今こそ読むべき、隠しながら示される「弱い」ヘミングウェイ──都甲幸治さんと読む、ヘミングウェイ作品【別冊NHK100分de名著】
都甲幸治さんによる、ヘミングウェイ作品読み解き
『老人と海』、『日はまた昇る』、『武器よさらば』、『誰がために鐘は鳴る』などで知られる、20世紀アメリカを代表する作家、アーネスト・ヘミングウェイ。
『NHK別冊100分de名著 集中講義 ヘミングウェイ 過酷な世界を生き抜く倫理』では、彼の作品を「弱さ」や「ナイーブさ」という、アメリカの一般的なイメージと異なる新たな切り口から読み解きます。気鋭の翻訳家・アメリカ文学者である都甲幸治さんが考えるヘミングウェイ作品の本質と、それらを現代に読む意義とは何なのでしょうか。
全国の書店とNHK出版ECサイトで2025年10月まで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、ヘミングウェイ作品がさらに面白く読める本書より、そのイントロダクションを公開します。
二人のヘミングウェイ(はじめに)
僕は中学・高校時代から英語が好きでした。学校の勉強だけだと英語を読める量が少ないので、注釈が付いた英語の小説を自分で買ってポツポツ読んだりしていたのですが、まだ英語力は高くありませんから複雑なものは読めません。そんな中、たしか高校一年か二年のとき、「ヘミングウェイの『老人と海』だったらいけるんじゃないか」と先生に言われて読んだのが、僕とヘミングウェイとの出会いでした。
そのときは、簡単だと思ったのです。文章はシンプルだし、語彙もそれほど多くはない。ストーリーは、おじいさんが海で大きな魚を釣ったのにそれをサメに食べられてしまうというもので、高校生なりに「アクションものっぽくておもしろいな」と思ったものです。いま思えば、全然読めていなかったわけですが。
ともかく、当時の僕はそれで味をしめて、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』やレイモンド・カーヴァーの『大聖堂』などを洋書で読むようになりました。サリンジャーは、ヘミングウェイと親交のあった作家F・スコット・フィッツジェラルドから文体などを学んでいますし、カーヴァーはヘミングウェイの影響を大きく受けています。ヘミングウェイに連なる作家たちを知らず知らずのうちに読んでいたわけです。ですから、自分にとってヘミングウェイ、特に『老人と海』は、アメリカ文学を原文で読んでいく上でも出発点となった作家であり、作品です。しかも、ヘミングウェイはいま読んでもおもしろい。いや、むしろいま読んだほうがおもしろいと言うべきかもしれません。
彼の作品を紹介するにあたり、まず、「二人のヘミングウェイ」という話をしてみたいと思います。
みなさんはヘミングウェイと聞いてどんなイメージを思い浮かべますか? アメリカの文豪、釣り好き、男らしさの象徴……。一人目のヘミングウェイはまさにそのイメージを体現する人物、いわゆる「パパ・ヘミングウェイ」です。ヘミングウェイは、一九二九年に『武器よさらば』がベストセラーとなって以来、約三十年後に亡くなるまで、ずっと有名人でした。「エスクァイア」「ライフ」「ルック」といったアメリカの男性向けライフスタイル誌やグラフ誌に頻繁に登場し、女優との交流を披露したり、獲物と一緒に写る自身の写真入りで狩猟や釣りのルポやエッセイを寄稿したりもしていました。従軍記者として戦場にも積極的に出向く行動派で、いつもメディアに話題を提供してくれる、圧倒的に男っぽいマッチョ・ヒーロー。それがヘミングウェイのパブリック・イメージでした。彼が書く小説もその人物像に沿って読まれることが多く、いまでも「マッチョ小説の代表」として定着している作家だと思います。
ところが、実際に作品を注意深く読み、伝記的な事実を追っていくと、もう一つのヘミングウェイ像が見えてきます。たとえば性的指向が曖昧で、あるときは同性愛的、あるときは異性愛的と揺れている。そして、決して強くもない。「この先輩作家に影響を受けたでしょう」などと人から言われると、必ず強硬に反論して、その先輩作家の悪口を書いたりする。攻撃的になるということは弱さの裏返しです。つまりはアイデンティティが不安定なのです。このように、性的に曖昧で、人格的にも弱いという、「マッチョな文豪」とはまったく異なるヘミングウェイ像が見えてきます。
研究者の間でヘミングウェイの見方が特に変わっていったのは、彼が亡くなった四半世紀後に遺作『エデンの園』(一九八六年)が刊行されて以降です。これは、新婚夫婦が男女の役割を入れ替えたりしながら性的探求をするという長篇小説で、男らしさを是とするそれまでの作品とはほど遠い内容でした。実際、ヘミングウェイ自身も似たようなことを実践していたようで、彼の四人目の妻メアリーとのあいだの書簡によれば、彼はメアリーのことを「ピート」と男性の名で呼び、メアリーは夫のことを「キャサリン」と呼んでいた。ヘミングウェイはメアリーの日記にも「彼女はぼくに彼女の女の子になって欲しいと願っていて、ぼくもそうなりたいと思っている」と書き込んでいます。
