【研ナオコ 55周年記念インタビュー】② シンガーソングライターの楽曲を数多く歌う理由とは
来年でキャリアが55年。研ナオコが最新アルバムをリリース
1971年に歌手デビュー。来年キャリア55周年を迎える研ナオコの最新アルバム『今日からあなたと… Starting today, with you』が11月20日にCDと配信で同時リリースされた。自身の代表作のセルフカバーに加え、彼女に多くの楽曲を提供してきた中島みゆきの「糸」「ヘッドライト・テールライト」、そして浅川マキの「こんな風に過ぎて行くのなら」のカバーを含む全7曲を収録。
長い歌手生活の中でも、節目節目で特に思い入れのある楽曲を厳選したという本作のリリースを記念して、ご本人へのインタビューを敢行。自身が語る代表曲の思い出、多彩な楽曲の数々、唯一無二の歌心のベースにある歌への想いまでたっぷりと語っていただきました。前編で語っていただいた中島みゆき楽曲に続き、後編では、「夏をあきらめて」など1980年代の楽曲を中心にお届けします。
私の心に引っかかったのが「夏をあきらめて」
―― 1982年の「夏をあきらめて」。これは桑田佳祐さんの楽曲で、サザンオールスターズのアルバム『NUDE MAN』の収録曲でした。
研ナオコ(以下:研):サザンの新しいアルバムが出るというので聴かせてもらったんです。その時に私の心に引っかかったのが「夏をあきらめて」で、 "この中で歌いたい曲はある?" と聞かれ “私はこの曲がいい” と伝えると "これは男の歌ですよ" と言われました。でも、私は男女関係なく今の私はこれだと。レコード会社の方にお願いして、いろいろな人が動いてくれて実現しました。やはりシンガーソングライターの曲って力があります。すごい曲です。
―― 桑田さんのメロディーってすごくクセがあると思うのですが、そのあたりは歌っていてどのように感じられましたか。
研:私はクセのある人の方が好きなんです。みゆきさんも宇崎さんもそうですし、今回カバーさせていただいた浅川マキさんも。
―― その浅川マキさんの「こんな風に過ぎて行くのなら」のカバーですが、世界観がピッタリ合っていて素晴らしかったです。
研:浅川マキさん、大好きなんですよ。彼女がもう少し世の中でスポットを浴びるような活動をしていたら、みゆきさんみたいになったのかなと。でも、あえて表に出ずにアングラな雰囲気で、ライブハウスのみで活動していらした方ですから。私は一度もお会いできないまま亡くなられてしまいましたが、お別れの会に出席させていただき、その時、タムジン(田村仁)さんが色々と写真を見せてくれて、その中から1枚だけ写真をいただきました。
シンガーソングライターの楽曲を多く歌う理由とは?
―― 研さんは、歌謡曲の作り手よりも、シンガーソングライターの楽曲を歌われることが圧倒的に多いですが、その理由はどこにあるのでしょうか。
研:私にとってはその方が歌いやすいんです。どこかでグッと自分の中に引っかかるものができるんです。
―― 今回の収録曲ではないですが、1983年にリリースされた小椋佳さん作詞作曲の「泣かせて」も、大変素晴らしい楽曲でした。
研:あの曲をお願いした時、小椋さんがご兄弟から “倉庫で埃かぶった曲があるじゃないかと言われて引っ張り出してきた曲なんだけど" って言うんですよ。絶対、必死に書いた曲だと思いますけど(笑)。あの曲を好きだといってくださるファンの方が多くて、よくリクエストをいただきますよ。あと吉田拓郎さんにも書いていただきました。
―― 1985年の「六本木レイン」ですね。拓郎さんとはご面識があったんですか。
研:ありませんでしたが、原宿のペニーレインに、アルフィーと一緒に行ったことがあって、そこでお会いしました。
―― つのだ☆ひろさんの「風をくらって」も。これはリズムのある、カラっとした楽曲でした。
研:あれも、つのだ☆ひろさんが自分で歌って送ってきてくれたんです。私、彼は最初、外国の人だと思ってたんですよ。「メリージェーン」って英語の歌だし。それで会ったら日本人で “なんだー、がっかりさせんじゃねー” って(笑)
―― 福島邦子さんが書かれた「ボサノバ」も同系統の作品かと。
研:あれもかっこいい曲でしたね。ああいう感じの作品も、もう少し成立させなきゃいけないな、というのは私の中にあります。みゆきさんの悲しい歌も片方にあって、もっとラフな感じの、拓郎さんのような曲がもう一方にあって、その幅が広くなっていくと、私ももっと大きくなれるんじゃないかなという目標があるんです。
ライブでは「真夏の夜の夢」も歌わせていただいてます
―― 珍しいところでは松任谷由実さんの「帰愁」をカバーされていますが。中島みゆきさんとユーミンさんの歌を両方歌われている方は少ないので、意外でした。
研:普通どちらかに偏るんですが、この曲は私、ちょっと歌いたいなと思って。サビのところでバーン!と音が上がるでしょう? あそこが難しいかもしれないですが、私は気持ちよく歌えたんです。やっぱり好きな曲だったんですね。ライブでは「真夏の夜の夢」も歌わせていただいてますよ。結局、私は自分が好きな曲を歌っているんです。
―― りりィさんの「私は泣いています」を2019年にカバーされていますが、この曲はもともと、研さんのために書かれた曲だったそうですが。
研:そうなんです。本人に歌ってくれと言われたんですが “これはりりィが自分のその声で歌わなきゃ成立しない曲だから、自分で歌って” と言ったんです。東宝レコード時代にもカバーしましたが、アルバムの1曲だから、シングルでドーン!と出すことはなかったです。
