佐久間 宣行「希望の配属じゃなくても焦るな」やりたい仕事をやるために必要な、たった一つのこと
『ゴッドタン』『トークサバイバー!』など数々のヒット作を生み出し、現在はラジオパーソナリティーとしても絶大な人気を誇る佐久間 宣行さん。
その華々しいキャリアの裏には、新卒2年目の夏に立てた、ある「戦略」があったーー。
テレビ東京のAD時代から現在に至るまで、独自の戦略で成果を出し続けてきた佐久間さんが語る、自分がやりたい仕事を手がけるために必要なこととは。
それは、変化の激しい現代を生きていく若手エンジニアにとっても、キャリアを切り開くための大きなヒントになるはずだ。
テレビプロデューサー
佐久間 宣行さん(@nobrock)
1975年生まれ。99年テレビ東京に入社。『ゴッドタン』『あちこちオードリー』『ピラメキーノ』などを手掛ける。2021年フリーランスに転身。『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)パーソナリティーの他、NetflixやYouTubeでも活躍中
新卒2年目の夏、3年間は「何でもやる」と決めた
僕にとってテレビ東京に入社した1年目は、組織との付き合い方を模索する期間でした。当時はとんでもない仕事量で、最初の8カ月間は家に帰れた日が86日しかなかったんです。
理想と現実のギャップに泣いたこともあったし、「内定をもらった他の会社に行った方がよかったかも」と頭をよぎったこともありました。
そんな日々の中で、僕は仕事や会社に全てを明け渡すと心が駄目になると早々に気付いた。だから自分の心と体を守るために、周りから嫌われてでも自分の時間をつくろうと考えました。計画的に態勢を整え、余裕が出てきたことで、ようやく会社の中でどう生きるか、戦略を立てられるようになりましたね。
そこで気付いたのは、社内の人に自分を知ってもらわないとやりたい仕事にはたどり着けないということでした。
たとえ企画が面白くても、社内でのネームバリューが無いと通らない現実が見えてきたんです。僕は生意気で、会社の付き合いにはほぼ参加しなかったから、仕事で顔を覚えてもらうしかない。だから2年目の夏からの3年間はできる限り、どんな仕事でもやりました。
周りは合コン三昧で、20代のうちから戦略を立てて仕事をしているのは僕くらい。自分の仕事を確立できたら一人勝ちだと思って、入社2〜3年目は企画書をめちゃくちゃ書きましたね。
テレビ業界以外に就職した学生時代の友人と話す中で、どの業界でも20代のうちにある程度成果を出さないと先が厳しいことは分かっていましたから。
結果として、3年目に初めて自分の企画でプロデューサーをやって、ちょうど「何でもやる3年間」が過ぎた5年目に『ゴッドタン』の前身番組の総合演出を手掛けることができました。
プレッシャーがかかる状況でこそ「本当の自分」が見えてくる
僕は45歳でフリーに転向し、ありがたいことに今も好きな仕事ができています。立場や環境が変わっても成果を出し続けるには、まず自分を知ることが大切です。
得意や苦手、向き不向き、無理が利くのかどうか。こういうのは働いてみないと分からないんですよ。学生時代はプレッシャーが無い状態でバスケをしているようなもの。フリーでスリーポイントシュートを決められても、実際のゲームでそんな状況はほぼ無いじゃないですか。
プレッシャーがかかる場面で自分の状態をチェックしないと、本当の自分は見えてこないですよ。少なくとも、僕は全然分かりませんでした。学生時代からクリエーティブの仕事への憧れはあったけど、自分が向いているなんて全然思えなかった。
それでもクリエーターをサポートする仕事ならできるかもとダメ元でテレビ局を受けたら、「制作に向いていると思う」と面接で言われて。最初は半信半疑でしたけど、確かにエンタメに夢中になるあまり留年したくらい大量の漫画や映画、演劇を見てきたし、面白いものへの熱意や、それを分析して説明する力はあったんです。
あとは、会社をうまく使うこと。重要なのは、成長分野かどうかと、自分の旗の立て方のバランス、教育リソースがあるかどうかです。
テレビ業界は徐々に盛り下がっていくだろうけど、映像を作る方法を覚えるのにこれ以上の場所は無いと思っていました。デジタルや新しい動きへの感度が高い人は少ないから、先輩を含めて簡単に抜けるとも思った。実際、配信分野が盛り上がると見込んで、配信に強い番組作りを20代後半から意識してきたことが『トークサバイバー!』(Netflix)などに生きてます。
キャリアの本質は「スタート」ではなく「進め方」
もうすぐ50歳になる今思うのは、キャリアにおいて最初の選択にほぼ意味はないということ。カードゲームで最初に配られた手札みたいなもので、そこから戦略を立て、手札を駆使して「自分の好きな場所で結果を出す」ゴールにたどり着くことを考える方が大切です。
僕はバラエティー希望だったのに最初の配属はドラマのADでした。当時は焦りもあったけど、冷静に考えたらADの仕事はどこでやっても一緒。もし営業配属だったとしても、キャリアの差はつかなかったと思います。お金周りを理解してから制作をした方が良い面もありますからね。古い言い方をするなら、くよくよしている暇があるなら考えた方がいいってことです。
そもそも20年後にどうなるか、誰にも分からないんですよ。まさか就職活動で落ちたニッポン放送で『オールナイトニッポン0』のパーソナリティーをするなんて想像もしなかったし。
たとえ最初のスタートラインが希望と違ったとしても、好きで追い掛けていることを手放さず、考え続けていればチャンスは巡ってくる。そうやって自分の好きと得意が合致する場所を見つけられたら、それだけで楽しい人生ですよ。
自分を理解しながら、楽しくてやりがいのあるジャンルを見つける努力をしてほしいなと思います。
取材・文/天野夏海 撮影/赤松洋太 編集/今中康達(編集部)
本記事は2025年11月発売予定の雑誌『type就活』に掲載予定の内容を一部編集し、先行公開しております