?
望月:それと、グランパスのほうが1年目から出場できそうだなと思ったんです。プロでいく以上、1年目から出たいですよね。
ヒデ:賢い…。なんで俺は競争率の高い吉本に入ったんだ…。
望月:選択って大事なんですよね。人生を左右するというか。
ピクシーはどうだった?
ヒデ:ピクシー(ストイコビッチ)はどうでした?
望月:すごかったですよ。お手本が常にピッチに立っていた。一緒に毎日サッカーができて、吸収しかなかったですよね。あと、格好いいから毎日グラウンドに行くのが楽しかったです。
鬼頭:望月さんもスーパーサッカーお上手だと思うんですけど、ピクシーさんはどのくらい上手いんですか?素人では分かりません。
望月:ワールドクラスです。
ヒデ:世界でやってきたんだから。当時のユーゴスラビアは内戦があって、どれだけの国民に勇気を与えたか!ほんと上手いんだから!
ピッチで国歌を聞いた時、鳥肌が立った
ヒデ:日本代表に選ばれた時は?
望月:連絡が来た時は、嬉しかったですよ。もちろん両親にも連絡しました。一方で、子どもの頃から一緒にやってた選手たちは、先に代表にいってるわけですよ。ようやく追いついたっていう思いもありました。
ヒデ:やっと代表に入ったぞと。しびれるね~。日の丸ついてるユニフォームに袖を通すわけですよ。
望月:ちょっと違いますね。
鬼頭:震えそうですね。あのブルーのユニフォームに袖を通すと。
望月:一番ジーンときたのは先発メンバーでピッチに入って国歌を聞いた時。鳥肌が立ちましたね。これはお金で買えるもんじゃないというか。日本の選ばれし11人じゃないですか。特別でしたね。
ヒデ:ぶわーって込み上げるものがあった?
望月:ありましたね。感極まるというか…。
ヒデ:「みんなで自撮りしようよ」とかならないですもんね~(笑)
清商に進んだ理由は?
ヒデ:リスナーから。「清商に進んだ理由は何ですか?ちなみに小野伸二さんに同じ質問をしたところ、中学2年ときにたまたま大滝監督が試合を見に来てスカウトされたということです」
望月さん、いろいろな高校からお誘いがあったと思うんですが…。
望月:誘いはあんまりなかったですよ。清水で言うと、清水東高校、東海大一高校(現東海大翔洋高校)、清水商業しか選択肢がなかったです。
子どもの時に清水東高の三羽ガラスを見て育ったんです。ただ、清水東はどう考えても偏差値が足りなかった。次に、東海大一。私立でお金がかかる。最後に来たのが、清商!
ヒデ:私も一緒でございますよ!帝京さんとかからお誘いが来ました。「私立か~、通うのか~」とか考えていたら、チャリで行ける安い市船がありました。実際に入って、「しまった。こんなきついのかーい」と思ったんですけどね。
鬼頭:同じだね。でも、2人とも今がありますから、選択は間違っていない。
>>元SC相模原オーナーの望月重良さん、今は実家のミカン農家手伝いながら「ダイヤの原石探し」に夢中!