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「木が大好き」からあふれる、果てしない探求心!宮古島のど真ん中から世界の中心を狙う「宮古木工芸」二代目・与儀昌樹インタビュー(前編)【沖縄県宮古島市】

ローカリティ!

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宮古島市のど真ん中である地盛(じもり)集落。緑を愛する人々が多く、華やかでありつつも懐かしい印象があるエリアです。今回は地盛集落で63年続く三線※・木工家具を同じ工房で制作する世界で唯一の業務形態を持つ事業所「宮古木工芸」二代目の与儀昌樹(よぎ・まさき)さん(33歳)からお話を伺いました。

※「三線(さんしん)」 沖縄の伝統的な弦楽器。ルーツは中国と言われている。

【本記事中の画像一覧】

沖縄の伝統楽器「三線(さんしん)真壁型(マカビー)」
緑の多い地盛(じもり)エリアで営業する「宮古木工芸」案内看板

宮古木工芸の始まり

創業者は与儀栄功(よぎ・えいこう)さん。26歳で起業し、木工に関わる全てを手探りから始めたとのこと。箪笥(たんす)やテーブルを中心に作っていたのち、お客様のリクエストにより自ら愛する沖縄民謡に使う伝統楽器「三線」も家具のノウハウを応用し製作するように。現在の場所に移ったのは平成元年で、近年はフレスコボールhttps://www.frescoball.org/のラケット開発など、経営理念である「お客様の要望に応える」想いを大切に営業しています。製作している商品の割合は家具3割・三線7割です。

鮮やかな三線が並ぶ店内。右下の雑誌「ジャンプスクエア」は、昌樹さんの三線を取り入れた作品「カリシヌイ」が収録されている※「カリシヌイ」原作者投稿SNS https://x.com/shiratama_8823/status/1552619336405172225

近年は後継者の不足、取り寄せ家具店の進出やネット通販の浸透で現在、宮古島で同業者はほぼなくなり、表立って営業している事業所は「宮古木工芸」以外ほとんど見なくなりました。

お客様のリクエストに応じるうちに内装や、楽器にも対応することで必然的に発展してきた宮古木工芸。「工房内で『家具・三線』を同時制作している工房は世界でここだけ」と与儀さんは答えます。職人が少ないためこのような形態とのことですが、そこを逆手に取り家具作りのノウハウを楽器作りに応用した「技術の兼業」、さらに「買い付け〜製材〜三線・家具制作〜アフターケア」まで自社一貫して完結するスタイルも他所ではほぼ見られなくなり、「宮古木工所」だけのオリジナルになりました。

「宮古木工芸」二代目当主・与儀昌樹さん。宮古島のど真ん中から世界を狙う。

「宮古木工芸」二代目・与儀昌樹ストーリー

「先代は祖父の与儀栄功です。26歳で起業し、道具を集めたり、木材を購入したり、手探りで全てをイチから始めたそうです」と、爽やかな笑顔で語ります。

当時は手作りが主流で職人も多く、箪笥(たんす)や仏壇を筆頭に木工製品を販売する店舗は多かったそうで、また家具量販店がない時代であり、先代は器用だったことから多くの人々から制作を受ける延長で「与儀家具ベッドセンター」を1961年設立。

当時は下地町(現宮古島市下地)のカザンミ集落にある実家辺りで創業。昭和後期にかけて平良市(現宮古島市平良)の腰原(こしばる)集落へ移転したのち、平成元年に現在の地盛集落へ移転。

創業当時、箪笥(たんす)やテーブルを中心に作りながら、お客様のリクエストから「三線」も制作するようになったそうです。

その後、昌樹さんの父親は、内装関係の木工職へ進み、昌樹さん本人は「家具・三線」職人である祖父を継ぐ道を選びます。「小学生の頃から現場のゴミ拾いやお手伝いでお小遣いをもらったり頑張ればその分フィードバックしてくれる生活環境だった」と昌樹さんは語ります。

