出口治明さんが読む、時代を超えるリーダー論『貞観政要』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
出口治明さんによる『貞観政要』読み解き#1
優れたリーダーに、優れたフォロワーになるために──。
『NHK「100分de名著」ブックス 貞観政要』では、リーダー論の最高峰ともいわれる『貞観政要』を、ライフネット生命創業者でAPU(立命館アジア太平洋大学)学長特命補佐・出口治明さんが読み解きます。
2025年7月から全国の書店とNHK出版ECサイトで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全5回)。
どんな人にも役立つリーダー論の古典
『貞観政要(じょうがんせいよう)』――もしかすると、この書物の名を初めて聞いたという人がいるかもしれません。この本は中国で生まれた、世界最高といってもいいリーダー論の古典です。
『貞観政要』は、唐(六一八~九〇七)の第二代皇帝、太宗(たいそう)・李世民(りせいみん)と、その臣下たちの言行録です。「太宗」とは、創業者(高祖・太祖)に次ぐ功績のあった皇帝に与えられる廟号(びょうごう)(死後、廟に祀る際に贈られる尊号)です。「貞観」は当時の元号(西暦六二七~六四九)です。この貞観の時代は、長い中国の歴史で四回しかなかったとされる盛世(せいせい)、すなわち、国内が平和に治まり繁栄した時代のひとつといわれています。「政要」とは、政治の要諦を意味します。
このタイトルからわかるように、『貞観政要』とは貞観時代の政治のポイントをまとめた書物であり、そこには、貞観という稀(まれ)に見る平和な時代を築いたリーダーと、そのフォロワーたちの姿が鮮明に記録されています。そんな書物ですから、のちの時代の皇帝たち、例えばモンゴル帝国の第五代皇帝クビライや、清の第六代皇帝乾隆帝(けんりゅうてい)などの名君が、帝王学を学ぶために愛読しました。
唐というと、日本では飛鳥~平安時代に派遣された遣唐使が有名ですが、『貞観政要』はおそくとも平安時代前期までには日本に伝わり、鎌倉時代の北条政子、江戸時代の徳川家康、そして明治天皇も愛読したといわれています。
僕が『貞観政要』を初めて読んだのは三十歳くらいのときで、会社員をしていた頃です。もともと歴史好きだったので、唐の太宗の時代が「貞観の治」と呼ばれる盛世のひとつであること、『貞観政要』がリーダーの教科書であることなどは知識として知っていました。一九七八年に、明治書院の「新釈漢文大系」というシリーズから『貞観政要』が刊行されることを知り(下巻は翌年刊行)、ちょうど会社で部下もできたことだしいい機会だ、これを読んだら立派なリーダーになれるかもしれない、などと思って読んでみました。以来今日まで、この本は僕の座右の書の一冊であり続けています。
国も時代も異なる書物が、現在の私たちの役に立つのか? 反射的にそんな疑問を持つ人がいるかもしれません。しかし僕は、千四百年ほど前の唐の時代から現在に至るまで、ヒトという種はヒトのままだし、脳の構造も進化していないと考えています。つまり人間は、今も昔も一緒なのです。ですから、『貞観政要』は参考になるはずだと素直に考えました。
長い時を経ても人間は少しも賢くなってはいない。僕はこのことも本を通して学びました。
僕は若い頃から音楽が好きで、クラシックのレコードを聴いたり、オーディオに凝ったりしていました。あるとき、十七~十八世紀につくられたバイオリンの名器ストラディバリウスは、今もって誰も再現できないと書かれた本を読み、疑問を持ちました。ストラディバリウスを分解してその材料や構造を調べることもできるし、どんなニスが使われているのかもわかっている。それなのに再現できないとはどういうことだと。
その「なぜ」を考えながら、生物学や脳の本を読んでいったところ、人間の脳は進化していないというシンプルな答えを見つけました。それでわかったのです。脳が進化していないのであれば、この数百年のあいだに最高のバイオリンをつくる能力を持った人間がいつ生まれるかは、アットランダムだと。つまり偶然なのです。昔の人ができたものを、なぜ今できないのだという考えは、脳は進化していて人間は賢くなっているという前提に立ったものです。その考えが間違っていたのですね。
人間は賢くなっていないのだから、昔の本も大いに参考になる。私たちが古典を読む意味は、まさにそこにあるといえます。
『貞観政要』はリーダー論の最高峰ですが、決して組織のリーダーだけに役立つ本ではありません。この本は部下の立場にある人たちにも、また組織には属していないという人にとっても必ず参考になります。なぜなら、すべての人間は一人では生きられないからです。一人で生きていけない以上、私たちは必ず複数の人と関わって生きることになります。複数の人が集まると、そこには自ずと役割というものが生まれます。
例えばマンションの自治会。自治会では住民の交流イベントを行ったりしますが、そのとき、映画の上映会であれば映画に詳しい人がリーダーになり、生け花教室であれば生け花の得意な人がみんなを引っ張ります。こうした自主的な集まりであっても、そこには自ずとリーダーとフォロワーが生まれるのです。これは人間社会のすべてに当てはまります。仕事で、地域で、あるいは友人との飲み会で、私たちはしばしば「チーム」の一員になります。そして、そこには必ずリーダーとフォロワーがいる。ですから、そのあるべき姿を描いた『貞観政要』は、どんな人にとっても役に立つ本なのです。
ちなみに、リーダーとはチームで何かをするときのひとつの「機能」です。誤解しがちですが、人間として偉いわけではまったくありません。このことについても、のちほど詳しくお話ししたいと思います。
それでは、平和な時代を築いた太宗とはどんなリーダーだったのか、彼は臣下たちとどんな話をしていたのか、早速ひもといていきましょう。
著者
出口治明(でぐち・はるあき)
ライフネット生命創業者。APU(立命館アジア太平洋大学)学長特命補佐。自身の経験と豊富な読書にもとづき、旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『仕事に効く 教養としての「世界史」Ⅰ・Ⅱ』(祥伝社)、『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)など多数。
※刊行時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス 貞観政要 世を革めるのはリーダーのみにあらず』(出口治明著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛している場合があります。
※本書は、「NHK100分de名著」において、2020年1月に放送された「貞観政要」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「たくましいフォロワーとして生き抜くために」などを収載したものです。