鈴木杏樹の「また会いに行く旅」——ご縁があった人は、ずっと心に一人一人います
親戚一同で新幹線の一車両を貸し切った夏休みの思い出。ある日かかってきた一本の電話から始まった“ひとり旅”のこと。「出会った人とは途切れない」という杏樹さん。ラジオのリスナーさんとのご縁も、鉄道旅も終点なしで続きまーす。
鈴木杏樹
すずき あんじゅ/1969年、兵庫県生まれ。1992年にドラマ『十年愛』でデビュー後、『あすなろ白書』『若者のすべて』など、話題を呼んだドラマや映画で存在感を示す。近年は『相棒』シリーズ(テレビ朝日)の月本幸子役をはじめ、ラジオのパーソナリティー、ナレーションほか、多岐にわたり活躍中。
Instagram:@anju.suzuki_official
新幹線イコール特別で楽しい夏休み
——旅は計画的にしますか?
杏樹 ハイ! 温泉へ行く場合、お宿はまずネットで「○○(場所)温泉 ひとり旅」で検索。一人で泊まれるところが、なかなか少ないので。
最近は空室があると、直前に一人泊に開放してくれる宿もあって、ありがたいです。
乗り物も全部、前もって決めておきます。ネットでも予約できるし電子チケットもあるけど、どこからどこへと書いてある紙のきっぷが好きなので、電車に乗るときは、みどりの窓口に並んで発券してもらっています。
——おお、旅のスタイルが完成していますね。杏樹さんは関西ご出身ですが、幼少期はどんな思い出がありますか?
杏樹 住んでいた神戸の家は、北側には六甲山、すぐ近くには住吉川が流れていて、南には瀬戸内海が広がる場所にありました。フェリー「さんふらわあ」の太陽のマークが、海に浮かぶ姿を眺めるのが好きでした。
「さんふらわあ」には乗ったことがないんですけど、電車は小さい頃から大阪のおばあちゃまの家に行くのに、弟の手を引いて在来線によく乗りました。当時は硬券で、駅員さんにカチンッと切ってもらうのにワクワクして。
——ドクターイエローはいつからファンに?
杏樹 いつからだろう? 気づいたときにはもう好きでしたね。いま家に、いただいたドクターイエローの置き時計があって、列車がクルクル走り、音で時間を知らせてくれるんですよ。
——そもそも新幹線がお好き?
杏樹 そうなんです。小学生の頃、夏休みになるとおじとおばが新幹線を一車両貸し切って、旅行に連れていってくれていたんです。いとこや親戚、総勢50人以上の大所帯の旅で。
一番覚えているのは犬山城。いまから思うと、岐阜羽島で降りたんですね。長良川でみんなで鵜飼を見た記憶があります。だから、私にとって新幹線イコール楽しい夏休み。ずっと特別な乗り物です。
——“ひとり旅”はいつから?
杏樹 ひとり旅歴は、夫が亡くなってからですね。それまでは夫の仕事柄、学会で国内外さまざまなところに行く機会があったので、くっついて旅行をしていました。
宮崎ではシーガイアに泊まったり、徳島では大塚国際美術館を訪れたり、北海道ではマリモが棲む阿寒湖へ……。数えきれないくらい国内外、さまざまなところへ連れていってくれました。
心に残っているのは、出雲大社。独身時代に友だちとお詣りに行ったら、そのあと友だちも私も結婚したんです。岡山方面で学会があったとき、ローカル線を調べて出雲に向かいお礼詣りができました。
「出会わせてくれてありがとうございます」って。二人で行くことができて、うれしかったですね。
ダブルショックの年が“旅の始まり”
杏樹 2013年は夫が亡くなり、愛犬も亡くなったダブルパンチの年だったんです。
その年の12月、椎名桔平さんから「杏ちゃん元気~?」って電話がかかってきたんです。たまたま映画の撮影で宮古島に行っていらして、「杏ちゃん、宮古島に来るべきだよ、本当に素晴らしいから」って。
「飛行機は朝の6時半、JALの羽田発が1便だけ」「ホテルはアラマンダ」「ドルフィンルームがいい」「メモしたほうがいいよ」と。
ベッドから起き上がり、メモをして。「わかった。調べてみるね」「絶対おすすめ!」、チーンみたいな。
年末にふと私を心配し、ここに来ればいい気がもらえると思ってくださったんでしょうね。ご機嫌だったので、ほろ酔いだったのかもしれないですけど(笑)。
——で、宮古島へはいつ?