完成した三線の棹(さお)。鮮やかな外観、滑らかな手触りはまさに芸術品。

「好きな仕事では無かった」〜遊びたかった幼少時代〜二代目誕生の瞬間

小学校2〜3年頃から兄弟で祖父の木工所を手伝い、並行で民謡の稽古にも取り組み、多忙な幼少時期を過ごした昌樹さん。木工の技術を学校で生かすことはほぼ無かったのですが、図工の時間や夏休みの工作作品に鍛えた技を生かし褒められた思い出があります。

「宮古島で育つみんなが幼少期から畑の手伝いをしてきたように、当時は好きではなかったのですが、僕らは木工仕事を当たり前にこなしてきました」。

その中で欲しいものは自分で稼ぎ、買うという教えを受けて育ち「小遣いはいらないから、稼ぎは自分で作る」と思いを親に伝えたのは中学1年生の頃。所属する部活動での会費やユニフォームなど、木工仕事で貯めたお金で賄ったエピソードも。

「幼少期から色々な部活を試し、中学生からはサッカーを始めました。タイミングに悩みながらも高校2年の夏休み前に『継業のため退部する』と監督へ打ち明け驚かれ、仲間からも『仕事と部活、両方やればいいサー』などと言われ、引き止められたのは懐かしい思い出です」。その後、決意を胸に祖父に継業を伝えると「じゃあ、やったらいいサ」の一言。宮古木工所二代目として、正式にスタートした瞬間です。

「技は見て盗め!」の教えのもと、苦悩しながら実験を重ねてきた両手

祖父の教え

「『見て覚えなさい、自分で勉強しなさい!』と、まず教えない。上司は祖父のみで、周りにも聞けない。同級生は島にいないし、いても相談できないなど苦難の連続だった。20歳になるまではノイローゼになるくらい悩んだ。その時期に多くの失敗をしたことが、現在の土台になっている」と昌樹さん。

機械の使い方を片っ端から動画を調べ、勉強。木の切れ端が飛んできたり怪我をしたりするのは日常茶飯事。幾多に及ぶ危険な目に遭いながらも、困難に挑みます。「本に書いてないし、誰も教えてくれない。自分で実験するしか無かった」と昌樹さん。

20歳からは多くの業種の人々と積極的に交流し、多くのことを教えてもらいながらもアウトプットも忘れずに、現在も交流は続いているようです。

製材所にて。好きな木の説明に話がはずむ

木が大好き!

「木が大好きなんです!」と輝く瞳で嬉しそうに話す昌樹さん。匂いをかいだり分解したり納得が行くまでとことん調べます。興味が出ると没頭するというエネルギーは発明家共通の行動だなと納得しつつ、仕事に対するやりがいを聞いてみました。

「製作から販売まで、全てのワークフローが全て楽しくやりがいです」。具体的に挙げてもらうと「お客さんから直接フィードバックを得られること」。

改善点や、お褒めのお言葉をいただくたび次へ繋げられるため、全てプラスになるとのこと。続けて祖父がよく言っていた「自分の意見だけで作り続けたら続かない」「お客さんの意見を聞きなさい。お金を払ってくれるのはお客さんだから」「要望に答えたらお金をいただける」「お客さんのお金で生活できている現実と採算も考慮しつつ柔軟に対応することが大事」との教え。また「お客様から預かったお金という感覚なので、いかに大事に使うか仕入れも気を遣う」。

数え挙げたら多岐に渡り、やはり「仕事に関わる全てがやりがい」と昌樹さんは熱く語ります。

お客様対応中の様子。細かなオーダーに応える心は先代の教えである

(後編に続くhttps://thelocality.net/miyakomokkougei-yogimasaki2/)

店舗情報

宮古木工芸      

住所:〒906-0013 沖縄県宮古島市平良下里2616-1
TEL:0980-73-3001
ホームページ:宮古木工芸
SNS: Facebook

波名城優

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