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「心温まる作品にしたい」藤間蘭黄・藤間聖衣曄・藤間鶴熹が語る、小林一茶の俳句を描く『鄙のまなざし』~「日本舞踊の可能性」で『展覧会の絵』と同時上演

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「日本舞踊の可能性」vol.7 (左)『鄙のまなざし』 (右)『展覧会の絵』イメージ

日本舞踊家の藤間蘭黄(ふじま らんこう)が芸術監督を務める「日本舞踊の可能性」vol.7が、2025年6月6日(金)東京・浅草公会堂において開催される。2018年の初開催以来、映像やピアノ、バレエなどさまざまなジャンルとのコラボレーションを展開するが、今回はムソルグスキーのピアノ曲を蘭黄とバレエダンサーの山本隆之が踊り、ピアニストの木曽真奈美が生演奏する『展覧会の絵』とともに、新作『鄙(ひな)のまなざし~一茶の四季~』を上演。江戸時代の俳人・小林一茶の世界を描く注目作で、一茶の俳句から季節感のあるものを選び、蘭黄が作詞し、初めて作曲にも挑戦する。日本の鄙(=都を離れた土地)の四季の風景を描いた注目作をめぐって、蘭黄と出演者の藤間聖衣曄(ふじま せいか)、藤間鶴熹(ふじま つるき)に話を聞いた。

■名門「代地・藤間」に息づく、古典と創作の真髄

(左)藤間聖衣曄 (右)藤間鶴熹

――聖衣曄さん、鶴熹さんが蘭黄先生の稽古場に通うようになった経緯を教えてください。

藤間聖衣曄(以下、聖衣曄) 祖母の藤間聖章が藤間藤子先生に師事していました。その関係で、祖母が自身で会をするとき、藤子先生の孫でいらっしゃる蘭黄先生がお越しになり、私と踊ってくださいました。大人になって先生方の稽古場に通い始めました。

藤間蘭黄(以下、蘭黄) 聖衣曄さんは当時まだ10代でしたよね?

聖衣曄 はい。

蘭黄 『橋弁慶』の弁慶と牛若丸や『連獅子』の親獅子と仔獅子を一緒に踊りました。

藤間鶴熹(以下、鶴熹) 私は父が藤子先生の稽古場に通っていたご縁で藤子先生に手ほどきを受けました。その後、蘭黄先生のお母様の蘭景先生、そして蘭黄先生にお世話になっております。

蘭黄 鶴熹さんは2歳で入門しました。名取(=芸名を許されること)になりましたが、高校生の頃に一時お休みしまして、邦楽の道を目指しました。

鶴熹 大学に入り常磐津をやり始めましたが、踊りが好きで専念したいと思い戻りました。

藤間蘭黄 Photograph : Yoshiyuki Okubo ​

――藤間流は日本舞踊の五代流派の一つです。藤間藤子先生(1907-1998)、蘭景先生(1930-2015)、蘭黄先生と続く系譜は「代地・藤間」と称されます。来歴を話していだけますか。

蘭黄 藤間流には大きく分けて家元・勘右衞門派と宗家藤間流・勘十郎派があり、うちは勘右衛門派です。当代家元は六代目ですが、明治から大正にかけて藤間流の基礎を作ったのが二代目藤間勘右衞門。その一番弟子だったのが祖母・藤子の養母だった藤間勘八です。藤子は勘八に子供の頃から仕込まれました。勘八は藤子が21歳のとき亡くなり、高弟も離れますが、藤子は近所の子供たちに教えるところから再スタートし、戦後大きくなりました。うちの稽古場は昔から柳橋にありますが、この辺りの区画は江戸時代から「代地」と呼ばれていました。代替地という意味です。それで「代地の師匠」と言われるようになりました。

――藤子先生は女性として初めて重要無形文化財(人間国宝)「歌舞伎舞踊」の保持者に認定されるなど、戦後を代表する日本舞踊家の一人です。どこが凄かったと思われますか?

