絵本『クジラがしんだら』トークイベントに参加してみた 作者&監修者が語る<絵本と深海の世界>とは?
東京都新宿区にあるサカナに特化した本屋・SAKANA BOOKSは8月23日、絵本『クジラがしんだら』(童心社)に関するトークイベントを開催しました。
作者で児童書作家の江口絵理さんと、監修を担当した国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)上席研究員、東京海洋大学大学院客員教授の藤原義弘さんがトークショーを実施したほか、イラストレーター・絵本作家のかわさきしゅんいちさんによるイラストの原画展も行われました。
大人から子どもまで、幅広い年代の人が集結した同イベント。当日の様子をレポートします。
テーマは「鯨骨生物群集」 物語も楽しめる科学絵本
『クジラがしんだら』は、クジラの死骸を中心に形成される特殊な生態系「鯨骨生物群集」をテーマに、命のつながりを描いた作品。深海という厳しい世界に生きる生物たちの、いっときの大宴会を描いた“物語”でありながら“科学絵本”でもあるのです。
2024年9月に刊行された同書は、第56回講談社絵本賞や第16回ようちえん絵本大賞を受賞したほか、「キノベス!キッズ 2025」第1位、全国SLA「2025えほん50」選定など、科学絵本としては異例の広がりを見せています。
トークショーでは、冒頭にSAKANA BOOKSのスタッフ・川村まなみさんによる絵本の読み聞かせがありました。
作者・江口さんは、大人になると絵本を読んでもらう機会が無いことに触れ、「自分で読んだり読んであげたりするのとは違い没入感があり、絵に集中してその世界を楽しむことができる。また違った読書体験になったのではないか」と、その意図を説明しました。
「生きものたちの知られていない生態を共有したい」
『クジラがしんだら』の刊行後、一番聞かれた質問は「なぜこの本を書こうと思ったのか」。
江口さんはこれまでに携わってきた絵本を紹介しながら、「あまり知られていない生きものたちの面白い生態を知った時に、『この面白さを多くの人と共有したい!』と思うところから本作りが始まる」と話し、「クジラは誰でも知っているが、(本作では)クジラは初めから死んでいる。クジラは舞台であって、深い海に沈んでいったクジラに集まってくる生きものたち『鯨骨生物群集』を主役にした」と語りました。
「鯨骨生物群集」について知ったのは、JAMSTECで開催された懇親会。会場でたまたま近くにいたのが監修を務めた藤原さんで、研究内容を聞き「そんな世界があるということを想像していなかった。(絵本のテーマとして)大好物だと思った」といいます。
一方、マニアックな内容に懸念もあったとのことで、「ここまで多くの人に手に取ってもらえて、全く予想外だった」と明かしました。
研究者が語る「深海の世界」
続いて、監修・藤原さんが「深海の世界」を語ります。
冒頭、藤原さんが海の平均水深が3729メートルで富士山に匹敵することや、海洋全体の9割以上が深海(200メートル以深)にあたることを説明すると、会場からは驚きの声が漏れました。
それでは、「深海」とはどのような環境なのでしょうか。
藤原さんは主たる特徴として、「冷たい」「圧力が高い」「暗い」「餌が不足」の4点を挙げました。中でも、「暗い」ことに対してどのように生きものが適応していったのか──その解説に移ります。
目の大きさは1000メートルを境に変わる?
深海魚は、目が大きく発達した種から目が小さい種、表面からは目が見えない種まで多様な進化を遂げています。こうした違いは、それらの魚がすむ「水深」によって起きるのです。
水深1000メートル程度までは目の大きい魚が多く、これは水深1000メートル程度までは目を大きくしたり感度をよくすることで太陽光を受け取ることができるからだといいます。
ちなみに人間の目では、どんなに透明度が良くても水深400〜500メートルでかすかに外が見えるかどうかくらいなのだとか。
一方、水深1000メートルよりも深くなると、どんなに頑張っても太陽光を受け取ることはできないので、目に余計なエネルギーを割かず、目は小さくなる傾向に。では、さらに深いところでは「目が無い」生きものが多いかというと、そうでもないといいます。
シグナルになる「光」
「ある調査によると、捕ってきた深海魚の約90%以上になんらかの発光器がついていた」と藤原さん。自分が光を使用したり見たりする必要があるので、完全に目を無くす魚というのは少ないといいます。
よく知られるチョウチンアンコウの仲間のように餌をとるために光ることもあれば、逃げるために光ることもあり、また求愛する時に光ると考えられている魚もいるそうです。
死んだクジラは<時空間的な架け橋>?
