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ベティスミス ~ 新たな価値のジーンズを創り続ける、国内初のレディースジーンズメーカー

倉敷とことこ

ベティスミス ~ 新たな価値のジーンズを創り続ける、国内初のレディースジーンズメーカー

国産ジーンズ発祥の地、児島。
日本が誇るジーンズの街には、数多くのジーンズメーカーがあります。

そのなかでも、株式会社ベティスミス(以下、「ベティスミス」と記載)は日本初となるレディースジーンズ専門のメーカーです。ベティスミスのトレードマークでもある、赤いパーマにそばかすのあるキャラクター(ベティちゃん )を見たことがあるかもしれません。

ベティスミスの取り組みは、ジーンズの製造販売だけに留まりません。
ジーンズに新たな価値を生み出すベティスミスの取り組みを紹介します。

ベティスミス株式会社について

株式会社ベティスミスは、1962年に設立された児島の老舗ジーンズメーカーです。おもにジーンズの企画製造・販売をおこなっています。

ベティスミスの前身である大島被服株式会社は、1927年に創業し学生服や作業服などを製造していました。第二次世界大戦後には、長年培ってきた縫製の技術を生かして、ジーンズ作りをスタートします

1970年には、親戚関係にあった株式会社ビッグジョンのガールズ事業部として、「Betty Smith(ベティスミス)」ブランドが誕生。ベティスミスは国内初のレディースジーンズ専門メーカーとして、現在もなおジーンズ業界をけん引しています。

個性豊かなブランド展開

ベティスミスが展開している4つのブランドを紹介します。

・Betty Smith(ベティスミス)
・DENIM WORKS(デニムワークス)
・BIG SMITH(ビッグスミス)
・Eco Betty(エコベティ)
Betty Smith

Betty Smith(ベティスミス)」は、創業以来作り続けられている、女性のためのジーンズブランドです。

こだわり抜いた腰まわりのカーブラインなど、女性の履きやすさを徹底的に追求して作られています。レディースジーンズの先駆けブランドとして、現在も根強い人気を誇ります。

DENIM WORKS

DENIM WORKS(デニムワークス)」は、2003年にスタートしたサービス「倉敷オーダージーンズ」をきっかけに誕生しました。

数多くのオーダーメイドの実績から、さまざまな体型に合う「大人向けジーンズ」を作るブランドです。

BIG SMITH

BIG SMITH(ビッグスミス)」は、メンズ向けのブランドです。
「粗くていい顔したモノ」を合言葉に、ベティスミスならではの高品質なものづくりをおこなっています。

Eco Betty

筆者が持っているティッシュカバー

Eco Betty(エコベティ)」は、小学生の社会科見学のお土産作りをきっかけにスタートしました。余ったデニム素材から作られるペンケースやトートバッグは、観光客のお土産としても大人気です。

日本最古のジーンズ工場で育てる「繊維マイスター」

ベティスミスには、繊維マイスターの資格を持つ職人が多く在籍しています。

繊維マイスターとは、一般社団法人倉敷ファッションセンターが実施している検定制度です。高品質な繊維製品を作る高い技能が求められ、合格すると個人のスキルアップや技能継承、社内外でのイメージ向上などにつながります。

職人一人ひとりがスキルアップを目指し、より良いものづくりに励む環境こそが、ベティスミスの高品質なものづくりを生み出しているのです。

ジーンズを使ったさまざまな取り組み

ベティスミスは「日本のジーンズ文化の創造」という企業ミッションを掲げています。

ただジーンズを製造販売するだけでなく、「見る・学ぶ」「企画する・創るの切り口から、ジーンズの魅力を伝えているのです

見る・学ぶ・ジーンズミュージアム1
・ジーンズミュージアム2
・日本最古のジーンズ工場
企画する・創る・ジーンズ作り体験
・倉敷オーダージーンズ
・小物作り体験

ジーンズミュージアムは、小学校の社会科見学として毎年約2,000人から3,000人の子ども達が訪れるそうです。

ジーンズミュージアム1の内観

筆者も何度かジーンズミュージアムを見学したことがあります。貴重な資料が数多く展示され、無料とは思えないほど見応えがあったので、気になるかたはぜひ足を運んでみてください。

