ケンメリってなに?4代目スカイラインのCMソングを歌ったBUZZに集まる才能がすごすぎ!
抜群の知名度と人気を誇る “ケンとメリー” のスカイライン
“ケンメリ” とは何か?
それは、“ケンとメリーのスカイライン” というキャッチコピーで1972年に発売され、爆発的な人気を獲得した4代目の日産スカイラインの愛称である。そう、“ハコスカ” と呼ばれた3代目スカイラインと並んで、今も抜群の知名度と人気を誇る名車である。
ケンメリは歴代スカイラインの中で最も売れた車種であった。先代の持つスポーティなデザインを継承し、シンボルでもある丸目4灯が、ヘッドライトに加えテールランプにも採用され、この形は後々のスカイラインにも受け継がれていく。そして、この車を多くの人に印象づけたのは、そのテレビコマーシャルにあった。
“ケンとメリー” と名付けられたカップルが、スカイラインに乗って全国を旅するシリーズものとして制作され、初代のケンとメリーは、陣内たけしとダイアン・クレイのカップル。2代目は前田俊彦とテリー・ミラー。まるで外国映画のようなムードを持つおしゃれなCMは多くの若者を虜にした。15作目のロケ地に選ばれた北海道の美瑛は、CMに登場した “ケンメリの木” が観光名所となり、今も多くの人が足を運んでいる。そして、CMのバックに流れていた曲が「ケンとメリー〜愛と風のように〜」。歌っているのは男性デュオのBUZZ。彼らのデビュー曲である。
「ケンとメリー〜愛と風のように〜」でデビューを飾ったBUZZ
まず、この曲を作曲・プロデュースした高橋信之について書いておかねばならない。高橋はグループサウンズのザ・フィンガーズのリーダーでギタリストであった。実弟は高橋幸宏である。ザ・フィンガーズは1962年に結成され、フジテレビの『勝ち抜きエレキ合戦』で優勝、1967年にプロデビューを飾る。1969年にザ・フィンガーズを解散したのちは、作曲家としてCMの楽曲を数多く制作、同時にプロデューサー業もスタートさせる。ここで高橋が音楽制作したコマーシャルが、前述の “ケンとメリーのスカイライン” だった。
この曲でデビューを飾ったBUZZは、東郷昌和と小出博志の男性デュオ。東郷は高橋信之の弟・幸宏とは同級生で、東郷の兄と信之もまた同級生という関係で、幼少期から家族ぐるみの交流があった。東郷は幸宏とブッダズ・ナルシーシーというアマチュアバンドを結成。当時バーンズに在籍していた細野晴臣と知り合い、林立夫と小原礼が在籍していたアマチュアバンドのSKYEを紹介される。同時に、小坂忠と柳田ヒロを擁していたフローラルとも交流があった。
ブッダズ・ナルシーシーは、プロになったザ・フィンガーズの後釜として、軽井沢の三笠会館でキャンドルライトパーティ(当時流行していたダンスパーティー)などで演奏、その後、TBS系情報番組『ヤング720』にも出演している。この時、ピアノで参加したのが荒井由実。ユーミンは当時、ザ・フィンガーズの追っかけをやっていて、高橋兄弟や東郷と交流があった(ユーミンという愛称の名付け親は、ザ・フィンガーズのベーシストであったシー・ユー・チェンである)。
ブッダズ・ナルシーシーを解散した東郷は、幸宏の紹介で、インディアン・アップルというバンドのボーカリスト、小出博志を紹介される。野太いボーカルでハードロックを歌ってきた東郷と、美しいハイトーンが出せる小出は、異質な声質同士の掛け合いで、どこにもない斬新なハーモニーを生み出した。高橋兄弟が、サイモン&ガーファンクル的なハーモニーを期待してのデュオ結成だったのである。
デビュー曲にして日本のソフトロックを代表する1作に
「ケンとメリー〜愛と風のように〜」は1972年11月25日に発売。前述の通り日産スカイラインのCM曲として頻繁にオンエアされ、オリコンチャートのTOP20に入るスマッシュヒットを記録。小出のクリーンで爽快な高音域と、サビでの流麗なメロディーに乗せたハーモニーの美しさは特筆すべきもので、デビュー曲にして日本のソフトロックを代表する1作となった。ちなみにこの曲のピアノはユーミンの演奏。B面となった「悲しい歌はもううたわない」は幸宏の作詞に東郷の作曲という組み合わせである。
