予想外に早く破水!「あと12時間頑張れれば4月2日よ」って、無理ですー!
中3と小4の二人の子どもを育てる、ママライターとパートタイムのダブルワーカーのひなのひめです。出産予定月に入る前の月の最終日は、年度末の3月31日。その日、普段通りに就寝していたのですが、朝5時頃寝返りを打った時に、「破水?」と感じ、急いでトイレに行きました。
出産予定日は10日先!早すぎる破水
下着には、血液の混じったオリモノも見られ、軽い生理痛の様な痛みも始まってしまいました。7時過ぎに産院に連絡をすると、「これ以上、破水をすると危険だから、入院の準備をして来院してください」と言われました。
準備をして8時半頃、産院に行き、診察台に乗って内診が始まった途端に大量に破水してしまい即入院。そこからは、陣痛の痛みとの戦いでした。最初の1時間は、10分間隔で痛みに襲われ、その6時間後には5分間隔になり、2分間隔になったのは、なんと22時間後でした…。
陣痛開始から36時間!「もう、へとへと」
夜中も横にはなれず、ベッドを起こした状態で、ウトウトしては陣痛の痛みに襲われて目が覚める繰り返しで「もう、へとへと」。翌朝、4月1日の早朝5時頃、つらくて一人でウルウルと涙を流してしまいました。
子宮口が7cm大になった時には、「痛みに弱い体質みたいだから、早めに分娩室に移動してね」と助産師さんに言われて、9時半頃には、分娩室に移動していました。
分娩室に移動し、痛みに耐えていると、「あと、12時間頑張れば、4月2日産まれよ。この際、そこまで頑張っちゃえば?」って、冗談半分・本気半分で助産師さんが励ましてくれました。でも、長時間の陣痛で心身ともに疲れきっている状態の中、「この痛みが、あと12時間だなんて無理―ッ!!早く、出て来てー!!」って、思いました。
結局、最後は母子ともに危険な状態になる前に陣痛誘発剤を点滴して、陣痛開始から36時間後に無事に出産できました。まる一日と半分、痛みでほとんど眠れず、ろくに食べることもできず、産みの苦しみに耐え続け「もうすぐ会える!お産には必ずゴールがある!」と、その一心でした。ようやく赤ちゃんに会えた喜びはもちろんですが、「疲れたー。長かったー。無事に生まれて良かったー」というのも、出産直後の正直な感想でした。
夫婦で話し合った。我が家の“バース計画”
夫婦と子どもだけで、子育て援助がない我が家では、仕事や第2子出産のため、子どもが保育園に入る事は、子育ての中で大前提のことでした。夫婦で話し合った、当初の我が家のバース計画では、4月生まれの子を翌年の4月に保育園に入所させれば、貴重な成長時期に約1年子どもと過ごせること。その上、1歳児クラスよりは競争率の低い0歳児クラスに、何とか入所できるだろうと甘く考えていました。
しかし、出産とは、思い通りにいかないものなのですね。まさか、10日以上、出産予定日より早く生まれるとは、思っていませんでした。結局、夫婦ともに赤ちゃんが大好きだったので、第1子は、どうしても1年の成長を見守りたくて、1年後の4月に入所出来るように、保育所の入所申し込みをしました。
案の定、1歳児クラスへの入所は厳しく、待機児童に…。待機児童の状態は、そのまま継続され、3歳児クラスに入ろうという時点でも「入所は難しいでしょう」と、申し込みの時点で言われてしまいました。
夫婦で相談した結果、最終決断として比較的保育園に入りやすい地域である私の実家近くの市に、引っ越す事になりました。
早生まれの子の保活!最終決断は、結局“引越し”
今では、自然も多く子育てしやすいこの地域を、とても気に入っていますが、夫は、定年まで頑張って長時間通勤を我慢しなければなりません。早生まれになるかどうか、たった12時間の差でしたが、我が家の居住地を決定させた大きな時間の差になってしまいました。
妊娠中から夫婦で考え話し合っていたバースプランもかなわず…、最終的には引っ越しを余儀なくされました。子どもが元気に生まれてきてくれることが一番ですが、予定日よりも10日も早い破水と、36時間の微弱陣痛に苦しんだすえ陣痛誘発剤の点滴、最後はヘトヘトになり「出産って本当に思い通りにはならないな…」と実感しました。でも、今では、このエピソードは我が家の笑い話になっています!
[ひなのひめ * プロフィール]
小学校や子ども会の役員を終え、そろそろ、パートタイムからフルタイムで働きたいなあと考えている40代です。中3と小4のママです。
※この記事は、過去にたまひよONLINEで公開されたものです。