次に、絵本のテーマである「鯨骨生物群集」の解説へ。
深海の堆積物1平方メートルあたりに生きものは数グラムしかおらず、死んだクジラは2000年分の有機物に相当するインパクトがあるといいます。実際に鯨骨生物群集が映る映像が流されると、コンゴウアナゴなど多数の生きものが集まっている様子が確認でき、深海の生きものにとって沈んできたクジラは“ごちそう”であることが分かります。
また、鯨骨生物群集は短い間に遷移していくことも特徴的で、「肉を食べる生きもの」→「骨を食べる生きもの」→「毒(硫化水素・メタンガスなど)を使って有機物を作る生きもの」→「足場として利用する生きもの」の4つのフェーズがあると考えられているのだといいます。
『クジラがしんだら』では「肉を食べる生きもの」から「骨を食べる生きもの」までを描いており、中でも“鯨骨生物群集らしい”のは骨侵食期で、その主役はホネクイハナムシという動物なのだそうです。このホネクイハナムシは首長竜の時代にも痕跡が見つかっており、非常に古い時代から存在していたことが判明しています。
こうしたことから藤原さんは、死んだクジラは「海面と深海」「死と生」「過去と未来」をつなぐ役割を果たしているといいます。
海洋の表層で生きていたクジラが海底へと沈んでいき、さまざまな命へと繋がっていく──そして、昔から生きてきたものを今・未来に繋いでいくことで、「時空間的な架け橋として深海の生態系を支えている」と解説しました。
深海洞窟の生物多様性を調査
JAMSTECは現在、大東諸島周辺海域等の深海洞窟をターゲットとして、生物多様性把握のための深海調査に取り組む研究プロジェクト「D-ARK(Deep-sea Archaic Refugia in Karst)」に取り組んでいます。
藤原さんが最新の調査結果について触れると、「深海」に関心のある参加者のみなさんは特に聞き入っている様子が見受けられました。今後、さまざまな形で研究結果が発表されるかもしれません。
質疑応答&サイン会も大盛り上がり
トークショーの終盤に行われた質疑応答では、絵本の制作にあたり、絵を担当したかわさきしゅんいちさんとはどのような話し合いがあったのかという質問がありました。
江口さんは「かわさきさんは正確に生物を描くこともできるが、物語を感じさせる絵を描くこともできる。そのバランスをどう取るかはかわさきさんに一任した」と明かした上で、完成した絵については「1冊の絵本の中にも、リアルさと共感のしやすさがあり、奇跡のようにバランスが取れている」と話しました。
一方、藤原さんには、鯨骨生物群集の最後のフェーズでは「生きものたちの足場になる」と考えられていることについて、「最終的に骨が無くなることはあるのか」との質問。
藤原さんは、「実は最後のフェーズは自然下でまだ見つかっていない」とし、「ホネクイハナムシが多いと骨はスカスカの状態になる。実際には粉々になり、無くなってしまうのではないか」との見解を示しました。
各参加者に丁寧に応えるゲストのお二人 サイン会は長蛇の列に
トークショーの終了後にはサイン会が実施され、多くの参加者がゲストお二人との会話を楽しみながらサインをもらっていました。
中には、『クジラがしんだら』の表紙イラストを真似て絵を描いてきたという6歳の女の子も。これにはゲストのお二人も感激した様子でした。
鯨骨模型やグッズを販売 深海魚タッチも登場?
会場ではそのほか、関連グッズなどの販売も行われました。
博物模型専門の製作会社・アンフィ合同会社による、手のひらサイズの鯨骨(鯨骨生物群集)模型は、アクリル絵の具などで着色すれば、オリジナル鯨骨生物群集をつくることができるという逸品で、多くの参加者が「こんなの見たことない」と手に取っていました。
また、江口絵理さんの著書『ほるぷ水族館えほん ゆらゆらチンアナゴ』(ほるぷ出版)で絵を担当した、イラストレーター・ひらのあすみさんのグッズも登場。鯨骨生物群集を描いたイラスト作品のパネル展示も行われました。
さらには、急遽SAKANA BOOKSのスタッフが持参した深海魚にタッチできるコーナーも登場。子どもたちは楽しそうに触りながら、スタッフから魚の説明を受けていました。
“命のつながりを描いた物語”が人と人をつなぐ
『クジラがしんだら』トークイベントは終始、和気あいあいとした雰囲気で、ゲストと参加者はもちろん、参加者同士の会話が盛り上がる様子も見受けられました。
それはまるで、クジラから始まる“命のつながりの物語”が、絵本の読者にまで広がるかのように──。
尽きない「深海」への関心
そして、「深海」という分野における研究の面白さや可能性もまた、この絵本の魅力に繋がっているのだと感じました。
SAKANA BOOKSでは来月も深海イベントを実施予定。9月14日に「深海BOOKS2025『日本の深海魚図鑑』トークイベント」が行われます。
(サカナト編集部)