ジーンズミュージアム2の外観

また、ベティスミスの敷地内には、自然を生かしたドッグランや農場、買い物が楽しめる直営店、ゆっくりくつろげるカフェなどもあります。

遊びと学びの場を提供することで、ただ着て楽しむだけではない、ジーンズの新たな魅力も伝えているのです

ジーンズミュージアム1のそばに植えられている綿花の花

日本の国産ジーンズの魅力とは

「メイドインジャパン」と聞くと高品質なイメージが思い浮かびますが、いったいどのような点が高品質と評価されているのでしょうか。

ベティスミス代表取締役社長の大島康弘(おおしま やすひろ)さんから、国産ジーンズの魅力について教えてもらいました。

ベティスミス代表取締役社長の大島康弘(おおしま やすひろ)さん

世界が注目する日本の加工技術

日本のジーンズの最大の特徴は、質の高い多彩な加工技術にあります。
児島でジーンズが作られるようになった1965年、世界で初めての洗い加工が児島でおこなわれました

中古ジーンズを履き慣れていた日本人にとって、新品のジーンズは生地が硬くて履きづらいものでした。そこで、洗い加工で生地を柔らかくし、あえて中古風の加工をおこなうことで履きやすくしていたと言います。

ジーンズミュージアム2にあるストーンウォッシュの展示

さらに、ジーンズを飽きずに履いてもらえるように、1970年代から2000年代にかけて、日本ではさまざまな加工技術をほどこしたジーンズが誕生します。

1970年代は、「ブリーチ加工」や「ストーンウォッシュ加工」によってジーンズの色合いに濃淡が表現され、濃色一択だったジーンズに個性が生まれました。

1980年代に入ると、「ケミカルウォッシュ」と呼ばれる、独特なまだら模様の色落ちが特徴のジーンズが爆発的に流行しました。

ケミカルウォッシュされたジーンズ

1990年代は、中古風の加工が好まれ、「レトロウォッシュ加工」されたジーンズが流行します。また、加工だけでなく、素材も開発されるようになり、ストレッチの効いた生地や、レーヨンの入った柔らかい生地など、素材も多様化していきました。

2000年代は「ダメージ加工」が流行し、破れや傷のあるジーンズが作られるようになりました。加工技術にもさらに磨きがかかり、本物の中古品と見分けがつかないほどの品質は、世界からも高く評価されています。

加工ごとによる色の違い。ジーンズミュージアム2に展示中。

海外のジーンズは大量生産されることが多いですが、日本では量よりも質を重視したものづくりがおこなわれてきました。新たなジーンズへの挑戦を積み重ねた歴史があるからこそ、日本のジーンズは高品質なものとして、海外からも注目を浴びているのです。

ジーンズミュージアム2には、年代ごとに流行したジーンズを観られます。

ジーンズミュージアム2の内観

また、大島さんは「日本のジーンズは色が美しい」と語ります。
日本人は、四季折々の豊かな自然を見ているため、色に関して非常に目が肥えているそうです。日本で作られる藍色は、世界に誇れるジャパンブルーとも言えます。

ジーンズミュージアム2に展示中のレディースジーンズ

1962年の創業以来、国内ジーンズの発展とともに駆け抜けてきたベティスミス。代表取締役社長の大島さんに、これまでの取り組みと今後の展望について話を聞きました。

代表取締役社長 大島康弘(おおしま やすひろ)さんにインタビュー

株式会社ベティスミスの代表取締役社長 大島康弘(おおしま やすひろ)さんに、これまでの取り組みと今後の展望についてインタビューしました。

戦後まもなく児島に持ち帰られたジーンズ

──なぜ児島でジーンズが作られるようになったのでしょうか

大島──

日本にジーンズが入ってきたのは、第二次世界大戦後のことでした。
戦後、東京の上野でおこなわれていた闇市では、アメリカ産の中古のジーンズが販売されていました。

そして、児島でジーンズが作られるようになったのは、1965年頃です。

それまでの児島は、学生服メーカーが非常に多い街でした。学生服メーカーの営業が全国を歩き回るなかで、ビッグジョンの営業担当が、上野の闇市で飛ぶように売れているジーンズと出会い、「これを次の産業にしよう!」と児島に持ち帰ってきたんです。

