「加害者を“100%悪”と断じられる人はいない」観客を共犯者にする映画体験『殺人配信』濃厚解説&インタビュー
登録者数や再生数、フォロワー数や「いいね」。配信者にとって、それらの数字はまさに生存の指標であり、自己の価値を裏付ける“通貨”だ。だがその欲望の行き着く先には、常に危うさが潜んでいる。9月26日(金)公開の『殺人配信』は、その危うさを映し出すスリラーだ。
主人公ウサン(カン・ハヌル)は、犯罪専門チャンネルを運営する人気ストリーマー。掲げられるのは「犯罪を暴く」という正義感あふれる看板だが、正義と承認欲求は互いの隠れ蓑として機能しあい、やがて境界を失っていく。社会的善意を口実にした自己顕示欲――この構造こそが、本作のテーマだ。
視聴者がつくる物語
物語が進むにつれ、ウサンは配信中に実際の殺人鬼を追跡することになる。だが観客にとって衝撃なのは、ただの追跡劇ではなく「視聴者の存在」が物語を加速させていく仕掛けだ。コメントや投げ銭は配信の方向性を変え、ライバル配信者の存在を引き合いに出して煽る。ファンの応援もアンチの罵声も、次の過激な一手を促す燃料になる。
映画の大半は“配信画面”として提示される。監督のチョ・ジャンホは、長尺カットや不安定なカメラワークを駆使し、「編集による安心感」を意図的に奪っている。リアルタイムで進むフォーマットは没入感を強めるだけでなく、「観ている自分もこの配信の一部なのではないか」という不穏な感覚を呼び起こす。
韓国の映画評を見ると「フォロワー数やサブスクライバー数がそのままキャラクターの精神的な圧力として作用している」と評しており、数値と人間性の危うい結びつきが明確に描かれているのは明らかだ。
観客=加害者?
物語の仕掛けはさらに過激だ。ウサンが追跡する殺人鬼は、ただの敵ではなく「配信を見ている視聴者」であることが明かされる。加害者であり、同時に観客でもある存在。犯人=視聴者=観客という不気味な等式が浮かび上がる瞬間、スクリーンのこちら側にいる私たちは、ただの傍観者ではいられなくなる。
「観客がスクリーンを見ているのか、スクリーンから見返されているのか分からなくなる倒錯感」、この感覚が恐ろしい。
現実と地続きの恐怖
こうしたテーマは、韓国社会の現実とも地続きだ。YouTuberが配信中に刺殺された事件や、大規模盗撮事件、未成年を巻き込む搾取配信の摘発。日本でも同様の事件があったが、いずれも「誰かの人生や尊厳を見世物にする構造」が視聴者の欲望に支えられていた。本作が投げかける問いは、スクリーンの外の社会にそのまま突き刺さる。
「ただ見ているだけでいいのか?」
『殺人配信』は、単なるデジタルスリラーではない。生配信的リアルの徹底的な再現が、観客をスクリーンに縛りつける。そして気づけば私たち自身が、そのリアリティを支える“コメント”のひとつ、“投げ銭”の一部になっている。
映画は冷酷に問いかける――「あなたはただ見ているだけでいいのか?」
その問いは、スクリーンの外で日常的に動画を再生し続ける私たちの指先に、そのまま重くのしかかる。
『殺人配信』は配信文化が抱える歪みを映し出すと同時に、観客自身をも問い詰める構造を持っていることが分かる。では、この仕掛けを緻密に設計したチョ・ジャンホ監督自身は、どのような思考から作品を立ち上げたのか。なぜ“配信”という形態をここまで徹底的に再現しようとしたのか。そして観客を「傍観者」ではなく「共犯者」として巻き込む演出意図はどこにあったのか。
ここからは監督本人へのインタビューを通じて、その創作の裏側を掘り下げていきたい。
「刺激的な行動に走る配信者は韓国でも大きな社会問題になっている」
――この映画を観終えたとき、強い罪悪感が残りました。観客を共犯者にするような感覚は意図的に仕掛けたものですか。
はい、それは最初から意識していました。観客が「自分も共犯者になってしまった」と感じることを想定していたんです。最近は極端な生配信も多いですが、それを見る側にも責任や問題があるのではないか、という問いを作品に込めました。ですから、観終えたあとに罪悪感を抱いてくださったというのは、まさに狙い通りでした。
――配信者が体を壊しても病院に行かず、配信を続ける姿は、承認欲求に取り憑かれた人間のようにも見えます。SNSや配信文化における承認欲求について、どう考えていますか。
承認欲求は誰もが持っている根源的な欲求だと思います。正当な努力を経て何かを成し遂げ、その結果として認められることはまったく問題ありません。
しかし、生配信だけでその欲求を満たそうとすると、過程がなく、一時的な行動で注目を浴びたいという形になってしまう。すると配信者にも視聴者にも悪影響が及び、お互いを傷つけ合う状況になります。実際、刺激的な行動に走る人は増えており、韓国でも大きな社会問題になっていると感じています。
――刺激的なコンテンツを提示することで、逆に観客に悪影響を与えるのでは、という懸念はありませんでしたか。