これ以降も “ケンメリ” の新型が登場し、新たなCMが制作されるたびに、BUZZはこの曲を何度も再レコーディングしており、アレンジを変えて何バージョンかが存在している。2001年にはアニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の挿入歌で印象的な使われ方をしており、2002年には福山雅治が、2007年には山崎まさよしのカバーも発表されている。
2枚目のシングル「朝」はガロの大野真澄が作詞、B面「夏の空」はユーミンの作詞。1973年4月10日に発売されたファーストアルバム『BUZZ』には、幸宏や小原も演奏と楽曲制作に加わっている(ちなみにアルバムジャケットのイラストも小原の作)。幸宏と小原は同年7月に、ユーミンのデビューシングル「返事はいらない」にもプレイヤーとして参加しており、さらにBUZZの2人に加えガロ、鈴木茂も加わっている。
70年代初頭は、歌謡曲ではない、新しい日本の音楽が胎動し始めた時期であり、まだ才能の原石であったアーティストたちがプロデューサー高橋信之の周辺に集まっていた。そのキーマンがBUZZだったのである。それを象徴するのが、翌1973年9月にリリースされたライブアルバム『BUZZ LIVE!』で、同年6月11日に新宿の厚生年金会館小ホールで収録されたもの。
この時の演奏は東郷のピアノ、小出のギターに加え、ドラムが高橋幸宏、ベース小原礼、ギター高中正義、パーカッション林立夫、シンセサイザーの演奏に加藤和彦と、ほぼサディスティック・ミカ・バンドの面子に、当時キャラメル・ママ在籍の林を加えた豪華メンバーである。さらに管弦も加わり、高橋信之が指揮を担当している。この中でユニークな楽曲は、ビートルズの「ディア・ボーイ」とウイングスの「ディア・フレンド」を合体させた「ディア・ボーイ・フレンド」。彼らのセンスと遊び心が伝わる1曲である。
随所でBUZZに楽曲提供している高橋幸宏
そして、BUZZとの関係の深さでいえば高橋幸宏の存在を抜きにしては語れない。幸宏は随所でBUZZに楽曲提供しており、特に作詞面では、幸宏のソロ作以上に、自身の思いを託した詞が多い。1974年に発表したアルバム『レクヰエム・ザ・シティ』に収録された「出来るだけいつものように」はその代表作。この時期、幸宏は実母を亡くし、失意の中で鎮魂の思いを込め、この曲をはじめ「Bye Bye Party」「今朝の手紙」など一連の楽曲を作詞している。
1975年5月10日に発売されスマッシュヒットを記録した「はつかり5号」のB面に配された「サマー・ビーチ・ガール」も印象深い1曲。竜真知子の作詞、幸宏の作編曲で、ビーチボーイズへのオマージュ曲とあり、まだシュガー・ベイブでレコードデビューしたばかりの山下達郎をコーラスに起用している。
デビュー50年を超え、新たなボーカリストを加えての新生BUZZ NEXTがライブを開催
1979年1月、BUZZは筒美京平を作曲に起用した「センチメンタル・ブルー」を発売し、この頃から音楽の方向性に変化が現れ、1981年にはキングからRCAへ移籍。その後は他のアーティストのコーラスワークが多くなり、旧知の松任谷由実をはじめ、松田聖子作品などにも参加。1982年の解散後、2007年に再結成、2015年にはファイナルコンサートを開催。現在は東郷が “BUZZ NEXT” として、脱退した小出に代わり百田忠正とのデュオで活動している。
そして、11月22日(金)、BUZZ NEXTは東京有楽町『I’M A SHOW』で、昨年9月に引き続き2度目のライブを開催する。デビュー50年を超え、新たなボーカリストを加えての新生BUZZ NEXTのライブは、まさしく “ケンメリ” の時代、芳醇な音楽シーンから生まれた幾多のナンバーを、新たな解釈で聴ける機会である。ぜひ足を運んでいただきたい。
BUZZ NEXTコンサート2024
“NEXT” ~それまでは それから~
▶ 日時:2024年11月22日(金)18:00/19:00
▶ 出演:BUZZ NEXT(東郷昌和/百田忠正)
▶ お問合せ:サンライズプロモーション東京
0570-00-3337(平日12:00-15:00)