【倉敷市】【8/3(日)まで】語らい座 大原本邸特別展「大原家に残る書簡の数々〜児島虎次郎と棟方志功からの書簡~」〜 芸術家の言葉が、胸に届くひととき
一枚の書簡が、心に残る瞬間
倉敷の夏、歴史情緒あふれる街並みのなかで、静かに心に残るひとときと出会いました。
それは、作品ではなく、芸術家たちが書いた一枚の書簡に込められた「本当の気持ち」に触れる瞬間でした。
・届かなくてもいい、でも伝えたい
・この一枚に、今の自分がいる
そうした言葉が、時を超えてそっと心に響いてきます。
2025年8月3日まで、語らい座 大原本邸で開催されている特別展「大原家に残る書簡の数々~児島虎次郎と棟方志功からの書簡~」を紹介します。
特別展「大原家に残る書簡の数々~児島虎次郎と棟方志功からの書簡~」とは
「大原家に残る書簡の数々~児島虎次郎と棟方志功からの書簡~」は、2025年8月3日(日)まで語らい座 大原本邸で開催中の特別展です。
特別展を企画したのは、公益財団法人有隣会の水島博(みずしま ひろし)さんです。昨年度(2024年度)も児島虎次郎の書簡を中心とした特別展を開催し、書簡から読みとれる虎次郎の人柄や成長を紹介しました。
「昨年は、展示スペースの都合で紹介できなかった虎次郎の学生時代の書簡がたくさんありました。そこには、芸術家になる前の、若い虎次郎の生の声が詰まっていて、ぜひ見ていただきたいと思い、企画しました」と水島さん。
さらに本会期では、虎次郎と大原孫三郎だけでなく、棟方志功と大原總一郎の関係にもスポットを当て、志功の書簡もあわせて展示しています。「親子二代にわたる支援者と芸術家、それぞれの深い信頼関係を感じていただければ」と水島さんは話します。
書簡から見えてくるのは、作品だけでは分からない、芸術家たちの素直で人間らしい姿です。
倉敷の歴史とともに味わう「語らい座 大原本邸」
会場は、江戸後期に建てられた国の重要文化財「語らい座 大原本邸」。
倉敷美観地区の石畳を進むと、白壁の蔵や町屋が連なる風景のなかにひっそりとたたずんでいます。
なかに入ると、高い天井に黒々とした梁が走る土間や、格子窓から差し込むやわらかな光、白壁と石畳が織りなす空間が広がります。
蔵のなかには涼やかな空気が流れ、書簡の前に立つと、大原家の記憶のなかに迷い込んだような感覚に。
庭に出ると、手入れの行き届いた植栽や竹垣が、石畳や蔵の白壁をやさしく彩ります。
青空の下、白壁の蔵や町屋が並ぶ美観地区の石畳を歩き、遠くに倉敷川のせせらぎを感じつつ、静かな蔵で芸術家たちの書簡に耳を傾ける。
ここでしか味わえない、特別なひとときです。
左手に見えるのは、事務や台所、居住スペースにつながる棟で、木の格子や板張りが町家建築の趣を伝えています。
右手に見える白壁の建物は「蔵(くら)」と呼ばれる土蔵造りで、厚い土壁や「なまこ壁」の模様は、防火性や耐久性を高める工夫です。現在、この蔵は、当時の書簡や美術品、大原家にまつわる資料を展示する展示室として使われています。
本特別展の児島虎次郎と棟方志功の書簡は、この中倉(二)と内中倉で展示されています。
展示されている書簡の一部を紹介します。
芸術家の素顔が見える書簡
展示されているのは、大原家に宛てた二人の書簡。
共通しているのは、率直な感謝の気持ちと、迷いながらも前に進もうとする強い決意です。
児島虎次郎(こじま とらじろう)書簡の見どころ
児島虎次郎が旅先から孫三郎に送った書簡には、
「天候に恵まれず、写生が思うようにいかず悔しい」
という嘆きと、師・黒田清輝(くろだ せいき)の言葉に励まされて奮い立つようすが綴られています。
絵葉書は児島虎次郎が旅先から送ったものです。絵画としての美しさに加え、手書きのメッセージが添えられており、児島虎次郎の感性や人柄が伝わる貴重な資料です。
左の2枚は、文字だけでなく絵も児島虎次郎の直筆です。
棟方志功(むなかた しこう)書簡の見どころ
一方、棟方志功の書簡からは、誠実でひたむきな姿がにじみ出ています。
中央には、3枚の葉書が木製のシンプルなスタンドに立てられ、静かにたたずんでいます。
3枚とも、全体にびっしりと墨書きされた手書きの文字が力強く、独特の筆致が見る人の目を奪います。
いずれも縦書きの日本語で書かれており、筆跡からは棟方志功の強い意志や独特のリズムが伝わってきます。
壁面には棟方志功の作品も展示されています。
壁面下には長いガラスケースがあり、そのなかに巻物状の書簡(手紙)が広げられて展示されています。
書簡からは、作品では見えない芸術家の“生の姿”が感じられると語る水島さん。
展示の見どころや二人の人柄について、話を聞きました。
水島博さんインタビュー
──芸術家の書簡の魅力はどこにありますか?