正直、その点はあまり心配していませんでした。なぜなら、世の中にはすでに無数の強烈なコンテンツがあふれているからです。一本の映画が直接的に人を突き動かす可能性は低いと考えていました。
ただし、特定の人にとっては刺激になり得るかもしれない、という迷いはありました。ですから、倫理的責任を完全に無視することはできません。ただ、その責任感に縛られすぎて創作意欲が萎縮してしまうのも危険だと思っています。難しい問題です。
「カン・ハヌルは一度話した内容を別の言葉で組み立て直すことができる」
――作品のなかで「誰が加害者なのか」が曖昧に描かれています。一番の加害者は誰だと考えていますか。
表面的には実際に殺人を行った者が加害者に見えるでしょう。ただ、“100%悪”だと断じられる人はいません。観客の視点によっては「彼の行動は理解できる」と感じられるかもしれない。そうした揺らぎを残したかったんです。ですから、誰が悪かを一方的に決めつけるのではなく、観客自身に考えてもらう余地を残しました。
――配信文化そのものに対する考えを聞かせてください。韓国と海外で違いを感じますか。
私自身、海外の事情に精通しているわけではありません。ただ、アメリカなどでもYouTuberなどが問題を起こす事例は多く見聞きしています。つまり国を問わず、同じような問題は起きているのではないかと考えています。
配信という仕組みは基本的に一方向的で、視聴者の反応が行動をさらに過激にさせる。構造上どうしても暴走しやすいのだと思います。否定的な側面は国境を越えて共通している、と。
――演出面では長回しが多いのが印象的でした。意識しての選択ですか。
はい。サスペンスを高め、不安な気持ちを引き延ばすために長回しを多用しました。観客が「次に何が起こるんだろう」と思い続けてくれることを狙ったんです。
――俳優の演技についてもお聞かせください。セリフは即興が多かったのでしょうか?
多くの俳優は事前にセリフを固めてから臨みましたが、カン・ハヌルさんだけは違いました。テイクを重ねるなかで「今回はこう感じたから、こう言ってみたい」と自発的にセリフを変える。その即興性を私は尊重しました。
彼は非常に頭の回転が早く、一度話した内容を別の言葉で組み立て直すことができる。言葉の印象や醍醐味を大切にしながら、新しい表現を生み出してくれました。
――特に苦労した撮影は?
中盤の追跡シーンです。韓国の「ヴィラ」と呼ばれる集合住宅の路地で撮影したのですが、2~3日で38テイクも重ねました。韓国では撮影時間に制限があり、1日最大12時間以内というルールがあります。そのため、まとめて長時間は撮れず、分割して挑まざるを得ませんでした。俳優たちの疲労も大きかったですが、その汗や息づかいが映像にリアルさを与えたと思います。
「作品を作り終えた瞬間から、解釈は観客に委ねられる」
――本作が長編デビュー作とのことですが、これまでのキャリアを教えてください。
最初はシナリオ作家として7~8年、活動しました。その後は生活のためにウェブ小説を書き、ミステリー作品をいくつか発表しています。ドラマ化された作品もあります(※『ジャスティス -復讐という名の正義-』[2019年])。そうした経験を経て、今回『殺人配信』を撮るに至りました。これまでの人生や努力がすべて影響していると感じています。
――映画監督を志したきっかけは?
1995年の韓国映画『誰が俺を狂わせるか』を単館で観た体験です。作品そのものよりも、映画館の雰囲気に惹かれました。以来、映画を撮りたいと思うようになりました。影響を受けた監督としてはホ・ジノ監督の『八月のクリスマス』(1998年)、デヴィッド・フィンチャー監督の『セブン』(1995年)、そして日本の岩井俊二監督や小津安二郎監督を挙げたいです。
――観客との信頼関係についてどう考えていますか。
私は「観客との信頼関係は存在しない」と思っています。10万人が観れば10万通りの映画が生まれるからです。否定的に受け取る人もいれば、人生最高の映画だと感じる人もいる。作品を作り終えた瞬間から解釈は観客に委ねられる。そういう意味で、私は観客を信頼するでもしないでもなく、ただ解釈の多様性を前提にしています。
――もしご自身が配信者になるとしたら、どんなチャンネルをやりたいですか。
釣りチャンネルや野球解説ですね。静かでのんびりしたことが好きなんです。
『殺人配信』は、スリラーのフォーマットを取りながら、承認欲求と加害性という現代的テーマを突きつける。監督は「誰が加害者か」を決して一方的に断じず、観客に解釈を委ねる。その姿勢は「10万人が観れば10万通りの映画がある」という言葉に端的に表れている。
配信文化がもたらす暴走を描きつつ、観客自身の立場をも揺さぶる本作は、まさに“観ることの倫理”を体験させる映画だ。罪悪感とスリルが同時に残る、その後味こそが監督の狙いだったのだろう。
『殺人配信』は9月26日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開