杏樹 その年末年始に、お休みをもらって行ったんですよ。それが初めてのひとり旅。
アラマンダでいただいた料理がすごくおいしくて「どんな方がお作りになられているんですか」と聞いたら、料理長さんがいらしてくださり、話をうかがうと年下でお若いけれど、人間味が豊かな方で。
そんな出会いがあり、彼が大勢の仲間を紹介してくれたおかげで、一度の旅で私にもいっぱい宮古島に友だちができて。
それから週末、仕事が休みのときは、ぴょんぴょん宮古島に行くようになりました。それがきっかけで、一人でほかの土地へも行ってみようかなと思うようになったんです。
——どんな旅を?
杏樹 何度かやったのは「また会いに行く旅」。例えば、北陸に伝統工芸を習いに行くお仕事があり、「また来ますね」と言ってお別れしたけど、なかなか行けない。そういう方たちに会いに行く旅。
あちらもご都合があるから、とりあえず行ってみて「実はいまこちらに来ているんです。もし、いらっしゃったら行ってもいいですか」と。みなさん「本当にまた来た!」って、びっくりされます(笑)。
——杏樹さんから直接の電話!? 仕事での出会いが一期一会でないことが、驚きです。
杏樹 番組でお世話になった方にお礼状を書いて、手紙のやりとりが始まったり、旅でできた友だちともつながっていくので。何年も会わなくても、途切れないです。
——ご縁を大事に……。
杏樹 どこに住んでいても、誰であっても、人あっての私たち。仕事もプライベートも、人を大切に思っているからでしょうね。ご縁があった人は、ずっと心に一人一人います。それはどなたも。
ラジオのリスナーさんも、お便りをくれた方は忘れません。お顔は知らないけど、ラジオネームをほかの番組で聞くと「○○さんもこの番組好きなんだ。○○にお住まいなんだ~」と、人物像を膨らませうれしく感じています(笑)。
——落ち込んでいるリスナーさんのお便りに、「絶対に手を差し出してくれる人がいる」と励まされていたのが印象的です。
杏樹 私がそう思ったことがあったから。生きているといろんなことがあって、いままでこっちを向いていた人が、急に向こうを向いちゃうこともあるでしょうし、今度こそ這いあがれないかもと思うこともあるけど、必ず誰かがこちらを向いていて手を差しのべてくださる。
そう思ったのは一度だけじゃないです。何度も何度も、です。椎名さんもそう。あの時のあの電話がなかったら、一人で旅に出ようとはとても思える心境ではなかったですから。
自身の経験と思いを綴るリスナーへの返信ハガキ
杏樹 17歳の時に親元を離れてロンドンで暮らし、東京に来てもずっと一人暮らしだったんです。だから夫が亡くなったとき、また一人暮らしに戻るだけ、そう切り替えようと思ったんです。でも全然違って。全身にいーっぱい、矢が刺さっている感じがして。
ラジオに大切な方を亡くしたという方からお便りをいただくと、私自身が感じてきた思いを込めてお返事を書かせていただきます。
私の場合は、10年かけて旅をしたり人と出会ったりして、少しずつ矢が抜けていったのかなぁ……。
——矢が刺さっていても旅に出る。人生の大きなヒントかも。最近の「会いに行く旅」は?
杏樹 昨年、山形へ行きました。デビュー当時に『OH!エルくらぶ』という土曜朝の生放送番組に出演していたんですが、お世話になっていたスタッフさんが山形にお住まいなんです。
彼女も大切な方を亡くされ、いろんな経験をされていたから、本当に会いたくて。会うなりずっとおしゃべり(笑)。
ご飯を食べながらお話しして、お茶飲みながらお話しして。観光しなくても、すごく満ち足りた旅でした。
——デビューから38年。50代になり変わったことはありますか?
杏樹 それが、あまり何も変わらないんですよ。年齢が上がると旅行や映画でも割引がありますよね? その頃が変わりどきで、また一つ、自分のステージが上がるんじゃないかなって楽しみです。
「年を重ねて変化していくことは、人生のレベルが上がっていくことなんだよ」とこないだ言ってくれたのは、ドラマ『あすなろ白書』から30年来の友だち、たっくん(木村拓哉さん)です。
みんなでシニア割を楽しめたらいいですね!
今回のインタビュー場所
『ホテルメトロポリタン 丸の内』
東京駅に直結するサピアタワーの27~34階に位置し、360度に広がる東京夜景が一望できる。東京駅を発着する、新幹線と在来線を望む絶景ルームやレストランなどが好評。
https://marunouchi.metropolitan.jp
聞き手=くればやしよしえ 撮影=千倉志野
ヘアメイク=千葉智子
『旅の手帖』2025年8月号より