はだのうんちく〜干支編〜 小田原行を阻むマムシ退治 「蛇塚(じゃづか)」の由来を探る
今年の干支は「巳」。秦野市内にも「蛇」にまつわる昔話があります。その中でも今回「蛇塚」の由来をご紹介。
国道246号線を松田方面に走ると、秦野市の西端に「蛇塚」という標識があります。そのあたりはかつて一面の湿地帯で、たくさんのマムシが住んでいたそうです。
しかし、そんな危険な地帯ではあっても、秦野から西郡(にしごおり)(現在の小田原市の一部、足柄平野)へ行くにはどうしても通らなければならないという往来の要所でした。
『秦野のむかし話伝統をたずねて(西地区・南地区・上地区編』(岩田達治著)には、
「まむしに足をかまれた。いてえ、いてえ。助けてけえろ」と、さけびながら、茶屋に運ばれてくる人が毎日のようにあったとか。
と、書かれています。
そこで、村人たちはある日、マムシ退治に出かけました。すると、いるわいるわ。みるみる退治され、マムシの小山ができたそうです。その後、村人たちは穴を掘り、蛇を丁重に葬ったそうで、その場所を誰からともなく「蛇塚」と呼ぶようになったとか。現在は田んぼの中にあった「蛇塚」は跡形もなくなり、ただ「蛇塚」の名前のみが残されています。
このほかにも、松田山に大きな蛇が住んでいて、その蛇が水を飲みに来た際に蛇の頭が川を通り越し塚まで届いたことから「蛇塚」と呼ぶようになった、という昔話もあります。
あなたの身近な地名にも、何か面白い由来があるかも?調べてみてもいいかもしれませんね。