伊藤銀次とウルフルズ ⑨ トコトンで行こう!のレコーディングでトータス松本が立てこもり?
連載【90年代の伊藤銀次】vol.14
トータスの歌にピッタりな新しいスワンプロックの解釈
1995年3月15日にリリースされたマキシシングル「トコトンで行こう!-Mission UNBELIEVABLE Vol.1-」の制作が始まった頃に、欧米ロックを中心とした音楽誌『ミュージック・マガジン』で “スワンプロック” が特集されているのをたまたま目にすることがあった。
このスワンプロックにトライしているバンドはまだその当時の日本ではいなかったし、大滝さんの「びんぼう」のカバーが思っていたよりうまくいったこともあって、ウルフルズの世代によるスワンプロックの新しい解釈は、ソウルフルなトータスの歌にピッタリなアプローチではないかと閃いて、マンツーマンでの曲作りの際に、トニー・ジョー・ホワイトの「ポーク・サラダ・アニー」などを聴かせてみた。
そこでトータスから出てきたのが「トコトンで行こう!」の原型。元はシンプルなブルースロックだったが、それを単なるスリーコード・ブルース的な曲に終わらせないように、コードEのところを、E → A on E → G on E と動くことで変化をつけたり、歌のバックでずっと「ポーク・サラダ・アニー」を彷彿とさせるようなフレーズをウルフルケイスケに弾いてもらったり、彼らにしか表現できないポップなブルースに仕上げるため、細かな工夫をこらしながらアレンジしていった。すると音の方はどんどん固まって、これまたウルフルズにとってこれまでになかった、かっこいいニュー・スワンプサウンドが出来上がった。ところが、ここに予想もしてなかった大きな落とし穴が待っていた。
キモとなる言葉とメロディーが一緒に出てくるトータスの曲作り
それは、トータスがいままでメロディーから曲を作ったことがなかったという意外な事実だったのだ。彼が曲を作るときはいつも「すっとばす」のように、曲のキモとなる言葉とメロディーが一緒に出てくる。もちろん最初からいっぺんにすべての言葉がメロディと共に出てくるわけではないが、その曲のテーマみたいなものははじめから見えていた。ただ、この「トコトンで行こう!」のときはこれまでに体験しなかったメロ先でやっちゃったというか、僕がやらせちゃったので、どんな世界にしていいのかが見えなくて、なかなか詞が出てこなかったというわけなのだ。
歌入れとミックスとマスタリングはロンドンでやることになっていて、いよいよロンドンに乗り込んでからもまだできない。待ちきれなくなった僕がトータスを詰めたらなんと彼はキレてしまってホテルの部屋から出てこなくなった。まったくの銀ドジ。この時点ではまだ彼の曲作りの形を理解してなかった僕の大きなミステイク。
結局、同行していたディレクターの子安次郎さんがうまくとりなしてくれて、クールダウンした2人から出てきたのが “トコトン” というキーワード。あれほど苦戦していたにも関わらずそのキーワードがでてきてからはあれよというまに詞が上がり無事に録音することができた。この出来事に懲りた僕は、これ以降トータスにタイトルやキモになる言葉なしでメロディーから作らせることは絶対にしないように心がけるようになった。
ウルフルズの新しい地平を切り拓いた「トコトンでいこう!」
嬉しいことに、「トコトンでいこう!」のマキシシングルがリリースされた直後のツアーで、そんな苦労がいっぺんに吹き飛ぶ出来事があった。あれは大阪の『難波W’OHOL』(ウォホール)でのライブ。いつものようにオールスタンディングのお客さんの中に混じって見ていると、なんだか男性のお客さんが増えてるような気がーー
そして「トコトンでいこう!」の演奏が始まり終わった瞬間に僕の前にいた男性が連れの男性にひとこと。“やっぱり来てよかったわ、オレはこの曲が聴きたかったんや!”。プロデューサーをやっててこれほどのうれしい言葉をそれまで耳にしたことはなかった。努力の甲斐あって、「トコトンでいこう!」は彼らの新しい地平を切り拓いてくれたのだから。