──ずっと作っていた学生服と、新たに作り始めたジーンズ。作るものが変わって、苦労されたことも多かったのでは?

大島──

デニムの生地は分厚いので、今まで学生服を縫っていたミシンでは針が通りませんでした。また、職人さんの手が真っ青に染まったり、分厚くて重い生地を運んだり、身体的な苦労はありましたね。

まずはジーンズをきちんと縫えるように、アメリカからミシンを輸入して、ジーンズを作れる環境をなんとか整えていったんです。

使用していた初代ミシン

──国産ジーンズが作られるようになったのは、そのような背景があったのですね。

大島──

児島が「国産ジーンズ発祥の地」と言われるのは、日本国内での量産化に成功したからだと思います。

これまで培ってきた縫製技術を生かして、ジーンズという新しい産業が生まれたのは、全国的に見ても珍しい事例です。

個人的には、江戸時代に鉄砲を量産化した大阪府堺市と似ているところがあると思っています。鋳物や刃物を作ってきた堺が、その技術を使ってまったく別のものを作り始める……。児島のジーンズと似ているような気がします。

先駆けとなる取り組みに挑戦する理由

──なぜレディースジーンズを作るようになったのですか?

大島──

一番の目的は、他メーカーとの差別化です。

当時の児島では、ジーンズはメンズ用のものしか作られていませんでした。女性もメンズ用のジーンズを履いていましたが、女性の場合どうしてもフィット感が無くなってしまいます。もちろん履き心地もそこまで良くありません。

そこで、女性のスタイルに合わせたレディースジーンズを製造すれば、より多くの人にジーンズを履いてもらえるようになると思いました。

結果、レディースジーンズは飛ぶように売れて、需要があると確信できたんです。

──倉敷オーダージーンズやジーンズ作り体験など、業界の先駆けになるような取り組みを始めたきっかけはなんでしょうか。

大島──

倉敷オーダージーンズは、お客さんからの「自分の身体に合ったジーンズを作ってほしい」という要望をきっかけにスタートしました。ちょうどその頃、弊社でも新しいジーンズの開発に取り組もうとしていたので、少しずつ受注していったんです。

そして、2003年にジーンズミュージアムをオープンすると、「児島でジーンズを買いたい」というお客さんが増えてきました。

当時の児島はジーンズを買える場所がなかったので、自分専用のジーンズが作れる倉敷オーダージーンズを正式に始めました。せっかく児島に来たなら、ただ買うのではなく、購入までの過程も楽しんでもらいたいと思ったんです

とはいえ、オーダーメイドのジーンズは高価なので、より気軽に楽しんでいただけるよう、ジーンズ作り体験も始めました。

ジーンズ作り体験では、完成品のジーンズにボタンやリベット(補強する金属製パーツ)を取り付ける作業を体験していただけます。数多くの製造過程の一つを担う、というスタイルは、セルフうどんからアイデアを得ました。

どちらも今までになかったジーンズの新しい楽しみ方を提案したかったんです

時代ごとにお客さんからのニーズに応えて、ものづくりに取り組んできたと思います。

ものづくりの生産者を育てることが大事

──ジーンズの新たな魅力を伝えるために、どのような取り組みをされていますか?