蘭黄 藤子は自分なりの創意工夫を凄くする人でした。普段のお稽古では二代目の家元から受け継いだ振付にあくまでも忠実に指導しますが、舞台では自分で工夫した見せ方で踊りました。「私は背が低いし、手も短いし、見映えが悪い。だから、こうやって踊る」と。多くのファンがいました。お弟子さんのためにも振付をしています。創作でも踊りの基本は古典です。古典の技法をいかに魅せるかに重きを置いていました。母の蘭景が二代目の家元から受け継いだ古典を「古典十種」、藤子が改訂したり振り付けて、お弟子さんたちも踊ったりしている作品を私がいま「代地撰集」としてまとめています。

『t展覧会の絵』イメージ 撮影:奥田祥智



■藤間蘭黄の創作作法とは

――蘭黄先生も古典と共に創作に意欲的で、素踊り(=袴や着流しなど簡素な衣裳での踊り)の魅力と可能性を追求されていると感じます。ゲーテの「ファウスト」に想を得た『禍神(まがかみ)』やカフカ原作の『変身』ほか独舞、バレエダンサーのファルフ・ルジマトフさん、岩田守弘さんと共演した『信長』などに加え、出演者の多い作品もあります。同人である五耀會(西川扇藏、花柳寿楽、花柳基、藤間蘭黄、山村友五郎)の作品を創る際など、まずお弟子の方々に土台となる振付を行い、その振りを実際に舞台で踊る方にお渡しするそうですね。

蘭黄 振付は頭の中だけではできません。やはり動いてもらわないと。昨年の「日本舞踊の可能性」vol.6で上演し五耀會にも出てもらった『琉球英雄傳』では、聖衣曄さん、鶴熹さん、藤間蘭翔さんの3人に5人分の振付を覚えてもらいました。

「日本舞踊の可能性」vol.6で上演された『琉球英雄傳』 撮影:瀬戸秀美

――そうした際に蘭黄先生から振付をもらって感じることは何ですか?

聖衣曄 その役のキャラクターや雰囲気が振りから伝わるといいますか、イメージできるような振付をなさると感じます。

鶴熹 代地の特徴かもしれませんが、リアルというか「何をしているのか分かるように踊る」というのがあります。蘭黄先生はそこがはっきりしていらっしゃいます。それと振付には大胆なところもあるのですが、もの凄く緻密に計算をされています。頭の中はどうなっているんだろうなと。

――聖衣曄さん、鶴熹さんは「日本舞踊の可能性」では、ロッシーニのオペラ・ブッファ「セビーリャの理髪師」の舞台をスペインから江戸に移した『徒用心(あだようじん)』(vol.3)、紙本墨画の絵巻物を題材にした『鳥獣戯画EMAKI』(vol.4)に出られています。『徒用心』は五耀會のために創られた作品の女性版、『鳥獣戯画EMAKI』は再演作品でしたが、上演の際、皆さんへの当て振りとなりましたね。いかがでしたか?

鶴熹 『鳥獣戯画EMAKI』では、聖衣曄さんと一緒に猿を踊りました。蘭黄先生は、聖衣曄さんには少し不思議な猿をイメージなさっているのかなと(笑)。でも自然に踊ることができました。

聖衣曄 私たちの性格を分かってくださっています。難しくも楽しいです。

蘭黄 踊り手あっての役ですから。

「日本舞踊の可能性」vol.4で上演された『鳥獣戯画EMAKI』 撮影:瀬戸秀美



■愛弟子が踊る新作の題材は、小林一茶の俳句

――このたび、江戸時代の俳人・小林一茶(1763—1828)の俳句を通じて日本の四季を描く『鄙のまなざし~一茶の四季~』を創ろうと思われた動機をお聞かせください。

蘭黄 「日本舞踊の可能性」vol.7のプログラムとして、バレエと共演する『展覧会の絵』をまず決めました。去年私と山本隆之さんで新版を踊りましたが、劇場版として再演したかったのです。そして同時上演の新作を聖衣曄さん、鶴熹さん、蘭翔さんのために創ることにしました。3人には、舞踊家としてきちんと舞台を務められる技量があります。それを活かせる場がなければいけません。「日本舞踊の可能性」を立ち上げた当初からさまざまなジャンルとのコラボレーションを行っていますが、同時に後進たちが日本舞踊家として舞台に立つことができる場を作っていきたいという願いがあります。

20分程度の新作を彼女たちのために創ろうと思って頭に浮かんだのが小林一茶です。子供の頃、長野の祖母の別荘で夏を過ごしていました。そこは一茶の生家の近くで句碑も多く、縁を感じていました。それで田舎の風景だから「鄙」だなと。そこでふとメロディが浮かびました。今回は私が作詞に加え作曲も手がけました。音楽は清元なので三味線です。捕曲・編曲を清元栄吉さん、作調を梅屋巴さんにお願いしました。

『鄙のまなざし』イメージ ©STARTS

――俳句をどうやって日本舞踊に落とし込むのですか?