そういうことは他にもあって、堀江淳くんの「メモリーグラス」も、堀江くんが私のために作ってくれた曲なんです。だけど彼の事務所の人に “せっかくいい曲ができたんだから自分で歌いなさい” と言われたそうで、彼が歌うことになり、そのあと私もカバーさせていただきました。あと、斉藤和義くんも、私に歌ってもらう用に作ってくれた曲があったんです。「男と女」という曲ですが、結局 “どうしても歌って欲しいけれど、どう伝えたらいいのかわからなくて、自分で歌っちゃいました” と言っていました。
ちょっと演歌っぽく歌ったら、京平先生が気に入ってくれた「夏ざかりほの字組」
―― 歌謡曲系の作曲家の楽曲では、筒美京平さんが書かれた1983年の「愛、どうじゃ。恋、どうじゃ。」が面白い曲でした。
研:あれはコーセー化粧品のCMソングで書かれた曲でした。京平先生は、東宝時代にも「二人で見る夢」を書いてくださいましたが、その後、トシちゃん(田原俊彦)と1985年にデュエットした「夏ざかりほの字組」の時に、スタジオに来てくださいました。あの曲は途中からハモるんですが、「♪ほの字だねー」というところで私がちょっと演歌っぽく歌ったら京平先生が気に入ってくださって、トシちゃんに “ナオコちゃんが今、歌ったみたいに歌ってくれる?” って指示されていました。
―― これは作詞が阿久悠さんで、阿久さんはそれこそ東宝時代のシングルはほぼ全部書かれていて、キャニオン時代にも「口紅(ルージュ)をふきとれ」「陽は昇り 陽は沈み」などを書かれています。
研:阿久先生は本当に達筆で、歌詞を自筆で書かれる方ですが、毎回、見るたびに “これを歌うのか…” と、達筆の文字を見ただけでものすごくプレッシャーがかかるんです。はい、ちゃんと歌います、という気持ちになる(笑)。“私の中ではこのくらいの理解ですが、よろしいでしょうか” みたいな思いで歌っていました。
人の裏側の面を出していくことによって、私は歌手としてやっていけた
―― こうしてお話を聞いていると、やはり悲しい歌、別れの歌が圧倒的に多いですね。
研:歌っている時の私の声質が、そういう歌に合っているんでしょうね。
―― 東宝時代は明るい曲も多かったですね。テレビのバラエティなどで見ている研さんのパーソナリティと合致していたような。
研:ただ、その辺が合いすぎちゃって、ダメだったんじゃないかなと。宇崎さんの曲みたいな、人の裏側の面を出していくことによって、私は歌手としてやっていけたんだと思っています。でも、明るい曲なら、お祭りの歌とか歌ってみたいかも。音頭とかそういうものです。声質が暗くても、メロディーがメジャーなら、自然に楽しくやれそうな気がするんですよ。都はるみさんの「好きになった人」みたいな曲とかね。
ーー ああ、わかります。でも研さんも「のんき節」を歌っていらっしゃいますよね。1983年の『Naoko Mistone』というビッグバンドジャズのアレンジで作られたアルバムですが。これは隠れた名盤ではないかと。
研:あれは河口湖のスタジオで何日か泊まり込みで録音したんです。ちょっと大変な仕事だから、精神的にグーッと自分を追い込んでいかないともたないなと思って。他の仕事を入れないでもらい、みんなで合宿しました。レコーディングも一発録りに近い形です。
私はこんな風に理解していますという感覚で歌った「糸」
―― 今回のアルバムの中で、中島みゆきさんの「糸」と「ヘッドライト・テールライト」をカバーしていますね。
研:これまでもライブでは歌っていて、今回CDに入れたかったんです。「糸」は色々な方が歌われていますけれど、私はこんな風に理解していますという感覚で歌いました。「ヘッドライト・テールライト」もどうしても歌いたかった曲です。皆さん、「地上の星」は歌われますよね。でも、カップリングの「ヘッドライト・テールライト」はなかなか難しいぞ、手強いぞ、というところがありまして、挑戦しました。
―― 今回、ご自身の代表作をあらためてセルフカバーされたことに関しては。
研:歌い方はあまり変えてはいけない、という思いがあるので、キーを下げて、アレンジも少し変えて、だけど初めて聴く人にもちゃんとわかってもらえるようにしたんです。本当に難しいんですよ。若い時の曲なので、色々なことを経験してきて、何十年も経ってから歌うと、解釈の仕方が変わってくるんです。ただし崩したり後ろに引っ張って歌ったり、ということは絶対しちゃいけないと思っていて、そこだけはちゃんとやろうと思いました。昔の歌い方に近い形で歌って、その中で、落ち着いた感じになればいいなと思っています。
いっぱい歌って、形に残していきたい
―― ずっとご自身の曲を大事にされてきたことが伝わってきます。研さんはタレントとしての人気もすごかったですが、やはり根幹にはシンガーであることの高いモチベーションがこのアルバムを聴くと伝わってきます。
研:私は、歌がなかったら不安で不安で、何もできない人なんです。歌手という太い幹があって、そこから枝葉のように分かれて色々な仕事をさせていただいている。その幹である歌がなかったら迷っちゃうし、ダメになっちゃうかもしれない。
―― 最後に、今後の目標をお聞かせいただけますか。
研:私、もっと歌が上手くなると思っているんですよ。自分ではまだまだだなと思っているので、そこを調整していきたいですね。いっぱい歌って、形に残していきたいなと。まだ世に出していない曲を、今後出していきたいと思っています。皆さんがびっくりするような曲も入っているかもしれないし、“なるほどね” と思える曲もあると思います。私の中で、色々なものが、ムズムズしているのでまだ整理がつかないですが、その意味でも、もっと歌が上手くなりたいですね。
前編に戻る