大島──

ものづくりに対して真摯(しんし)に向き合うことで、新たなジーンズの価値を伝えられると考えています

そのためには、まずは職人さんがものづくりに一生懸命になれる環境を整えることが重要です。新しい機械を買い足したり、若い職人さんが繊維マイスターの資格を取れるようにサポートしたり、きちんとしたジーンズを一人ひとりが作れるように育てています

──職人の育成に力を入れているのですね。

大島──

はい。将来、独立を目指す職人にとって、一人で一本のジーンズを縫えるスキルは非常に役に立ちますし、繊維マイスターの資格があればスキルに箔(はく)がつきます。つまり、収入が高くなるんです。

最近の若い職人さんは、「独立したい「ブランドを立ち上げたい」という目標を持つ人が多いので、できる限りそのニーズに答えていきたいですね

縫製のスキルは何歳になっても生かせます
弊社には85歳で雇用した職人さんがいて、手に職があるとはまさにこのことだと思いました。いくつになっても自分でお金を稼げたら、生き甲斐にもつながりますよね。

──独立を目指す職人さんは、会社を辞めることが前提になると思いますが、それでも応援したいと思うのはなぜですか

大島──

繊維産業の職人に限らず、ものづくりの業界では生産者が減ってきています

まずは若い人たちの目標を応援することで、人手不足の業界にも新しい人が入ってくると思うんです。

そして、目標があるからこそ、上達スピードも速くなります。「早く一人前になろう!」と一生懸命取り組んでくれるので、結果良いものづくりにもつながっていると思います。

繊維のまち児島で活躍し続ける

──ジーンズを使った地域振興の取り組みについて教えてください

大島──

児島をさまざまな切り口で楽しんでもらえるような、街めぐりマップを作りました。

児島はジーンズメーカーだけでなく、ボタン屋や布屋、畳縁などの繊維企業、うどんや鷲羽山のような観光名所など、コンテンツが数多くあります。「児島に行ってみようかな」と思ってもらえるようなフックがたくさんあるんです。

鷲羽山に行ったついでにジーンズのお店を覗いてみたり、うどんを食べた後にハンドメイドのアイテムを探してみたり……芋づる式に地域のさまざまな魅力を知られる取り組みだと感じました

──繊維のまちとして生き続ける児島の街の良さとはなんでしょうか。

大島──

繊維製品を製造するインフラが整っていることだと思います。児島だけでものづくりが完結できることは、児島の唯一無二の強みです。

また、ジーンズの生産量は年々減ってきていますが、その分クオリティがぐんと上がっています。その品質の高さこそが、児島が「ジーンズの街」と呼ばれる所以(ゆえん)だと思います。世界中には「〇〇の街」と呼ばれる地域があり、そこで作られる製品はいずれも高品質です。

ジーンズがただの産業ではなく、文化としても構築されてきたように感じます。

日本最古のジーンズ工場

──児島は時代に合わせて柔軟に新しいものを取り入れられていますよね

大島──

時代に合わせて、世間から求められているものを作れることが児島の魅力でもあります。

工芸品を作るのではなく、あくまでも商品を作る。職人が多い街ではありますが、商売人の気質もあったんだと思います。

──今後の展望について教えてください

大島──

児島を支えてきたものづくりの産業を途絶えさせないためにも、若い職人を大切に育てていきたいです。そして、職人さんが作ったハイクオリティな児島のジーンズを、世界に届けられるように頑張りたいと思います。

また、「日本のジーンズ文化の創造」というテーマを忘れずに、ジーンズの可能性を広げていきたいです。ただ履くだけではない、新たに楽しめるジーンズを生み出せるように取り組んでいきます

おわりに

筆者は、県外から遊びに来た友人に「ジーンズの街に行ってみたい」と言われたことが何度かあります。

「児島がジーンズの街」というイメージが多くの人に根付いていることが、文化として定着している証(あかし)と言えるのかもしれません。

現代はどこの業界でも人手不足が問題視されていますが、ベティスミスの人材育成の姿勢は、非常に前向きで素敵だと思いました。児島でものづくりに携わる職人が一人でも増えてほしいと願っています。

ベティスミスがこれからどのような新しいジーンズの価値を創り出すのか、今後の取り組みにぜひ注目していきましょう。

ベティちゃん

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