<プロ野球ドラフト>静岡高時代ブルペン捕手だった安竹俊喜が広島から育成3位指名!1浪経て静岡大で開花 “裏方”から主役へ
静岡高時代、公式戦出場は1試合のみ。ブルペンキャッチャーだった安竹俊喜捕手(静岡大)が10月24日、プロ野球の広島から育成ドラフト3位で指名を受けた。「自分よりうまいキャッチャーはたくさんいる。いろんな巡り合わせがうまく働いたんだと思う」。どこまでも謙虚な性格で、高校ではチームメートを支え、応援する側だった。舞台の主役に躍り出たことに少し戸惑いつつ、「いつか『安竹選手のキャッチングを参考にしています』と言われるようになりたい」と目標を口にした。
ナイター設備のない静岡大硬式野球部のグラウンド。秋から冬へと季節が移るこの時期は午後5時半にもなればボールが見えにくくなり、練習は終了となる。日によっては午後5時半まで授業があることもあり、そんな日は空き時間を見つけて自主練習に打ち込んでいるという。決して恵まれているとは言えない環境から、昨年の育成ドラフト2位で広島入りし、6月に支配下登録された佐藤啓介内野手に続き、2年連続でプロが誕生した。
「小学生のころの目標はプロ。でも中学で現実を知り、高校ですごい先輩たちを目の当たりにして撃沈した」
捕球技術や強肩に定評があり、静岡高2年秋の中部地区大会初戦、新チーム最初の公式戦で正捕手に抜てきされた。ところが打撃戦の末、静岡商高に6−10で敗れ、その後の公式戦で出番は巡ってこなかった。「リード面と気持ちの弱さ。すごい先輩がやってきたポジションが自分に務まるのかと弱気だった」
替わって正捕手には、打力とリーダーシップを兼ね備えた同級生の小岩和音捕手が座った。「小岩は4番でキャプテン。もうポジションを奪うのは難しいなと思った」。ブルペンキャッチャーという役目にも納得している自分がいた。「キャッチングが好きで、裏方でも好きなことをやらせてもらっているのだから嫌な気持ちはなかった。むしろうまくなるし、自分のためにもなると思ってやっていた」
盟友が語る高校時代の献身
今春、大学を卒業し、銀行員として働く小岩さんは当時の様子をこう振り返る。
「安竹は自分なんか比べものにならないくらいキャッチングがうまかったから、ピッチャーは普段の練習から僕より安竹に受けてもらいたがっていた。それが悔しくて、自分は練習を頑張れた。ブルペンではピッチャーには調子が悪くても『いいじゃん』て励まして、裏で僕には『今日はこの球種あまり良くない』と教えてくれて。監督にピッチャーの状態を伝える時は、悪く言うとせっかくの登板のチャンスがなくなってしまうから(調子が悪くても)上手に伝えて、僕にはこっそり教えてくれて、一緒にゲームプランを考えていた。本当に多方面に気を遣えて、徹底してチームのために動いてくれていた」
そんな2人の“タッグ”が最強だったことを証明したのが高校3年夏の全国高校野球選手権静岡大会。静岡高はノーシードから決勝に勝ち上がり、紅林弘太郎遊撃手(オリックス)を擁する駿河総合高に3−2で逆転勝ちして4年ぶり25度目の甲子園出場を決めた。決勝では松下静、松本蓮、石田直孝ら3投手の継投がピタリとはまった。
安竹も盟友に感謝する。「小、中学とキャッチャーをやってきて、キャッチャーで負けることはないと思っていた。でも高校で小岩に負けた。高校で試合に出られなかったことが、大学で野球を続ける理由になった。小岩がいなかったら、高校で満足して野球を辞めていたかもしれない」
静岡大・高山監督「相手を思いやれる捕手」
1浪の末に入った静岡大には高山慎弘監督(浜松商高-静岡大出身)という理解者がいた。高山監督は「キャッチャーを見る時、肩の強さは前提にあるとしてボールの捕り方が一番大事。さらに自分が重視するのは投手への返球。投手が捕りやすい球を投げる安竹は、相手を思いやれる捕手だなと感じた」と、2年春から正捕手に起用した。チームはその春の静岡学生野球リーグで優勝し、東海地区選手権を経て8年ぶりに全日本大学選手権出場を果たした。
全国の舞台をきっかけに、大学トップレベルを知った安竹は「(自分も)やれるかも」と自信を得た。練習では1学年上の佐藤の取り組み姿勢に刺激を受け、約20キロの増量に成功。研究熱心で、当時の大学ナンバーワン捕手と言われていた上武大の進藤勇也(日本ハム)、今年のドラフトで中日に4位で指名された石伊雄太(日本生命)のプレーを見るため球場に足を運んだり、ネットの映像を保存して、コマ送りしながらステップの研究をしたりした。
まずは支配下登録へ。「育成は何か一つ武器があればいい。自分の武器は守備。でも支配下になるには走攻守で高いレベルにならないと。(打撃の)スイングの力は付いたので、実戦での対応力を付けたい」。頭脳派らしく、やるべきことを明確にして着実にステップアップする。
(編集局ニュースセンター・結城啓子)
【取材こぼれ話】
愛用のキャッチャーミットは広島に指名される前から坂倉将吾モデル。坂倉捕手の「無駄のないキャッチング」を理想とし、YouTubeで映像を見て学んでいたという。
やすたけ・としき 2001年4月17日生まれ。焼津市出身。178センチ、83キロ。右投げ右打ち。大富少年野球クラブで小3から野球を始めた。2009年のWBCでのイチロー選手に憧れを抱いたことがきっかけ。焼津大富中(軟式)を経て静岡高、静岡大に進学。静岡高出身者では堀内謙伍捕手(楽天)、鈴木将平外野手(西武)、池谷蒼大投手(DeNA―くふうハヤテ)、村松開人内野手(中日)に続く5期連続のプロ入り。