釜石中で最後の「長唄三味線」授業 杵家会釜石支所・鈴木絹子さん 23年の学校指導に足跡
釜石市内外の学校で長唄三味線の授業を行ってきた杵家(きねいえ)会釜石支所代表の杵家弥多穂(本名・鈴木絹子)さん(79)は13日、釜石中(佐々木一成校長、生徒284人)で最後の指導を行った。2002年の中学校学習指導要領改定で和楽器の実技指導が明示されて以降、同校では毎年2年生が釜石支所の授業を受け、日本の伝統音楽に理解を深めてきた。鈴木さんらメンバーの高齢化で継続が難しくなったため、本年度をもって同授業を終了することになり、最後の生徒となった92人は貴重な学びに感謝しながら邦楽の素晴らしさを心に刻んだ。
午前中は1~3校時を利用し、3学級がそれぞれ順に授業を受けた。鈴木さんは三味線の素材や音が出るしくみを説明。「三味線は弦楽器と打楽器の2つの要素を持っている。すごく面白いし、いい音が出る」などと魅力を伝えた。バチの持ち方や弦の押さえ方を教わった生徒らは、さっそく音出し。聞き覚えのある音が響くと笑顔を見せた。
50分の授業の到達目標は、日本の伝統歌曲「さくら」の演奏。3本の弦を表す横線に指で押さえる場所が数字で書かれた「三味線文化譜」を見ながら練習した。鈴木さんのほか、盛岡、北上からも集まった鈴木さんの門弟9人が生徒の指導にあたった。指の使い方に慣れてくると自然と曲になり、最後は鈴木さんと一緒に演奏に挑戦した。
午後の5校時は2年生全員での授業。冒頭、各学級から選ばれた生徒3人が講師陣と一緒に習いたての曲を演奏した。続く長唄鑑賞では、講師が演奏する「元禄花見踊り」と「雪の合方(あいかた)」の2曲を聞き比べ。春の訪れと雪がしんしんと降り積もる情景をまぶたに浮かべ、季節の表現の違いを感じた。長唄「鶴亀」より「楽の合方」、同「都風流」より「新内流しの合方」も聞き比べ。旋律の違いを味わった。
最後は歌舞伎の舞台について学んだ。舞台仕様やお囃子(はやし)の基礎知識を教わったほか、現在、音楽教科で学習中の歌舞伎十八番「勧進帳」の一場面を生徒有志が寸劇で熱演。源義経が兄頼朝に追われ、山伏に扮(ふん)して奥州に逃れる際、家来の武蔵坊弁慶が機転を利かせ、関守の追及から義経を守る有名な場面を演じてみせた。講師らは三味線伴奏の「寄せ」「こだま」「滝流し」「舞」の4つの合方を高度な技で聞かせた。
3組代表で演奏した佐々木茜さんは和楽器の音色が大好きで、「いつかはやってみたいと思っていた。バチを持つ小指が痛くなったが、曲が完成していく感じが楽しかった」と感激。最後となった同授業に「後輩たちにもやってほしかったが…残念」。機会があれば「琴もやってみたい」と願った。寸劇で弁慶を演じた2組の岩間英史さんは歴史にも興味があり、自ら手を挙げて役者にも挑戦。「三味線は難しかったが、あまり触れることがない文化に触れられて、良い経験になった」。日本の伝統文化は次世代への継承が課題。「担い手が少ないのは魅力を知らないという側面もあると思う。自分も東前太神楽が楽しくて続けている。こういう体験を通してやってみたいという人が増えればいい」と話した。
同校音楽教諭の池田百合子さん(46)は「生の音を聞き、実際に三味線を手に取って弾いてみることで初めて分かることがある。本物に触れることは一番の学び」と、生徒たちが貴重な機会を得られたことを喜ぶ。同授業を機に、釜石支所が開く子ども教室に通い始めた生徒もいたといい、鈴木さんらの長年の尽力に改めて深く感謝した。
5歳から三味線を始めた釜石市出身の鈴木さん。「私たちが子どもの頃は三味線を習う人たちがいっぱいいた」というが、自身が指導者となる頃にはその数が大幅に減少。日本の伝統文化継承に年々、危機感を募らせる中、2002年の学習指導要領改定で中学校の音楽授業に和楽器を用いることになり、市内の中学校で指導に着手。市内のみならず、盛岡市や葛巻町など県内各地に出向いて授業を担当するようになった。小学校や高校にも招かれ、これまでに教えた児童生徒は延べ6500人に上る。
2011年の東日本大震災では、経営する大町の旅館が津波で全壊した。門弟15人中3人が犠牲になり、所有する楽器も全て流された。絶望から奮い立たせてくれたのは、子ども教室で学んでいた生徒からの言葉。がれきの中で偶然再会した2人が発したのは「先生、三味線が弾きたい…」。この一言に大きな力をもらい、支援の楽器で学校訪問授業、子ども教室ともに翌12年から再開した。
情熱を持って子どもたちの指導にあたってきた鈴木さんだが、自身や手伝ってきた門弟らの高齢化により、今年度での授業終了を決めた。16年間続けた子ども教室も開講を見送った。「本当は続けたいが…。十分な指導態勢が取れないので」。苦渋の決断だが、この20年余りを振り返り、「子どもたちが上手になっていく姿に元気をもらった。震災後は特にも助けられた。教えるのは本当に楽しかった」と語る。
最後の生徒となった釜石中の2年生には「勉強だけでなく、自分の好きなこと、楽しみを見つけて一生ものにしてほしい」と、人生の先輩としてもエールを送った。学校での授業は一区切りとなるが、後進の指導は継続していく考えで、今後の邦楽の普及・継承にも意欲をにじませた。