水島(敬称略)──
今回展示しているのは、虎次郎さんがまだ学生時代、いわば“芸術家の卵”のころの書簡です。
書簡は、彼らの心の声がそのまま記された貴重な資料です。虎次郎さんは学生時代から筆まめで、奨学金の報告を兼ねて、学業や制作の過程、写生旅行の苦労までとても細やかに書いています。
彼がどんなふうに悩み、成長していったか、そして孫三郎さんへの信頼が伝わってきます。
志功さんの書簡は数こそ少ないですが、書きたいことがあると葉書を何枚も重ねて、時には全長5mもの長い手紙になることもあります。
厳しい戦時下でも前向きで、總一郎さんをとても頼りにしていたことがよく分かります。
──初公開の資料で、特に印象深いものは?
水島──
明治37年11月7日の虎次郎さんの書簡ですね。
白馬会の展覧会について「特に見るべきものがない」と、はっきり書いているんです。その理由がまた印象的で、「住友の別荘で欧州の大家の作品を見てしまったから、日本の作品では満足できない」とまで言っています。
若い彼が本物の西洋美術に衝撃を受け、それを正直に書き記した、その瞬間が生き生きと伝わります。
──書簡の「見た目」にも注目ポイントがあるそうですね。
水島──
虎次郎さんの文字はとても達筆で、現代人にはなかなか読めませんが、それも魅力のひとつです。
志功さんは比較的読みやすく、署名も「棟志功」「ムナカタシコー」「卐入り」など、自由に書き分けているので、彼の個性が良く出ています。
さらに、虎次郎さんのサインや、1m以上の長い書簡、絵入りの葉書など、文字が読めなくても“見ているだけで楽しい”要素がたくさんあります。
──二人の書簡から見える人柄は?
水島──
虎次郎さんは、奨学金の報告や制作の進捗をきちんと書く一方で、支援を大胆に頼む面もあって、孫三郎さんに全面的な信頼を寄せていたことがよく分かります。
志功さんは、自由奔放な筆致のなかに、總一郎さんへのていねいさや感謝がにじみ、強い信頼関係が伝わってきます。
二人とも、大原家をただの支援者ではなく、心の支えとして深く敬愛していたのだと感じます。
──最後に読者へのメッセージをお願いします。
水島──
文字資料が多い展示なので、「難しそう」と思われるのも無理はないと思います。確かに、児島虎次郎の書簡を判読するのは、かなり難易度が高いと思います。一方、棟方志功の書簡や葉書は、よく見ていただければ十分読める文字で記されています。
また、「難しそう」を少しでも和らげるため、館内配布資料にそれぞれの書簡の内容をまとめました。さらに、各書簡・葉書のそばに翻刻(ほんこく)や説明書を掲示して少しでも理解の助けとなるよう努めております。
ぜひご来場ください。
おわりに
書簡の一文字一文字に込められた悩み、喜び、苦しみ、祈り。
そこから浮かび上がるのは、児島虎次郎と棟方志功という二人の芸術家の人間らしい素顔です。
「有名な志功さんが、あんなに必死だったなんて」と筆者が驚くほど、大原家への深い信頼と支援への感謝が伝わってきます。その声は、時を超えて、今の私たちの胸にも静かに届きます。
この夏、「語らい座 大原本邸」で耳を澄ませ、大原美術館で彼らの歩みを見届けてみませんか。
特別な時間が、きっと見つかるはずです。