【THE ALFEE】50年の歴史 vol.3〜 長続きの秘訣は原点回帰と新しいことへのトライアル
【THE ALFEE】50年の歴史 vol.3〜 長続きの秘訣は原点回帰と新しいことへのトライアル
2000年代のTHE ALFEEは原点回帰と融合
全世界の誰もが期待と緊張に包まれていた。またとない1999年から2000年への西暦の移り変わり、そして世紀末を超える2000年から2001年。この頃、THE ALFEEはデビュー25周年を迎え、世紀をまたぐその時には、THE ALFEE史上初のカウントダウン・コンサートを開催した。新時代の幕開けから感じられる3人の熱量は、果てしなく続くバンドの歴史と更なる挑戦への意欲そのものだった。
2000年代前後のTHE ALFEEの音楽に見られる特徴は2つ。原点回帰と融合だ。新たな心持ちで制作に挑んだ移籍後初のアルバム『Nouvelle Vague』(1998年)は、その特徴が如実に表れている。アルバムタイトルはフランス語で “新しい波” の意味。坂崎幸之助の歌唱でライブで人気の「Crash!」のようにデジタルサウンドな楽曲もあれば、コーラスを主体とした結成当初からのTHE ALFEEの特色を最大限活かした楽曲も収録された意欲作となっている。
また、この時期はロックとクラシックの融合に挑戦している。その象徴的な作品は紛れもなく、服部克久と共同制作した『THE ALFEE CLASSICS』シリーズだろう。シンフォニックロックとはまた視点の異なる、既存のクラシック曲とオリジナル曲のミックスで繰り広げられる。慣れ親しんでいるクラシックも、まるで最初からこんな展開になっていたと錯覚してしまうほどのアレンジだ。
結果として、そう簡単に挑戦することができないクラシックとロックの融合を見事に形にしたTHE ALFEEだが、高見沢俊彦はこの融合の可能性に早くから気付いていたのかもしれない。高見沢がハードロックやプログレッシブロック好きなのは有名な話だが、実は日本のグループサウンズ(GS)のリアルタイム経験者。本人もよく自身のラジオで紹介していたGSバンド、アダムスの「旧約聖書」(1969年)という楽曲では生オーケストラとロックの融合をいち早く取り入れており、お気に入りの曲と紹介していた。高見沢が “GS好き” だと目立つように公言し始めたのは最近のことではあるが、実践する際、根底にこの曲がありヒントを得たのは確かだろう。
原点であるフォークロックに焦点をあてた「Going My Way」
アルバム『Going My Way』(2003年)では、彼らのルーツとなる1960年代〜1970年代のフォークロックに焦点をあてた楽曲が多い。彼らが学生時代に聴いてはコピーしていた数々のミュージシャンへのリスペクトの取り入れ方は、ただ単にコピーしたりカバーしたりするのではなく “ALFEEサウンド” として昇華させることがモットー。特にシングルで先行発売された「タンポポの詩」はアメリカのフォークロックバンド、ザ・バーズのようなサウンドが意識され、レコーディングも3人だけで行なったというこだわりを感じる。
「タンポポの詩」は、アニメ『ドラえもん』のエンディングテーマに起用されているが、このようにキャラクターや他アーティストとのコラボが多くなったのもこの頃から。たとえば、キャラクターでいうとディズニー。1998年にミッキーマウスの生誕70周年記念トリビュートアルバムで「星に願いを」をカバーしたことを機に、ドナルドダック生誕65周年を記念して公式テーマソング「D.D.D!〜Happy 65th Anniversary for Donald Duck〜」(1999年)を制作。世界で高見沢とディズニーしか所有していないドナルドダックのギターも製作された。
加山雄三との共演、「夜空の星」をカバー
一方、ミュージシャンとのコラボでは、先輩・加山雄三との共演が目立つ。1997年に当時加山が所属していたファンハウスよりトリビュートアルバムが発売された際は、往年のエレキの名曲「夜空の星」をカバー。以降、加山との付き合いが始まり、コラボシングルの発売やザ・ヤンチャーズ(2010年)およびThe Rock Chippers(2019年)で、加山ファミリーの一員としても名を連ねた。
また、坂崎は2002年に復活したザ・フォーク・クルセダーズのメンバーに大抜擢され、加藤和彦・きたやまおさむと共に期間限定で活動を行なった。これはフォークソングの知識に関しては他の追随を許さない、坂崎の諸先輩ミュージシャンへのリスペクトする心を培った結果といえよう。
その後も2007年からは加藤と共に “和幸” というユニット活動を行ない、晩年の加藤の相棒としてユーモアのある作品を残していった。他にもウルトラマンや漫画家・池田理代子先生など多岐にわたるコラボをしているが、いずれも一度限りで終わらせるのではなく、毎回次につながる実績と名を残している。
テレビを通して知られるようになったTHE ALFEE3人の個性
THE ALFEEに “懐かしい” という感情を持たず、毎回新鮮な気持ちで演奏を聴くことができるのは、常に時代とともにサウンドを新しくしながら初心を忘れずに独自の世界観を保ち続けているから。それと同時に、メディアへの継続的な出演も理由のひとつだろう。
元々、テレビなどのメディアへの露出は多い方
だったTHE ALFEEだが、特に顕著に目立ち始めたのが2000年代前後。その象徴的な番組といえば、フジテレビの音楽バラエティ『LOVE LOVE あいしてる』。坂崎がバックバンドの一員のみならず、番組内コーナーで坂崎が “神” と崇める吉田拓郎とともに、Kinki Kidsの2人にギターを教える講師として登場。この番組の影響でどんどん2人の才能が開花し、Kinki Kidsとして歩む道が開拓していったのは言うまでもないが、持ち前のトーク力や狂いのないギターテクニックで坂崎幸之助という人物が幅広い年代に浸透していったのも事実。
続いて、4年半続いた人気番組に代わってスタートしたのが『堂本兄弟』。『新堂本兄弟』時代も含めると約13年間続いたこの番組は、今ではお馴染みの “たかみー” というニックネームと共に高見沢の天然・王子キャラが一般的に定着していった重要な番組である。高見沢のレギュラー出演に伴い、THE ALFEEがゲスト出演したことも多々あったが、回を重ねるごとに桜井賢の冷静そうに見えて実はお茶目なキャラもKinKi Kidsに気付かれ、THE ALFEE3人それぞれの個性がテレビを通して知られるようになった。
さらには今では老舗の人気ラジオ番組、TBSラジオ『高見沢俊彦のロックばん』(2002年〜)、God of DJ の異名を持つ坂崎のJFN系列『「坂崎さんの番組」という番組』(1996年〜)や、NACK5『K’s Transmission』(1998年〜)の放送がスタートしたのもこの時期。ファンからのお便りも絶えず、各局の代表番組の1つとして今日まで続いている。
初心に立ち返り、コラボすることで生まれたTHE ALFEEの多様なサウンド
デビュー当初のように、ファンとの密な交流が増え、幅広い年代のミュージシャンとの関わりも増えたTHE ALFEE。初心に立ち返ることと新たな化学反応を求めてコラボすることは、人間関係のみならず多様なサウンドが生まれたように作品面でも充実していた。その結果、彼らの個性が明るみに出て、改めてマルチプレイヤーさを周りに知らしめることとなった。この頃の経験が積み重なって現在の一般的なTHE ALFEE像が形づくられ、多くの芸能人・ミュージシャンに影響をより強く与えたのは言うまでもないだろう。