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不登校だった小4息子のための付き添い登校。保護者の服装や持ち物は?メンタルケアの大切さも実感して

LITALICO発達ナビ

不登校だった小4息子のための付き添い登校。保護者の服装や持ち物は?メンタルケアの大切さも実感して

監修:初川久美子

臨床心理士・公認心理師/東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち

付き添い登校の始まりと試行錯誤

ASD(自閉スペクトラム症)と強度行動障害のある息子が不登校になったのは、小学3年生の3学期でした。4年生に進級し、最初の4月は何とか登校できていましたが、どんどん行き渋りがひどくなり、学校に何とか連れて行っても靴箱の靴を投げたり、教室で過ごすことが難しくなっていきました。そしてある朝、とうとう布団から起き上がれなくなり、約1ヶ月間、自宅に引きこもる日々が続きました。その後、学校で話し合いが行われ、特別支援学級への転籍が決定。そして1日1時間だけと時間を区切り、付き添い登校をする日々が始まりました。

付き添い登校をするにあたって、まず困ったのは「親はどうすればいいんだろう!?」ということです。子どもたちは毎日持ち物が決まっていますが、付き添い登校自体がイレギュラーなため、大人の具体的な情報は全くなく、持ち物も手探り状態で、何を着ていけばいいのかさえも分からないのです。とにかく『迷惑にならない』『邪魔にならない』ようできるだけ荷物を最小限にしつつ、いかにもお母さんらしい服装を心がけて付き添うことにしました。

「子どものために」から「私自身のために」

「全ては子どものために」その一心で、私は黒子に徹し、付き添い登校を続けました。登校時間は最初の1時間だけから、2時間になり、給食以降の午後だけ登校、午前中だけなど、少しずつ学校での滞在時間が増えていきました。その変化は確かにうれしいものでしたが、その一方で、私はどんどん自分の心がすりへっていくのを感じていました。

母親も一人の人間です。これまで築いてきた仕事やキャリア、そして自身の人格があります。それら全てを費やして、心を殺して、付き添い登校を続けるというのは決して容易なことではありませんでした。「生んだ責任」「母親だから当たり前のこと」世間の暗黙の視線はよく分かっていますし、私自身も責任感から自らに課していました。しかし次第にその重圧に押しつぶされそうになり、息子の学校への前向きな気持ちと裏腹に、私の足取りがどんどん重くなっていきました。これではよくないと思いました。

「どうせなら、付き添い登校を楽しもう!」

そう思ってからは、気持ちが一気に軽くなりました。

いっそ全力で楽しもう!付き添い登校ライフ

学生の頃から私は洋服が好きでした。なので、毎日自分らしい、大好きな洋服で登校することを決めました。『母親らしさ』という枠にとらわれず、「今日はこれが着たい!」「明日はあれを着よう!」と純粋な気持ちだけで服を選び、前日に決めて枕元に置いて寝ると、学校への重たい気持ちが少しずつ軽くなっていくのを感じました。ただ、それにもいくつかルールを自分の中で決めました。

・体育に一緒に参加できるよう必ずズボンを選ぶ
・破れても汚れてもよく、動きやすいもの
・上着は必ずリュックに収納できるようにする(ロッカーがないので)
・靴は脱ぎ履きしやすいいつもと同じものを履く

それでも選択肢は無限のように感じました。好きな服を着て登校するだけで、湧いてくるパワーが違うのです。おかげで、休み時間には女の子たちから声をかけられることが増えました。「その服かわいい。どこで買ったの?」「今日の髪型似合う〜」「ピアスめっちゃかわいい!」そんな会話を楽しむ中で、私も彼女たちに質問したり、好きなアニメや推しの話などを聞いたり、放課後には簡単な手作りアクセサリー教室を開いたりすることもありました。

そんな日々を過ごす私の姿に、息子から「僕より学校楽しんでない?」と笑って言われることもありました。その度に、私は「そうだよ、学校楽しいもん」と答えるようにしました。それは息子に「付き添い登校で親に負担をかけている」と思ってほしくなかったからというのもあります。また、そうした「いつも楽しそうな大人」という姿勢は、教室で息子以外の児童を手助けする際にも役立っていたように思います。

「楽しい」だけでは乗り越えられない。付き添い登校で見た学校のリアル

ただ、学校生活は、楽しいだけでは乗り越えられませんでした。たとえば、お弁当の持ち込み一つをとっても許可が必要でした。最初の頃は、昼食を我慢して帰宅してから食べていましたが、これでは体が持たないと思い、学校管理職に相談しました。また、上靴も教室に備え付けられた来客用スリッパを使用していましたが、「これでは体育ができない」と100円ショップで買ってきたシューズを持ち込みましたが、それにもお伺いを立てました。付き添い登校自体がイレギュラーな状況だったため、しょうがないことなのですが、全てにおいて許可を求め、また却下されることもある。毎日がそれの繰り返しでした。好きな服を着ていなければ、もっとしんどかったと思います。

なかでも最も困難だったのは、実は冬場の防寒対策でした。子どもたちは、どんなに寒くても一度学校に入れば、校内では上着を脱がなければなりません。極寒の廊下でも震えているしかないのです。「保護者の方は着ていただいて大丈夫ですよ」と言われましたが、そんな状況で自分だけ上着を着れるはずもなく、子どもたちと同じように我慢しました。