蘭黄 大変なものに手を付けてしまいました。俳句は五七五で成立しています。五七で終わりにすると訳のわからないものになってしまうし、五七五に五七を足していくと蛇足になります。手が付けられない。そこで、いくつかの句は五七五をそのまま使いますが、残りは句を解体して、その句が描いている景色が浮かぶようにします。

――いかにして解体するのですか?

蘭黄 一例を挙げます。「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」という句がありますが、それを「雀の子」と「そこのけそこのけ お馬が通る」に解体します。「雀の子」のあとに、雀にまつわる雀尽くしの言葉――これも一茶の句からとっているのですが――を並べます。その後、竹馬に乗った子供が出てきて「そこのけそこのけ お馬が通る」という歌詞になる。そうした雀と竹馬の絡む踊りも入れたりします。

――どのような構成になるのですか?

蘭黄 春夏秋冬そして春の順に描きます。「春」は梅と雀。「夏」は、蛍や蟻、蛙が出てきます。「秋」は萩の花が揺れているなかに猫が出てきて、風が吹いて落ち葉が散ります。やがて「冬」。北風が強くなり、雪が降ります。そしてまた春になり、鶯が啼いて、梅が咲いてという感じです。

――聖衣曄さん、鶴熹さん、それに蘭翔さんは、一茶の俳句に登場するさまざまなキャラクターに扮するんですね。

蘭黄 聖衣曄さん、鶴熹さんはお相撲もします。「痩蛙 まけるな一茶 是に有」という句では「蛙は一体何に負けるんだろう?」と考えたときに「鳥獣戯画」のお相撲を思い出しました。大きい蛙と瘦蛙が相撲を取ります。かなりシュールです。真剣に2人が土俵入りしていざ戦うぞ!といったとき、チン、トン、シャンと仲よく一緒に踊り出します。

――なんと一茶も出てくるそうですね!

蘭黄 常にどこかに出てきます。3人とも一茶をやるんですよ。ある場面ではこの人、別の場面ではこの人というふうに。

『鄙のまなざし』稽古より ©STARTS



■「四季の季節感や空気感が見えるようにしたい」

――振りを通してみての印象はいかがですか?

聖衣曄 役を役らしく表現し、お客様に分かっていただけるように切り替えることもさることながら、四季の景色が見えるようにしたいです。

鶴熹 冬の乾燥した寒さとか、春の柔らか空気感が出せるようにしたいです。

聖衣曄 それが素踊りの難しさです。

蘭黄 私の振付は古典の技術が身体に入っていればできます。それ以上でも以下でもありません。ちょっとした味付けを加えたりはしますが、3人とも古典のテクニックが身体に入っているので、それをどう膨らませていくのかが課題です。

――素踊りで次々に役を変えて踊るのは簡単ではないですよね。蘭黄先生、その極意とは?

蘭黄 変わろうとしないんです。それぞれの役になるだけ。変わろうと意識したら嘘っぽいものにしかならない。だから役になるしかない。若い頃は「これはこの役だからこういう型」と頭で考えてその役を作っていましたが、今はそれぞれの役になるだけです。それができるようになったのは、いろいろな作品を踊り、さまざまな役とその型が身体に入っているからかもしれません。

『展覧会の絵』リハーサル 藤間蘭黄(左)と山本隆之(右) ©Sayako Abe

――日本舞踊の会場としても親しまれた東京・三宅坂の国立劇場が閉場し、再開場の見通しが立たないなか、「日本舞踊の可能性」は本当に得難い公演です。意気込みをお聞かせください。

聖衣曄 大事にしていきたいです。舞台に立つ機会が少なくなっている状況なので余計にそう感じます。きちんと取り組んで、自分自身がしっかりとやる。そこに尽きます。

鶴熹 ありがたいです。こうした機会があるからこそ、普段のお稽古から課題を見つけてクリアしていくことが大事だとあらためて感じています。

蘭黄 『展覧会の絵』はムソルグスキーが親友に捧げた鎮魂歌で、音楽だけでも感情を揺さぶられますし、そこに踊りも付くので濃厚です。それに対して『鄙のまなざし』は一見柔らかい感じですが、そこにもそれなりの色がついて作品としての強さが出てきました。ご覧になる方の心温まるような作品になりそうです。日本舞踊にはそうしたおもしろさもあることをお伝えしたいです。

日本舞踊の可能性 vol.7 藤間蘭黄インタビュー

取材・文=高橋森彦

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