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横須賀のご当地パン「ソフトフランス」、その発祥の経緯を戦後史からひもとく。横須賀『中井パン店』<後編>【街の昭和を食べ歩く】

さんたつ

前編P4042623中井パン店

文筆家・ノンフィクション作家のフリート横田が、ある店のある味にフォーカスし、そのメニューが生まれた背景や街の歴史もとらえる「街の昭和を食べ歩く」。第3回は古くから軍港として栄え、今なお昭和の風情が残る横須賀『中井パン店』で、誕生から長らく愛されてきた横須賀のソウルフード【ポテチパン】と【ソフトフランス】。後編では、シンプルでふんわりやわらかな食感の「ソフトフランス」を端緒に、横須賀のパン屋の戦後史にフォーカスします。

中井パン店

「ソフトフランス」のルーツと横須賀

まあるい、ごくシンプルなパンで、ふんわりやわらかな食感の横須賀のソウルフード「ソフトフランス」。そのルーツを『中井パン店』の店主・中井克行さんに尋ねると、

「浦賀と聞いてるね。ヴェルニーとかあの時代にはじまると」

中井さん。

ヴェルニーは、幕末・慶応元年に江戸幕府から招かれたフランス人造船技師で、横須賀製鉄所の成立に大きな役割を担った、いわゆる「お雇い外国人」だった。ちなみに「製鉄所」と名付けられていても、鉄鋼を作るのではなく造船所である。現在のアメリカ海軍横須賀基地の位置に製鉄所はあり、巨大なドライドックが現存している。

彼らフランス人が大挙日本へやってきたときに、フランスパンを焼く職人も帯同していた。その人たちから技術を受け継いだ日本人職人たちがパン焼きをはじめ、いつしか日本人の口に合うよう、砂糖を多めに使って、ほんのり甘め、そしてやわらかく食べやすく仕上げた「ソフトフランス」が開発されたといわれている。

若干ややこしいのが、その発祥といわれるお店が、なんと複数あること。中井さんのいう浦賀のお店もそうだし、京急本線の横須賀中央駅付近にもある。私としては、ひとまずは、開国の時代まで横須賀のパン作りの歴史はさかのぼれるのだ、と思っておけばいいように思う。

私がもっとも注目したのは、この「同じメニューがいくつかの店で共通する」ということに、もうひとつ別の理由があるのでは、と思えたこと。おいしいから他の店も真似をした、ということももちろんあるだろうが、戦後まもない時期の歴史的理由もあるのではないだろうか。中井さんの何気ない一言が示唆的だった。

戦前は和菓子屋だった『中井パン店』

「うちの店は、もともとは昭和16年(1941)に和菓子屋として始まって、栗饅頭とか作っていたけど、19年(1944)に親父が出征して、そのあとシベリアに行って終戦後に帰ってきてパン屋をはじめたの。配給の粉をね、何人か集まって持ち寄ってパンを作ったようだよ」

戦前は和菓子屋だったが、中井さんの父が徴兵され大陸へと渡り、敗戦時にはソ連軍によりシベリアに抑留された。帰国できたのは終戦の翌年かその翌年だろう、という。おそらく戦争末期には物資欠乏のため、また、大黒柱が不在だったため、和菓子屋として正当なお菓子は作れない状態になっていたように思われる。戦争が終わると状況はさらに悪化したはずだ。

歴史的事実として、終戦直後、旧植民地からの穀物の輸入は途絶、耕作人も肥料も不足して国内の農作物の生産力は低下、最悪の凶作が起きていた。さらに引揚者や復員軍人など大勢の人々が海外から帰ってきて、戦中より戦後すぐのほうが食糧難は進んでいた。そのとき、日本人のすきっ腹を埋めてくれたのが、アメリカから食糧支援で入ってきた小麦だった。戦争が終わっても配給制度は維持されていて、小麦は直接国家の管理下に置かれていたが、家庭用に配給された小麦を預かって、パンに加工してくれる委託加工型パン屋さんがあちこちにできた。

もしかしたら、シベリアから帰ってきた中井さんのお父さんは、和菓子作りに復帰するよりも、こうしたアメリカ放出の小麦をパンにする商売を一時は行って、家族を養おうとしたのではないか。そのとき、一人で小麦を集めても商売は難しい。複数人で一緒に小麦を預かり、材料を大きく確保して、いくつかのメニューも作って、パンを焼いたのではないだろうか。

やがて世が落ち着き、小麦は国家の直接統制を外れ、各自がパン屋さんを独立してはじめるとき、同じ(または似た)メニューは、自然と横須賀各地に散っていったのではないか——そのなかに「ソフトフランス」も入っていた。そんなふうに私は考えてしまう。

もし、この推測が大筋合っているとしたならば、横須賀各地のソフトフランスには、「戦後復興」という力強いパン種が仕込まれていたといえるだろう。

やわらか「昭和パン」に願うこと

先代以来、60年以上営業してきた『中井パン店』。中井さんはいまも朝4時半には動き出し、一日中働き続ける。15年前と笑顔は変わらないが、歳月は中井さん自身に昔よりも負荷をかけているのも間違いがない。「あと数年の営業かも」、という思いも正直あるという。さびしい思いを一瞬しかけたが、いや、光明もあった。

「今ね、店をやってみたいという人が出てきたんだよね」

若い女性が後を継ぎたいと申し出てくれているそうだ。完全に受け継ぐのは非常に大変とのことだが、やさしい甘みの、やわらか「昭和パン」、どうかいつまでも続いていただきたいと願わずにおれなかった。

中井パン店
住所:神奈川県横須賀市三春1-20-4/営業時間:7:00~21:00/定休日:日/アクセス:京急電鉄本線県立大学駅から徒歩7分

取材・文・撮影=フリート横田

フリート横田
文筆家、路地徘徊家
戦後~高度成長期の古老の昔話を求めて街を徘徊。昭和や盛り場にまつわるエッセイやコラムを雑誌やウェブメディアで連載。近著は『横丁の戦後史』(中央公論新社)。現在、新刊を執筆中。

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