私が心を無にして教室で息子のサポートを続けている間、同じように学校という環境に耐えている子どもたちを見ました。私は服装を変えることで自我を保ちましたが、子どもたちはそう簡単にはいかないと思います。先生が突然怒鳴り声を上げた時に泣きそうな表情で目を瞑る子、指導通りにできなくて静かに涙を流す子、どうしても図工の手が進まない子、給食を食べ切ることができなくてずっと座り続ける子、先生に質問したくてもできない子……。

付き添い登校をしていて感じたのは、そういった環境の理不尽さに子どもは黙って耐えているということです。そのことを多くの保護者は知らないのではないでしょうか。

あの頃と今、付き添い登校で見えた社会の変化

息子の付き添い登校は一年で終わりを迎えましたが、私は現在も今度は小学6年生の娘の学校送迎を続けています。ASDの娘は、息子と同じように不安感が強く、みんなと一緒に集団登校ができないためです。そして、息子の付き添い登校をしていた当時と比べて、世の中が大きく変わったことに気づきました。

それは、父親による学校送迎が増えたことです。コロナ禍による在宅勤務の普及も影響しているのか、交通安全の旗当番に父親の姿が増えたなと感じていましたが、行き渋る子どもを送ってくる父親という風景は、息子の付き添い登校をしていた頃には全く見られなかったものでした。

また、学校全体の視線も変わりました。以前は、付き添い登校をする私のことを冷たい目で見る先生もいらっしゃいました。私が自分らしい服装を選んでいたのは、そうした視線に負けないためでもありましたが、しかし今では、娘をはじめ行き渋る児童たちに先生たちが優しく声をかける場面をよく目にするようになりました。

「付き添い登校」というのは、学校が不安な子どもの心に寄り添うためのものですが、同時に母親の自我を大きく削るものであると感じました。その負担を少しでも軽減していける社会になればいいなと、心から思います。

執筆/花森はな

(監修:初川先生より)
長男くんの付き添い登校をめぐる花森さんの気持ちや関わり方についてのエピソードをありがとうございます。付き添い登校が花森さんにとって重くのしかかり、つらかったことがよく分かりました。
状況によって、付き添い登校を求められたり、保護者の方から申し出られたりさまざまありますが、どんな場合でも、何のための付き添い登校なのか、どうなったら付き添い登校を解除していく方向になるかなど、事前に確認できているとよかったように思います。昨今、学校現場での人手不足により、安全面確保のためにお子さんに付いていてほしいという話があったり、あるいは、お子さんが安心して教室で過ごすために付き添ったりなどがよくある状況かと思います。後者の場合は、お子さんが教室で安心して過ごしていける中で、徐々に保護者は距離を取っていく(離れていく)などをお子さんの様子を見ながら柔軟にかつ計画的に対応したいところです。また、付き添い登校の場合、お子さんの席のそばに椅子を置くのか、教室の後部にいるのか、あるいは別室で待機するのかなども、お子さんの様子や環境によって工夫していきたいところでもあります。今の時代は、保護者の方がお仕事をされている場合も多くあります。付き添い登校を求められても、さまざまな事情から応えられないこともあるかもしれません。難しい場合には難しいと伝えることも大切です。また、花森さんのように、応えてみたものの、期間が長くなればだんだんとつらくなっていくことも多くあります。ご自身が子どものころには気づかなかった学校環境に対する違和感に(大人になったからこそ)気づくことがあったり、ご自身にもし子ども時代に学校でつらい出来事があった場合にはそうしたことが思い出されて苦しくなったりすることもあるでしょう。可能であるなら、そうしたことを相談できる人がいてほしかったと感じます。困っているのが担任の先生の場合には、担任の先生にはなかなか言いづらいかもしれませんが、例えばスクールカウンセラーや養護教諭、特別支援コーディネーター、あるいは管理職などに相談できるといいと思いますし、学校外には自治体の教育相談などや子ども家庭支援センターなどもあると思います。
保護者だから、「生んだ責任」「母親だから」とすべてを請け負うことは、よさそうに見えても、過度な負担が保護者に集中するため、いずれお子さんにしわ寄せが行ってもおかしくないので実際には持続可能性が高くないように感じます。何より、「生んだ責任」に帰着する社会にはしたくありません。子どもたちが地域で生きていける社会を、保護者や学校の先生方やその他関係する方々とで作っていきたい。だからこそ、関係する方々で知恵を持ち寄りながら、工夫しながらやっていけたらと感じます。花森さんはご自身の好きな服を着るという工夫から、どうにかこうにか打開され(なんとたくましいことかと思いますが、「無の境地」でもあられたのだとすると本当に苦しい時期だったのだろうとお察しします)、そして、クラスの女の子たちともよき関係になり、息子くん以上に学校を楽しんでいるかのように見えるところまで至られたとのこと。涙ぐましいご尽力、本当にご苦労されたと思います。付き添い登校が必要な場合には、何のためにどのように行うか、その計画や方針を誰が中心となって話し合うか。そしてできれば定期的に見直し、必要に応じて柔軟に変更しながら実施していきたいところです。保護者が請け負うのみではない、関係する先生方と保護者がチームとなって対応できるよう話し合いがなされることを願います。

(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。

神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。

ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。

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