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「しあわせになりたいなぁ」と呟くように歌唱する、国民的演歌歌手・都はるみの「しあわせ岬」を聴きながら彼女自身の有為転変を想う

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「しあわせになりたいなぁ」と呟くように歌唱する、国民的演歌歌手・都はるみの「しあわせ岬」を聴きながら彼女自身の有為転変を想う

シリーズ/わが昭和歌謡はドーナツ盤

〝睡眠は最高のアンチエイジング〟と言われるが、年を重ねると覚醒が早くなり、物音にも動じず眠る幼子のような睡眠はなかなかとることができない。朝かと思えば、まだ夜中の2時。もう一度目が覚めればまだ3時半。もうひと眠りしたいところだが、この頃は枕元のリモコンでラジオのスイッチを入れる習慣がついてしまった。

 決まってダイヤルを合わせるのは、NHKの「ラジオ深夜便」だ。ニュースを読んでいた頃のアナウンサーの顔が浮かび、懐かしい昭和歌謡が流れてくる日も多い。午後11時から翌日の午前5時まで6時間の放送だが、1時間ごとに5分のニュースをはさんでコーナーが進む。私がよく耳にするのが、午前2時台の「ロマンチックコンサート」と3時台の「にっぽんの歌こころの歌」、そして4時台の「明日へのことば」である。「ロマンチックコンサート」ではジャパニーズ・ポップスもあれば映画音楽、クラシック音楽の日もある。「にっぽんの歌こころの歌」では、一人の作詞家、作曲家に特化した日もあれば、一人の歌手の代表曲が次々に流れてくる日もある。

 たまたまラジオをつけた3月のとある日、3時台の「昭和歌謡 スター・セレクション」は都はるみ特集だった。「好きになった人」「アンコ椿は恋の花」「北の宿から」「涙の連絡船」「大阪しぐれ」といった聴き慣れたヒット曲が次々と流れてきた。和服をキリリと着て、左手でマイクを斜めに持ち、「はるみ節」とよばれる独特のコブシ回し、艶と張りのある声で熱唱する姿が蘇ってきた。

 昭和40年~50年代数多くのヒット曲を飛ばし、今も歌い継がれる名曲を残した都はるみは、国民的演歌歌手といっていいだろう。1964年3月「困るのことヨ」(作詞・西沢爽、作曲・遠藤実、編曲・安藤実親)でデビューしてから、2014年8月20日リリースの「冬の海峡」(作詞・さいとう大三、作詞・岡千秋、作曲・南郷達也)まで実に半世紀にわたり、139曲のシングルをリリースしている。

 その日は残念ながらラジオから流れなかったが、筆者が一番好きなのは、77年10月1日リリースの「しあわせ岬」(作詞・たかたかし、作曲・岩久茂、編曲・高田弘)である。テレビ朝日系列の土曜ワイド劇場「家政婦は見た」のドラマの中で、家政婦・秋子を演じる市原悦子が「しあわせ岬」を歌っているのを観たことがきっかけだった。さすがに演技派女優の市原の歌唱は感情がこもっていてインパクトがあり元歌を聴きたくなったのだ。都はるみの「しあわせ岬」は、〝しあわせになりたいなぁ〟と、呟くような歌い出しにぐっと惹きつけられ、北の岬で愛しい人の帰りを待つ女性の気持ちが徐々に昂まって最後のパーツまで盛り上げる。何度聴いても、聴き惚れてしまう名曲だ。「はるみの語り物は絶品」と評価され、この年の第28回NHK紅白歌合戦でも歌った。

 京都の西陣で生まれた都はるみは、子どもの頃から歌と踊りが上手いことで近所でも評判だった。芸能好きの母親自ら6歳になった6月6日の誕生日から浪曲と民謡を教え、「唸れ、唸れ」と浪曲の特徴を生かした声作りをさせた。中学の時から歌謡学院に通い、日本コロムビア全国歌謡コンクールで優勝した都は16歳でデビューを果たす。

 64年シングル3曲目の「アンコ椿は恋の花」(作詞・星野哲郎、作曲&編曲・市川昭介)は、ミリオンセラーとなり第6回日本レコード大賞の新人賞を獲得している。64年は10月に東京オリンピックが開催された年である。柔道がオリンピックの種目に正式に採用されたことも相まって、美空ひばりの「柔」が爆発的にヒット、他に「東京五輪音頭」(三波春夫)、「十七才のこの胸に」(西郷輝彦)、「あゝ上野駅」(井沢八郎)、「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピーナッツ)なども流行った。

 そして、76年「北の宿から」(作詞・阿久悠、作曲・小林亜星、編曲・竹村次郎)で第18回日本レコード大賞グランプリ、80年「大阪しぐれ」(作詞・吉岡治、作曲・市川昭介、編曲・竹村次郎)で第22回に日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞し、それまで誰もなし得なかったレコード大賞の3冠に輝いた。しかし、84年3月人気絶頂だった36歳のとき、「普通のおばさんになりたい」と突然の引退宣言をしたのだった。年末のNHK第35回紅白歌合戦で、司会鈴木健二、森光子のもと「夫婦坂」(作詞・星野哲郎、作曲・市川昭介、編曲・斉藤恒夫)を歌い3回目の大トリをつとめて、表舞台から去った。

 都が再び歌手として歌う契機になったのが、89年(平成元年)6月24日の美空ひばりの逝去だった。物心ついた頃から、ひばりの「越後獅子の唄」を口ずさみ、地元ののど自慢大会で「花笠道中」を歌うと優勝し賞品をたくさんもらった思い出があった。日本コロムビアに入ったのも美空ひばりがいたからだった。憧れの美空ひばりの自宅に招かれるようになり、横浜のナイトクラブに連れていかれ一緒にゴーゴーを踊った。そして都がバッシングを受けると励ましてくれた人生の恩人だった。「自分の一番大事なものを捨てるんだから、幸せにならなきゃ怒るよ」と引退する都を送ってくれた。

 美空ひばりの死は、64年続いた「昭和」という時代の終わりを象徴する出来事であったと同時に、都はるみの「再生」を呼び覚ました。美空ひばりの逝去から半年後、年末の第40回紅白歌合戦で、「アンコ椿は恋の花」で再びステージに立った。

 5年半のブランクを経て、「歌屋 都はるみ」を自称し、これまでの演歌にとらわれない幅広い楽曲を、決められたステージ以外の場所でも歌うようになった。「BIRTHDAY」(作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童)を91年2月にリリースし、野外コンサートの「都はるみ 三里塚星空コンサート」でも披露。三里塚の空港建設に反対派からの招聘だったが、周辺市町や新東京国際空港財団も支援して開催された。

 スタジオジブリの映画『おもいでぽろぽろ』(91)のエンディングテーマ曲「愛は花、君はその種子」を歌った。オリジナルは、ベッド・ミドラーによる「The Rose」を監督の高畑勲が訳したもので、外国の曲を歌うのは初めてのことだった。

「歌屋 都はるみ」は、新たなことに挑戦し、納得するまで走り続けた。そして2015年11月の東京国際フォーラムでの全国ツアー最終日に、翌年は単独コンサート活動を中止休業することを発表し、テレビ出演も休止した。

 以来すっかり姿を見せなくなったが、3年前ほどに、東北地方で元俳優とホテル暮らしをしているというスクープがあった。楽曲のイメージから、東北は都はるみが住む場所にしっくりする。私生活でもいろいろなことがあった都はるみだが、今は「しあわせになりたいなぁ」と呟くこともなく、美空ひばりとの約束を果たしていると信じたい。

文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫

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