こうした作品や書簡に加え、伝記的な事実も驚くべきものです。ヘミングウェイは幼い頃、母親によって「女の子」として育てられていました。双子の娘が欲しかったという母親は、ヘミングウェイと彼の一歳上の姉を「双子の姉妹」に見立て、おそろいのドレスを着せたりしていたのです。この幼少期の体験により、ヘミングウェイの性的アイデンティティは、女性と男性の両方が混じった、両性具有的なものとなっていったようです。しかし彼が作家として活躍した時代は、そうしたものを公的には出せないような社会規範がありました。そのためヘミングウェイは、自分のアイデンティティの曖昧さを否定し、強烈に男っぽい仮面をつくりあげていったのではないか。そんな気がします。
注意深く作品を読んでみると、そんなヘミングウェイの曖昧さや、二重化されたメッセージは、隠しながら示されていること(編集部注:本書では傍点)に気づきます。LGBTQ+の存在や性の多様性といった考えが社会に広まったいまだからこそ、僕たち読者はそのメッセージを読み取り、語り合えるのではないか。この時代になってやっと、男らしさと力強さの象徴たる「パパ・ヘミングウェイ」ではない、性的曖昧さに怯え、作家としての自信のなさに震えながら、とにかくがんばって作品を書いていた「弱い」ヘミングウェイの姿を読み取れるようになったのではないか。そう思うのです。そして、その弱いヘミングウェイに着目すると、彼の作品には学ぶべき点がたくさんあります。人間と自然との関係、性や文化の多様性に開かれる態度、身体性や無意識の重視──驚くほど現代的なテーマばかりです。
本書では、多くの読者に親しまれている『老人と海』に加え、闘牛士の世界を描いた初期の短篇「敗れざる者」、死後に刊行された青春回想録『移動祝祭日』、そして最後に彼の長篇デビュー作である『日はまた昇る』を取り上げます。磨き上げた文体によって描かれる圧倒的な世界を味わいながら、複雑で奥行きのあるヘミングウェイ文学を、あらためて一緒に読んでいきましょう。
本書『NHK別冊100分de名著 集中講義 ヘミングウェイ 過酷な世界を生き抜く倫理』では、・第1講 大いなる自然との対峙――『老人と海』1
・第2講 「偉大なアメリカ」への疑念――『老人と海』2
・第3講 交錯する「生」と「死」――「敗れざる者」
・第4講 作家ヘミングウェイができるまで――『移動祝祭日』
・第5講 古代的な倫理を呼び覚ます――『日はまた昇る』
という全5回の講義を通して、ヘミングウェイ作品を新たな視点でガイドします。
■『NHK別冊100分de名著 集中講義 ヘミングウェイ 過酷な世界を生き抜く倫理』より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは記事から割愛しています。詳しくは本書をご覧ください。
※本書における『老人と海』「敗れざる者」(『ヘミングウェイ全短編1』収載)『移動祝祭日』からの引用は高見浩訳の新潮文庫版に、『日はまた昇る』からの引用は土屋政雄訳のハヤカワepi文庫版に拠ります。また、本文中には今日の人権意識に照らして不適切な差別的呼称を使用している箇所がありますが、作品が執筆された時代背景と、底本準拠の編集方針にかんがみ、底本通りの表記を採用しています。
※本書は、NHK Eテレで放送された「100分de名著 ヘミングウェイ スペシャル」(2021年10月放送)の番組テキストに大幅な加筆を行い、書き下ろしの「第5講」を加えて構成したものです。
著者
都甲 幸治(とこう・こうじ)
翻訳家・アメリカ文学研究者、早稲田大学文学学術院教授。1969年、福岡県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程修了。翻訳家を経て、同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻(北米)博士課程修了。著書に『教養としてのアメリカ短篇小説』(NHK出版)、『生き延びるための世界文学─21世紀の24冊』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『「街小説」読み比べ』(立東舎)、『世界文学の21世紀』(P ヴァイン)など、訳書にチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)、『郵便局』(光文社古典新訳文庫)、トニ・モリスン『暗闇に戯れて─白さと文学的想像力』(岩波文庫)、ドン・デリーロ『ホワイト・ノイズ』(水声社、共訳)、ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(新潮社、共訳)、共著に『ノーベル文学賞のすべて』(立東舎)、『引き裂かれた世界の文学案内─境界から響く声たち』(大修館書店)など。
※全て刊行時の情報です
NHKテキストからの試し読み記事やお役立ち情報をお知らせ!NHKテキスト公式LINEの友だち追加はこちら!